自己紹介、救いの体験、神の国 | is6689のブログ

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高校3年(都立昭和)

家族 20歳の頃

   ライダー

愛車750cc in 横浜


         自己紹介

 高校退学

 わたしは鹿児島県立錦江湾高校を3年の9月に、学校長に「わたしはこの学校を卒業することをたいへん恥ずかしく思いますので、やめます」との手紙を出して自主退学しました。形式的には「依願退学」となっています。実質はまさに自ら進んでの事ですから、自主退学です。退学を決意したきっかけは、学校長の言葉でした。朝礼で校長は「君たちが国立大学に合格して学校の名誉・・・・・・・」とあいさつしました。驚きでした。ぼくがが大学に合格するのは彼らの名誉のため、・・・・・・・・、ちがう、ぼくは自分のために勉強しているんだ、学校のためではない、嫌いな彼らに利用されるのは嫌だとの激情が、それまで学校に対して抱いていた不満を爆発させ、誰にも相談をしないで退学を決意しました。東京へ家出した形になりました。その当時鹿児島市で下宿していました。

  都立高校編入

 翌年の3月、わたしより先に同じ高校を退学して東京に行っていた後輩を訪ね、都立の編入試験を受けることになりました。新聞の募集案内を見たら、憧れていた国立(くにたち)高校は締め切っていて、募集している数校から昭和高校を選択し、編入試験を受け、合格しました。東京の高校は鹿児島と比べて10年は先を行っていると感じました。とにかく自由を感じました。わたしは自分で言いうのも何ですが、都会的です。徳之島で初対面の人は皆、わたしを大和人(やまとぅちゅう)と感じるようです。なぜ都会的か、わたしは自由を最も尊ぶからです。自由人は都会的です。


 法政大学

 自由を強く求めるわたしの進んだ大学は、その当時その自覚はありませんでしたが、自由と進歩の伝統校、法政大学です。当時は早稲田に落ちたからが理由でしたが、段々とわたしは運命的に法政が正解だったと自覚するようになりました。法政は反明治維新体制の大学です。早慶はもちろん明治維新体制のリーダー校です。わたしの「格」とは違います。わたしにとって早慶は不合格です。大学進学は単純に偏差値で決まるものではないと認識するようになりました。法政ではよく勉強しました。できるだけアルバイトをしないと決め、毎日図書館で本を読んでいました。読書三昧の大学生活でした。専攻は哲学です。勉強した内容は別途に。

 法政大学大学院

 大学4年次の就職活動で、このままの自分で社会に出たら潰されると直感して、4年の12月に友人のアドバイスを聞いて、大学院に進学することにしました。試験は二つの外国語あり困りました。12月から独学でドイツ語の勉強を始めました。受験英語でどんな複雑な英文でもその構造を解析できるように訓練を積んであったので、独学で外国語を修得するのにそれほどの困難はありませんでした。3か月後の試験には間に合いませんでしたが、翌年の試験に合格し大学院生となりました。原書でカントやヘーゲルを読んでいました。とても充実した日々でした。


  新生体験

 大学院3年目、27歳の時、大変なことが起きました。わたしはそれまでの自分の生き方を悔いて22歳の時洗礼を受け、キリスト教徒になっていましたが、絶望に苦しむクリスチャンでした。実存哲学者に分類されているキルケゴールの「死に至る病」などは愛読書の一つでした。最大の絶望は自分が絶望しているということに気づかないことであるとのキルケゴールの言葉には「グサ」と刺された思いがありました。楽しいクリスチャンでいるわけにはいきませんでした。教会へ行けなくなっていました。そんな状況の中、友人に誘われて教会に行くことなり、夕礼拝に参加しました。1983年9月25日の日曜日でした。一番後ろの席に座って説教を聞いていました。すると、突然、講壇から強い光を感じ、何か納得しました。友人にその光は感じられてなかったようです。その夜か翌日か定かではありませんが、完全な悔い改めが心に起こりました。「お前は完全に間違っていた、お前は今までお前と関わった全ての人に悪いことをした」との声が心の耳に届きました。これは大変な事だと思い、わたしに洗礼を授けた牧師先生とその奥さんに謝罪しました。それからその当時交際していた女性に謝罪しました。彼らはわたしが謝っている本当の理由は知りません。わたしは彼らをわたしと今まで関わった代表者にして彼らに謝っていました。それからホコリをかぶった聖書を開けると、旧約聖書の「ヨシュア記」が現れ、「雄々しくあれ」の言葉が心に入りました。後で分かりましたが、これが救いの「新生」という体験です。復活して、もちろん今も生きているキリストが実感できました。自然の草花が輝いてとても美しく見えました。酒の飲み過ぎで弱っていた身体が復活しました。復活は間違いないと実感しました。西洋哲学の本質が分かりました。日本の学者たちは西洋の本質がわかってないと分かりました。牧師や神父も含めてです。神による新生とは凄いことです。人は新たに生まれなければ神の国を見ることは出来ない、また、誰でも水と霊とによって生まれなければ神の国に入ることはできないとイエス・キリストは断言しています。新約聖書「ヨハネによる福音書」3章のイエスとニコデモの対話参照。わたしが「神国日本」と言えるのは新生したからです。新生する前に日本が神の国と考えたことはおそらく一度もないと思います。日本民族は神の民、イスラエルです。異邦人の時代が終わってイスラエルは皆、救われると預言されています。救われるとは新生体験の事です。神の国を実感する体験が新生です。神国日本は日本民族が新生して成就します。


 万世一系の天皇

イザヤ書11章平和の王

 平安天皇ヨシュア 













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