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2005年12月31日(土) 17時01分13秒

一年の締めくくりに

テーマ:私の身近な出来事
今年一年の締めくくり恒例の出前も無事終わり新年を迎える事が出来そうです。 最後の最後にダメ出しの寒波にやられましたが、来年また新たに気持ちを切り替えて頑張って行きたいと思います。 今年は、店主が厄年の中の本厄だったので明日の元旦には  お礼参り に出かけるそうです。 と言ってもまだ 後厄の年なんです。 そして私は(3度目の)年女となります。 いい年になるといいんですが・・・。 とにかく今年は終わりを迎えた!と言う事で\(^o^)/前を向いて行こうと思ってます。 皆様に支えて頂き今まで営業して来ました。 有難う御座います</font>。 そして、これからもどうか宜しくお願い致します。 元日は お休みさせて頂きますが、翌日の2日から営業致しまので是非、お越し下さいお待ちしております。
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2005年12月30日(金) 16時59分42秒

大晦日と言えば!!

テーマ:蕎麦に係わる事

oomisoka 明日はいよいよ大晦日。 大晦日と言えば、年越し蕎麦。 年越し蕎麦と言えば、出前。 出石の出前はチョット大変! 何故かと言えば、出石の蕎麦は  皿蕎麦と言い、小さな小皿に載せてあるんです。 通常一人前が5皿です。 (ざる蕎麦1枚分くらいの量)だから、注文の仕方もお皿の枚数を言います。 多いお宅では、70枚とか80枚と言う感じ。 (年々出前が減ってきて 、生蕎麦が多くなってきましたが・・・。) 出前に行くための出前箱は当然お皿が1枚ずつ入るように中板が何段にも付いたものです。 大・小と2種類の箱があり、注文に応じて組み合わせて行きます。木で出来た箱で、陶器のお皿を2~30枚入れて持っていくので箱と言ってもかなりしっかりしてます。 (箱だけでも重い) お店の方は通常 PM6:00頃までですが、この日は、PM9:00頃まで営業しながら出前に走ります。 今年は、雪が良く降るので出前の時だけは勘弁して欲しいものです。 私も子供の頃、注文した時間になるのが待ちどうしくて時計とニラメッコしていた記憶があります。 だから、毎年注文をして頂くお宅がある限り頑張ります。

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2005年12月29日(木) 17時02分10秒

一家総出動!

テーマ:私の身近な出来事
futarideyukikaki 子供たちの冬休みも始まり、総出動で雪かき開始! 始め子供たちは根雪の硬さに四苦八苦してたんですが、だんだん腰つきも良くなり上手に雪を掻いてくれました。 でも、いくらもしないうちに飽きてしまいギブアップ! まだまだゴールまでの道のりは遠い。 連日の雪かきで私たちもヘトヘト。 何とかしてもう少し頑張ってもらわねば!と思いついたのが『 お駄賃作戦』。 「頑張ってくれたら100円のお駄賃あげよっかなぁ~」と言ったとたんに、ダンプカーの如く猛烈な勢いで進んでいきました。 (現金なヤツラだ) クタクタになりながら何とか最後まで頑張ってくれました。 『お駄賃』の100円ずつは3時のおやつ代。でも、子供達よその頃まで覚えていられるかな。
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2005年12月28日(水) 22時06分38秒

コウノトリといえば・・・!

テーマ:出石の町の事
今年の4月に1市5町が合併して『豊岡市』となりました。 あまり『豊岡市』と言う実感は無いのですが・・ 現在、『コウノトリ』と言えば豊岡。 放鳥も終え、豊岡や出石を飛んでいるそうです。 (まだまだ育った近所しか見かけないそうですが、 しかーしっ!、その昔コウノトリと言えば『出石』だったそうなんです。 文献によると、天保年間に、出石の桜尾の山に『鶴』(昔はコウノトリのことを鶴と言っていた)が巣を作ったことで、出石藩主であった仙石利久は『瑞祥の兆』として喜び、その山の名を『鶴山』と命名し禁猟区として保護したそうです。 その後、絶滅の危機に近い状態(食糧危機で{/silver/}食べたりもしたんですって!!)になりましたが、明治25年保護鳥の勅命で再び繁殖し、日清戦争、日露戦争の時に巣を作ったことで、吉兆とされました。 日本軍の勝利を祈るためと物珍しさで、2000人が観覧に来訪れる程になりました。 そのため、茶店まで出来『出石の鶴山』と有名になったそうです。 昭和27年には『特別天然記念物』に指定され、現在「豊岡市コウノトリの郷公園」で飼育されているしだいです。 と言うわけで出石もまた『コウノトリの町』だったんです。 出石には施設が作られず豊岡にお株を取られてしまいましたが、今でも『鶴山』にはその当時、巣を作った松が存在しています。 この度の放鳥でまた『鶴山』に巣を作って欲しいものです。
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2005年12月27日(火) 06時50分08秒

一年は早いもんだ!

テーマ:つぶやき
今年も残す所あとわずかとなってしまいました。 一年を振り返ってみれば何と早かったでしょう。 去年の台風では農作物、観光産業とも大ダメージを受けました。 『今年こそは!』と今年一年頑張ってきたのですが、年々最高気温は更新するし、年末には大寒波。 この先どうなるんでしょうかねぇ~。 11月の 『松葉ガニ』の解禁からスタートは良かったんですが、思わぬ大雪のため年末はやられてしまいました。 「終わりよければすべて吉!」と言うふうにはならないもんですかね? 今日も、せっかく昨日解けかけた雪の上にまた新たに堆積されてしまいました。 来年はどうか良いスタートが切れます様に・・ 愚痴ってても仕方がないとにかく、毎日を頑張ることだ!
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2005年12月26日(月) 17時04分47秒

大雪なのに洪水!?

テーマ:私の身近な出来事
kouzui2 昨日は一日中警報が出ていました。 その朝、除雪車が道路の雪を除雪してくれたんですが、除雪した雪を小さな溝へと運んだもんでその溝が詰まり水が氾濫してしまいました。 道路は川のように水が流れ、長靴の足首も程になってしまいました。 町の職員や観光協会の職員などで詰まった所を竿でつついたりしてなんとか流れるようになりましたが、時計台(辰鼓楼)の前の堀はいっぱいになってました。 今日もかなりの雪が降るそうですが狭い街中は雪の捨てる場所がなく}困ります。 また、軽トラックで捨てに行くことになるのでしょうか? この前の雪かきの筋肉痛も未だ治まっていないというのに・・・
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2005年12月25日(日) 22時10分23秒

へぇ~!有名やんか!!

テーマ:出石の町の事
oshiro 『出石』こんな小さな町にも深い歴史があったんです。
但馬地方の中心として栄えた『城下町・出石』は室町時代の『三代将軍足利義満』(一休さんでお馴染みの)に仕えていた山名時義が幕府より但馬、備後、隠岐、伯耆の守護を命ぜられ、町の北東部にある「此隅山」に山城を築いたことに始まります。 その後、山名氏は幕府内で勢力を伸ばし、全国六十六か国の内の十一か国(全国の六分の一)を一族の所領にしました。 しかし、応仁元年(1467)当時の『城主・山名宗全』は足利将軍家の跡目争いから幕府の大立者・細川勝元と対立し、この二大実力者の反目は戦いを引き起こすこととなった(応仁の乱)。 東軍の細川勝元、西の山名宗全が京都を舞台に日本を二分にした戦いは、十一年にも及び、文明5年(1473)に宗全は病死、家督を継いだ政豊は戦いの決着が着かないまま、一族と共に出石へ帰ってきました。 (1477・応仁の乱終結。 その後、室町幕府の基盤は揺らぎ、下克上の戦国時代へ移り山名氏は此隅山を『織田信長』に攻められ、有子山山頂(現在出石町にある隅櫓の山頂)に城を移しました。 この城も『羽柴秀吉』(豊臣秀吉)の攻撃により落城。 そして天正八年(1580)二百年に及ぶ山名氏は終わりを告げてました。 その後、羽柴、前野氏とめまぐるしく(@_@;)領主が変わり、文禄四年(1595)に龍野から小出吉政が移ってきました。 小出氏は現在も残る城下町建設を手掛けたり、町の出入り口に要塞をかねた寺院を配置(12/23参照)などする。
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2005年12月24日(土) 17時07分33秒

我が家のケーキは「蕎麦」のケーキ!?

テーマ:私の身近な出来事
xmas 今日は我が家もXmasらしく、家族でケーキを囲みました。 我が家のケーキはチョット地味に『モンブラン』 確かにモンブランもおいしいんですが、子供なら赤いイチゴがいっぱいのってるケーキを欲しがるのかと思っていたのです・・・ 弟の方が幼い時から大好きなんです。 幼い頃一緒にケーキ屋さんに行き「どれがイイ?」と聞くと「おそばのケーキ!」と指差す方を見ると、そこに『モンブラン』がありました。 そう言われて見れば見えないこともない。 子供の見る目は不思議だ! でも、「さすが蕎麦屋の息子!」とひとりでクスクスと笑ってしまいました。 本物の蕎麦の方はもっと好きでひとりで2人前は平らげてしまいます。 先が楽しみ!
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2005年12月23日(金) 15時58分35秒

出石にお寺が多いのは・・・?

テーマ:出石の文化 歴史

出石を訪れた事のある方ならお気づきかも知れませんが、「お寺寺院)」が多い。

蕎麦屋も多いですがその数に負けないくらいあります。

何故かと言うとこれにはちゃんとした理由役割)があるのです。

戦国時代、これらの「寺院」は各街道の出入り口に配置されており、戦いが始まると「」として活用していました。

そのため、これらの「寺院」の中には『高櫓』や壁に弓や鉄砲で敵を射るための三角や丸い形の穴の『矢狭間』があります。
豊岡街道の守護:見性寺(けんしょうじ)、京街道の守護:経王寺(きょうおうじ)、八鹿街道の守護:しょう名(みょう)寺、奥山街道の守護:法城寺(ほうじょうじ)、日野辺街道の守護:福成寺(ふくじょうじ)。

このほかにも町の中にはたくさんの寺院があります。

一度お寺巡りをしてみるのもいいですよ

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2005年12月22日(木) 16時00分10秒

今日は定休日なので・・・

テーマ:出石の文化 歴史
本当は年内休まない事にしていたんですが、今日の 大寒波 のため定休日とさせて頂きます。 ごめんなさい。
さて、前回に引き続き出石の歴史『仙石騒動』について調べてみました。
時は遥か室町時代、足利尊氏に仕えていた山名時義が幕府より但馬の守護に命ぜられ此隅山(このすみやま)に城を築いたことに始まります。 山名時代は200年続きましたが、天正8年(1580)、羽柴秀吉によって滅ぼされました。 その後、青木勘兵衛、前野長康、9代続く小出氏、松平氏へと城主は代わっていきます。 そして、宝永3年(1706)信州上田藩「仙石政明」が新たに藩主として入城しました。 (仙石氏の時代は明治の廃藩置県まで続く) この一族の中の「仙石左京」(行政側)と「仙石酒造」(みき:財政側)が財政運営にあたり対立をしていました。 そして、「左京」の方針が藩政として受け入れられ主導権を握り大老に就きます。 しかし、藩主「仙石政美」が参勤交代で江戸に着くと病死。 跡継ぎが無かったため左京が長男、「新之助」を江戸へ向かわせるが、対立していた「酒造」に「主家横領の陰謀あり{/ee_3/}」と幕府に訴えられ『お家騒動』となりました。 (お家騒動は天下の御法度) そして、出石藩は5万8千石の領土から3万石に減らされてしまったそうです。
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