こんにちは、96みきです。
今朝のDyad瞑想で大きな気づきがあったので備忘録として書いておく。
今日のテーマはブロック(心配事)のこと。
①あるか。あるとしたらどんな感じか。
②それがないとしたらどう感じるか。
③それ(②)を発展させたらどうか。
④それ(③)と共にいる。
私は自分の言葉で話すことが苦手だ。(本音とか)
自分の感情を入れて話すのが特に苦手だ。
それは小さい頃(5、6歳くらい)に母親とバスで買い物に出かけた時、
私はバスの中で昨日見たTV番組の話を楽しく大きな声で母親に話していた。
そしたら、周りの乗客が私の話を笑ったんだ。
母親は不機嫌な顔をして静かにしなさいと小さな声で私を叱った。
私はハッとして、そこから口を閉ざした。
(どこか言葉を濁して、誤魔化してしまうところがある)
これまでセラピストやカウンセラーの方にこの話はよくしている。
狭い空間(特に)では自分の意見を言うのは苦手という要因は
ここからだと思っていたが、
私の楽しい、嬉しいエネルギーを乗せて話すこと、書くことが
苦手(どうしても抑えてしまう)なのは、ここと結びつかなかった。
自分でも、書く時や話す時になんで喜びや楽しいエネルギーが乗らないのだろうと
思っていたんだけど、
そっかー
ここのブロックがあったんだ。
楽しいこと、嬉しいことを素直に話しても
聞いてもらえない。(受け入れてもらえない)
だから、素直な心でいること、本音は話さないと決めてしまったんだ、あの時に、、
そりゃ、淋しかったよなぁ。ショックだったよなぁ。
小さな子供の頃の傷って本当に深い。だって大好きな母親を笑わせたいために一生懸命楽しい話をしていたのに拒絶されたんだもの、、
それでも、私は長い間、母親のために生きてきたんだ。
なんて、親子の縁て、深くもあり、
密着しているからこそ、引き剥がすには時間がかかって、
でも、気づいた時にやっと前に進めると思った
一つのトラウマの事象は複数要因が絡んでいたんだね
やっとわかったーーー
スッキリしたーーー
もうこれで大丈夫だ。
母親の目からの呪縛はおしまい
やったー 自分の好きを素直に表現していいってハンコをもらったみたい
これ、本当に要因がわからないと進む時に足枷になるなぁ。
どなたかの参考になれば幸いです
今日もお読みくださり、ありがとうございました