『子供に善い子であって欲しい』


よくよく考えたら

虐待前はそんなこと1ミリも期待してなかった。



とにかく生きていることに感謝

毎日に笑顔をくれる存在に感謝

無邪気さをくれる存在に感謝


心から感謝できていました。




子供に期待するようになったのは

一度起業をしたタイミング。



人から見られることが怖くなって

人の視線のある無しに関わらず

何も恥ずかしいことはしていないのに

何故か、恥ずかしくなった。


お金を稼いでないから?

仕事というほど仕事してないから?


SNSをみれば華やかに見える人もいたり

幸せそうで

お金がありそうで

賢そうで


SNSで見かけるみんなが、凄い人に見えた。

その瞬間に


自分が自分を見下してること


に長らく気が付かなかった。



人が凄いんじゃなくて

自分が勝手に人の下に動いて

妬んだり羨ましがったり

憧れてるだけだった…。



憧れのなかにやりたいことは無い。



見栄とプライドが高くなった私は

人との関わりも避けて

お金を稼ぐことに執着心を燃やし、

賢くみられたくて理論を振りかざしてみたり、

幸せに見られるためにはどうしたらいいのかと悩んでみたり。


そんな人の周りからは逆に人が遠ざかり

収入とは無縁。幸せとは無縁。

行き着いた先が虐待。

自分自身の心に沢山の嘘があったんじゃないかと思います。



幸せなときには


どうやって幸せに見られようとか悩んだことなかったし、

お金よりみんなの笑顔と楽しい時間が最重要だったし、

バカがばれてもそれで人が楽しんでくれたり、

なんでも話しやすくなるなら

それでいっかと思ってたし

自分自身の心に嘘はつかないと決めていたし


今と全然違う。



人から見られることが怖くなって

人の視線のある無しに関わらず

何も恥ずかしいことはしていないのに

何故か、恥ずかしくなった。



↑私から直接なにも子供には言ってないのに

子供も同じ様に


人前で笑えなくなって

人前で喋れなくなって

人前で食べれなくなった。



言葉がなくても伝わることが不思議。



今はまだ半分

「子供には善い子であって欲しい」と思ってるかも。



これ、多分要らないな。