先生も学生の頃は随分貧しくて、高校を卒業したら一旦就職し6年間くらい働いてお金を貯め、どうしても諦めきれなかった好きな音楽の学校に行かれ、大変な苦労人であるということを、最近奥様から聞かされて、二重三重に頭の下がる思いである。昔の先生はこの様に苦学をして先生になられた方が多かった。だから授業もおもしろかった。戦争の話などもよく聞いた。結構脱線が多かったが、不思議と覚えているのはその脱線の話だったりすることの方が多い。この中林先生は地元北九州では著名な音楽家である。年末恒例の「合唱つき第九」の会で長年タクトを振られている。何と、奇跡というか、偶然というのか、今回の「チャリティー・コンサート」の特別ゲストのソプラノ独唱をして下さった中 真有美さんは、先生にご指導を受けており、いつも「第九」ではマドンナ役をこなしていると言うからビックリである。不思議な出会いにこちらが仰天する。


611人の大合唱のフィナーレ「あおげば尊し」では先生の前でしっかり唄ってくださった。小原先生、中林先生、そして家内の恩師高崎先生を前にしての「あおげば尊し」はさすがに涙が溢れてどうにもならない。611人の目の前での醜態を晒すことになったが、これも考えてみると有り難い涙である。それぞれご高齢のうえ、一月という寒い時期によくぞお越し下さった。これも天の思し召しか。感謝の限りである。この様にして人間は誰かから助けられたり、教えを頂きながら何とか生きておれるのだと思う。立派な先生に巡り会えたこと、素敵な方々にご縁を頂いた我が輩は日本一幸せ者かも知れない。ありがたい、有り難い、ありがとうございます。・・・続く