「奄美」の「奄」の由来3、奄美王国の都 | is6689のブログ

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           奄美王国

奄国

 上の画像は『孟子』第六巻第九章の中の文です。中公バックス『世界の名著3孔子孟子』のP474からとった史料です。この文を論理的に正しく読むと、東アジア史、いや世界史を書き直す事態が生じること、間違いないでしょう。一緒に読んでみましょう。


    構造解析

 わたしは長いこと塾を開いていました。数学は「論理展開」、英語は「構造解析」をテーマに指導していました。構造解析とは、一文が数行にもわたる長文の文法構造を明らかにすることです。主語、述語(動詞)、目的語、補語等の概念をもって長文の複雑な構造を明らかにすることです。構造解析は正しい読解の基礎と指導していました。今日の史料の読解にそれを応用してみます。


   わたしの訳

 「殷王朝、紂王の時代になって、天下大乱となりました。周公は兄の武王を補佐して紂王を殺し、奄の地、山東省を征伐、征服しました。それから3年後海隅において、奄の君を王位から除き、その重臣、飛廉を追いました。そして飛廉を殺しました。」

   構造解析の応用

 構造解析を応用しているところは、「三年」が「討つ」と「駆る」の二つの動詞に係っていて、また「於海隅」も「討つ」と「駆る」の二つの動詞に係っているとその構造を捉えている点です。上からも下からも「討つ」と「駆る」は修飾されています。日本語ではありえないことですが、主語の次に動詞が来る文法ではあることです。

 時間(三年)と空間(於海隅)が、二つの動作、「討つ」と「駆る」を規定していると認識してます。この認識でできた訳がわたしの訳です。

 飛廉が殺(戮)された時と場所が、「三年」と「於海隅」であったかどうかは、厳密に考えて、判断できません。


      注釈

 「誅」と「戮」には「殺す」という意味がありますが、「討」には、「罪ある者を問いただし懲らしめる、除く」等の意味しかなく、殺すという意はありません。そこで「奄の君」は殺されたのではなく退位、または廃位させられたと解釈しました。中公バックスの訳では、奄の君は殺されたことになっています。どっちが正しいでしょうか。・・・・・・・・・

 わたしはわたしの解釈が正しいと思います。奄の君が殺されていたなら、その臣下の飛廉を追って殺したと記す必要性は無いと思うからです。飛廉は「戮」=「死体をさらしものにする」という殺され方をしています。ここから考えても、奄の君は殺されては無いと思われます。

 武王の御子、成王の時代、倭人は周王朝に貢物をしています。また、倭人は「太伯の子孫」を名乗っています。太伯とは武王の父、文王の伯父に当たる人です。つまり、倭人は周王室の一族になっています。「奄の君」一族は、殺されずに周王室に取り込まれた、または自ら周王室傍流に隠れたと思われます。中国が「倭人」と呼んでいたのは周王室と和睦した奄美王国末裔の人たちでしょう。


       問題

 「海隅」とは、何処でしょう。そこが奄の君の住まう所です。つまり、わたしが言う「奄美王国の都」です。

 昨日の記事で、孔子の言、「道が行われなければ海に浮かぶべし」を紹介しました。孔子が「海」と言っているのは「東海」=「東シナ海」です。したがって、孟子が言う「海」も、当然、東シナ海です。「海隅」とは東シナ海の隅(すみ)ということです。東海の隅=奄美です。

 東シナ海はほぼ北緯24~32度にあります。その中央は北緯28度の徳之島です。中世、徳之島は「阿麻彌島」と清和源氏の系図史料、奄美大島の「師玉家系図」にあります。徳之島の対い鶴、清和源氏源為朝子孫の一族、実は万世一系の隠れ皇族は、「阿麻彌島国頭間切平戸村に密かに隠れた」と記されています。東海の隅=徳之島です。

      奄城

 昨日のブログに山東省に「奄城」があり、奄族の一部がそこに住んでいたらしいとの史料情報を書きました。

 奄城、これはどう読むのでしょう。・・・・・・・・。「アマグスク」です。

 「城」を「グスク」と読むのは南西諸島の文化です。広辞苑に「ぐすく」のことを「(琉球語)・・・・・南西諸島に分布する城・とりで。・・・・・・・その数は250を超える」とあります。広辞苑の説明に根本的な間違いがあります。それは、「ぐすく」を軍事用の「城」と錯覚していることです。250もの軍事用の城がある地域とは、・・・・・・・・・・。奄美・沖縄は平和の地域です。平和は祈りから始まります。グスクとは主に神を祀る高い聖域と思われます。

    徳之島天城町

 三京集落のある町です。天城を「あまぎ」と読んでいますが、「城」はグスクと読むのが奄美・沖縄の文化ですから、天城は「アマグスク」と読めます。町には「アマミキヨ」という神が降臨した山と伝えられる「天城岳(神山)」が北にあります。アマギ岳と読んでいますが、「アマグスク岳」と読むことができます。

 町には他にも「大城(フーグスク)」、「玉城(タマグスク)」、「大和城(ヤマトグスク)があります。グスクの町です。そこに都を意味すると考えられる「三京」があります。その近くにノアの箱舟の材、ゴフェルの木があり、ペトログラフ線刻画があります。

 万世一系の真実の天皇家、アブラハム系シュメール王家は、中世、沖縄からこの町に入っています。聖なる町と思われます。この町に奄美王国の都が在ったのではないでしょうか。「三京」とはその都の名ではないでしょうか。


 万世一系の天皇

シュメールアブラハムの子孫

 平安天皇ヨシュア

 

 

 

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