背中の温もり・・・・ | 平凡な日々の小さな幸せ (ちいナル家の赤裸々の日々)

平凡な日々の小さな幸せ (ちいナル家の赤裸々の日々)

2015年2月 一緒の戸籍になりました。
連れ添って30年以上。
伴侶と私。
犬1と猫4匹の7人暮らし。
平凡な毎日を送っていますが
ただ一つ違うのは伴侶の戸籍は女性です。が、頭と心は男性です。
強靭な精神力と忍耐力を持つとても頼もしい我が家の大黒柱です




そうえいば・・・・


母のお姉さんが亡くなり 

(母の最期の兄弟姉妹だった姉。他の兄弟姉妹はすでに他界。) 


私にとっては叔母である家がある



名古屋に行ったのは つい最近の話し。




年の離れた末っ子の母の 戦時中の子ども時代、戦後の少女時代・・・


ナルとホテルの中で 聞いたんだった。




忘れないうちに 母の子ども時代の思い出を 生の戦争体験を


書いておこうとおもいつつ なかなか 書けないでいるな~(-_-;)





「お母さんの手の温もり」



私にとって 手の温もりというよりは・・・・


背中の温もりの方が 圧倒的に大きい。




何度か 書いたけど  とにかく虚弱児で生まれて



ほとんど毎日 私を連れて病院に通うのが日課だった母。




私が小学校にあがり 弟が保育園に行き


母は はれて フルタイムで働く職を得た。





その矢先 私の病気勃発。




半年 学校休業。




症状が落ち着いてきても



時折 ぶり返すかのように 高熱を出す。




ド貧乏だったうちには 車なんてない。



毎回タクシーを呼ぶ余裕もない。






母は ねんねこを私にかぶせ おんぶ紐で


私をおぶり 自転車をこぐ。





ぐったりして 意識朦朧としてるなか



いつも 母の背中の暖かさを感じていた。





夏の終わり・・・から 冬の終わり・・・


春が終わる 3月まで 続いた。





勤め始めたばかりの会社にも 


きっと立つ瀬のない 辛い思いをたくさんしたと思う。



今の世の中であって その傾向は強い。





まして当時 専業主婦が当たり前の時代。






父は 6畳一間の この日の当らない家が



病気にするとばかり 夜のバイトもし始めた。



土地と家を建てるために。




私の医療代がばかにならなかった。





母のお給料は全額 私の医療代に消えた。




そんな時代だった。






子どもは 今のように 手厚く保護されていなかった。









父の夜のバイトは ジャズバーのマンドリン奏者担当。



週に1~2度くらいだったけど




昼間の会社のお給料より いいくらいだったと言っていた。





今だったら 知られたら クビだよね(笑)





子どもには手厚くないけど ある意味大らかな時代でもあった。








かけおちして 結婚式も挙げられなかった両親だけど



ド貧乏なりに 子煩悩な父は これでもかって私を可愛がってくれた。






自分が 失った子ども時代の悲痛さを 自分の子どもにだけは


絶対に させまいと 人並み以上のものを与えてもらった。






だから 自分のうちが「貧乏」だったことも


あとから知った(笑)








たぶん きっと  絵に描いたような



貧乏だけど 愛がいっぱいの 家族だった(笑) 









だから 少しでも 親孝行できたらいいと



心の底から 思うけど・・・・・



私 今 とっても幸せだから・・・・



それが 私に出来る最大の親孝行。



孫より 娘(ちい)の方が100倍可愛いと


言ってくれる 両親への 最大級の親孝行かな。(笑)