第一次支援隊の出発を見送り、第5次までのチームを確定させたあと、その後に続くチームのメンバーを各組織に依頼した。
そこまでの手配を終えてから、奈良県医師会としての今後の支援のあり方を考えるために、私自身が現地の状況を把握する必要があり、宮城へ向かうことを決めた。
地震の被害や原発の爆発などの情報を入手。道路事情も可能な限り情報の収集に努めた。
その結果、新潟空港まで飛行機で行き、そこでレンタカーを借りて山形経由で仙台に入ることにした。ホテルは確保できたが、洗面所でお湯が使えない、もちろん風呂も入れない。東北の3月はまだ雪が降る。きっと寒いだろうと、寝袋を用意していくことにした。