手記というものがあります。

 

手記というものは、確かに似た境遇に陥った方の助けや救いになるかもしれません。

 

自分のことを書くことが、自分を客観視することにつながり、自分のためになるかもしれません。

 

入蔵も自分の人生を振り返り、総括してよい年齢です。

 

入蔵が自分の人生を振り返り、手記を書くと、その内容は、ほとんどが亡くなってしまった人との思い出話になってしまいそうです。

 

実は、入蔵は亡くなってしまった人について書くのが苦手です。

 

ただ淡々と事実を書くことはできると思います。

 

でも、事実の描写には必ず自分の気持ちが影響します。

 

事実の解釈が入蔵の視点からのみのものになるといった方が良いかもしれません。

 

つまり、事実と言ってもそれは自分にとっての事実であって、相手にとっては真実ではないのかもしれません。

 

その事実について齟齬が生じても、相手も、自分も健在であれば議論してそれを正すことができます。

 

入蔵が亡くなった人物について書こうとしたときに、それを苦手に思うのは、「相手の真意が確かめられない」からです。

 

齟齬が生じたかどうかもわからず、相手が反論できないところで、自分の気持ちや解釈を書くことに抵抗を感じるのです。

 

「今更なんだ」ですよね。

 

単純に言って、そもそも入蔵の手記など読みたい人はいないでしょうから、「手記を書く」という妄想をめぐってグダグダと書いている時点でナンセンスと言えるでしょう。

 

そこで手記を書く代わりに、入蔵はこのブログを書いているのです。

 

事実をもとに「いい具合にデフォルメして書く」スタンスです。

 

基になる事実はありますが表現されたものは事実そのものではないです。

 

それを宣言した上で記事を書かせていただいております。

 

ごく最近、大相撲の力士がコロナウィルスによる感染症(COVID-19)で亡くなりました。

 

彼は基礎疾患を持っていたそうです。

 

その少し前に、歌手で、近年は俳優として評価が高かった方が悪性の腫瘍で亡くなりました。

 

ある人が亡くなったとき、その死因は必ず、不特定多数に明らかにしなければならないでしょうか?

 

その俳優さんはごく近しい人以外に闘病の事実を知らせることなく、病と共に生きていたようです。

 

それなのに、無くなったとたんにその事実を公開したのです。

 

もちろん、法律的には死因は明らかであるべきでしょう。

 

でも、それは、新聞や雑誌等のメディアで公開されるべきものなのでしょうか?

 

事件、事故等の報道の場面ではやむをえないことがあるかもしれません。

 

しかし、その人物の生存中、その人物にかかわる人々の守秘義務によって守られていた、あるいは本人が秘匿していた事実を、法律的な議論は別にして、その死を境に、不特定多数に知らせてよいものなのでしょうか?

 

百歩譲って、その病への注意を喚起するためという「理由」がたったとしても、入蔵は「手記」について感じたと同じような違和感を覚えるのです。

 

「死んでしまったら本人の意思に関係なく闘病の秘密を不特定多数に公開していいのですか?」と、どうしても問いただしたくなってしまいます。

 

血縁者、親しい友人や知人が死因を知りたいという思う気持ちはよくわかります。

 

入蔵が参列した葬儀でも全く死因についての情報が無い時もありました。

 

でも、そういう時、普通は(少なくとも入蔵は)どうしても死因が知りたいとは思わないでしょう。

 

もちろん本人が公開を望んでいる場合も実際にあるようです。

 

ですから、「間違っている」とか「いない」とか軽々に発言してはいけないとは思います。

 

でも、本人の意思に関係なく、誰かが「公開する社会的な責任がある」と考えたという理由で、発表している場合も多々あるように入蔵は経験上思います。

 

入蔵の母が病で亡くなったとき、ある人物が葬儀での挨拶の中で、母の持病に言及しました。

 

確かに、母の持病は死の一因にはなっていたかもしれません。

 

けれど、母がごく親しい人以外には「知られないようにしていた」のをよく知っていた入蔵は心穏やかではありませんでした。

 

さて、ブログタイトルに興味をお持ちいただいて、お読みくださっている皆様には申し訳ない記事が続いています。

 

わが「かつしか落扇指南所」も、稽古場の休館に伴い、皆が集合しての稽古は休止しています。

 

指南所の稽古は現在インターネットを通じて行われており、師匠が稽古用に一席ラインにあげてくださったものをみて各自稽古し、その後、メンバー各自が稽古した映像を師匠に送り、それをもとに師匠と各メンバーが一対一で映像のやり取りをするという形になっています。

 

入蔵はしらばっくれて、稽古を自主的に休んでおります(ただ、念のために言っておきますが月謝は払わせていただいています)。

 

実をいうと入蔵は諸般の事情から、自分の職業をネタにした新作を作る必要に迫られており、現在はその作業を進めています。

 

しかし、うちの師匠はあまり新作がお好きでなく、これは密かに行っております。

 

と言っても、最後は師匠に稽古をつけていただかないわけにいかず、それを言い出すタイミングをひそかに狙っているのです。

 

師匠には申し訳ありませんが入蔵にも都合があるので仕方がありません。

 

その顛末を書けば、少しは皆さんのご期待にも添えるかもしれませんが、しばらくは「なんだこれ?」という記事にお付き合いいただかなければならないと思います。

 

それまでお読みいただくのをお休みいただいてもいいですが、記事のチェックをしておかないと新作をめぐるやり取りを読み落とすかもしれません

 

そこのところは適当にご判断のほど、よろしくお願いいたします。

 

では、また(^^)/