2019年10月7日。
ユーラシア大陸をスーパーカブのタンデムツーリングで横断中。
2019年7月6日に鳥取県境港をDBSクルーズフェリーにて出発し、2019年7月8日にロシアのウラジオストクに着きました。
ミホキン、オカキンの二人旅です。
ジョージアのバトゥミ→(船)→ウクライナのチョルノモルスク→オデッサ→ウマニ→キエフへ進みました。
本日はチェルノブイリツアーに参加したのでその実態はどうだったのか、探ってきました!!
先に結論を話すと、ガイドさんがかなり早口だったので、私の乏しい英語力では殆ど理解出来ませんでした!!笑
ですが、辛うじて聞き取れた内容やネットで調べた内容も合わせて纏めています。
《海外ツーリングの準備記事はこちら》
✡今回の旅のルート(予定)
①ロシア→ ②モンゴル→ ③ロシア→ ④ジョージア→ ⑤アルメニア→ ⑥ナゴルノ・カラバフ共和国→ ⑦アルメニア→ ⑧ジョージア→ (船)→ ⑨ウクライナ(現在)→ (飛行機)→ ⑩モロッコ
※⑨ウクライナに一時的にバイクを置いて、後日ロシア経由で日本まで自走予定です。
✡出発日と旅の期間(予定)
2019年7月6日より4~5カ月
【レート/1UAH=4.48円(2019年9月29日時点)】
《旅のルートマップ》
⬆ケータイからアクセスすると、Googleマップが非表示になっている事がございます。
Googleマップが見れない方はこちらをクリック。
Googleマップをクリックすると
ポイントや
ラインの詳細が見れます。
チェルノブイリの場所。
チェルノブイリで爆発事故が起こった原子力発電所の第4号機は、キエフより180km北の所。
○で囲っている場所がツアーで訪れる立ち入り制限区域30km圏内です。
この区域は一般人の立ち入りは厳しく制限されており、ツアーで無いと訪れるのは難しいかと思います。
チェルノブイリ原発の概要。
チェルノブイリの原発事故が起こったのは、1986年4月26日未明。
原子炉の4号機が構造上の欠陥や人意的なミスにより20世紀最大の事故を引き起こしました。
丁度、私が生まれた1年後のことである。
冷戦時代のソ連は事態を隠蔽し、被害者の人数を少なく公表するなど、対策は後手に回りました。
その結果多くの方が被爆の影響で、癌で亡くなったり、身体障害を患いました。
今でも、原発事故周辺は立ち入り禁止区域となり、ゴーストタウン化し荒廃した街が残ります。
ツアー会社に申し込み。
ー大手のツアー会社は2社ー
チェルノブイリツアーは数多くあるのですが、その中でも老舗と言われるツアー会社は『CHERNOBYL TOUR』、『Solo East Travel』の2社。
ミホキンは、ホストの勧めで『CHERNOBLY TOURがいいよ。』との事で、このツアー会社で申し込みました。
土日だと料金が上がるのか、4日後の月曜日だと安い料金で参加出来るとのことで、ランチ代
$5合わせて
$104(約12,000円)でした。
⚠UAHで提示されますが、クレジットカードで払う時は$換算されました。
測定器は$10でレンタル出来ますし、現地のお土産屋さんで5,200UAH(23,296円)で販売していました。
ちょっと高いけどレンタルした方が、よりリアリティー感が出てツアーを楽しめるかなと思います。
(高いからレンタルしなかったので、ちょっと後悔。笑)
ー申し込みと参加の当日には
『パスポート』が必須ー
パスポートの用意は、警察からの指示のようです。
CHERNOBYL TOURの申込オフィスは『聖アンドリーイ教会』から歩いてすぐです。
注意事項。
いくら安全なツアーと言っても、チェルノブイリ自体、まだまだ放射能が残っているので、100%安全な訳ではありません。
参加に際して注意される事がございます。
●肌の露出は避け、長袖、長ズボンを着用すること。
●靴下は踵の出ない物を履くこと。
●屋外で飲食しない事。
●現地では地面や壁などに触れない事。
●立入禁止区域には入らない事。
●警察官や検問所などは撮影しないこと。
●現場の物は持ち去らない事。
ー補足ー
●実は、地面や壁の放射線濃度が凄く高いんです。
●踵が見えた靴下を履いていた人は、お土産屋さんで靴下を買うように言われていました。
●水などは屋外で飲めません。
空気中の放射能を吸って体に入ると、そのまま体内に残り続けます。
当日のスケジュール。
《スケジュールの流れ》
7:30 集合
キエフ中央駅の西側のマクドナルドの近く。
(東側のマクドナルドではございません。)
ツアーデスクで集合場所の写真があります。
8:00 出発
10:00頃
〜18:30頃 チェルノブイリ観光
(14:00〜14:40)お昼休憩
19:00頃
〜21:00頃 キエフ中央駅に帰着
⚠ツアーの参加の時間は大体です。
⚠帰着時間の目安はツアー会社の申込時に教えてくれました。
7時30分、キエフ中央駅に集合。
キエフ中央駅の西側に集合。
写真の左側の白い建物にマクドナルドの『M』マークがあり、マクドナルドから徒歩1分ぐらいの場所です。
何台かバスが停まっていて、ツアー内容や英語ツアーなどによって、専用のバスに振り分けられています。
バスの窓に名簿がありますが、バスのガイドが名簿を持っている場合もありますので確認して下さい。
8時、出発。
定刻通り、8時にバスが出発しました。
バスの乗客は約15名とそこそこいました。
あまりにも人数が多い場合は、他にもバスが出るそうです。
8時40分、マガジンに立ち寄り。
トイレ休憩も兼ねて10分ほどマガジンに立ち寄ってくれました。
朝早い上、お昼休憩は14時と遅い時間なので、必要な方はここで軽食が買えます。
10時、チェルノブイリ(第一チェックポイント)に到着。
制限区域30km圏内に到着。
ここでは、警察官による身元確認で全員のパスポートチェックがあります。
そして、ホットコーヒーや各種お土産が購入出来ます。
ガスマスクは必要ないと思うけど、ネタで欲しい方は購入出来ますよ〜。笑
本当に防護服を購入している人もいました!!笑
ー1時間待機ー
何がそんなに掛かるのか分かりませんでしたが、ここで1時間待機。
10月7日のチェルノブイリは本当に本当に寒くて、10時でも気温は0℃。
日本は25℃だと言うのに!!
この1時間はお土産屋さんで時間潰しと車内の中で待つことに。
車内では誓約書に署名をさせられます。
そして、先程述べた注意事項の紙が渡されます。
1時間経ってこちらの第一チェックポイントを通過すると、1日で浴びた放射線濃度を測定する機械が渡されます。
これは首からぶら下げます。
同時にこの時に休憩もあるので、少しの間トイレ休憩やタバコ休憩の時間となります。
ザリーシャ村(Zalissya)。
第一チェックポイントを過ぎてすぐ、原発から20km圏内のザリーシャ村にやってきた。
こちらは村の入り口から原発の悲惨さを物語るかのように、生活家電が外に放り投げられたままでした。
家の周りは木々が生い茂り33年で朽ちた様子を伺い知れる。
当然ですが、絶対に触れてはいけません!!
放射能が未だに残っているので。
どこの家も壁や床、天上が剥がれ、ドアや窓ガラスも抜けておりました。
旧ソ連の軍用レーダー。
ソ連に飛来する飛行機やミサイルを監視していたそう。
これは、Tシャツ、半パンでポケモンGOに夢中になっている内に原発に迷い込んだ人が、防護服を着た作業員にピカチュウ(原発と電気ネズミを掛けている)の居場所を尋ねると言う皮肉なジョーク。
レリーヴ村(Leliv)。
ザリーシャ村と同じく、放射能濃度が高く一度避難勧告が出て退避して以来、二度と戻ってこれる事が出来なくなってしまった村。
ツアーのパンフレットには『Abandoned villages(廃墟村)』と記載されています。
空中では放射能レベルは1マイクロシーベルトほどだったのに、地面に近づけると10.25マイクロシーベルトまで上昇。
こちらはかつての幼稚園。
入り口には掲示板と思わしきものが残っている。
原子力発電所の5号機。
当日、建設真っ只中だった5号機。
構造上の欠陥が理由で事故が起こった為、完成される事なく放置されました。
5号機のすぐ近くには事故が起こった4号機があります。
バスでこちらに着く直前、車内で皆のガイガーセンサーが不気味に『ピーピー』鳴るので、とても怖かったです。
14時10分、昼食。
2階に食堂があります。
入る前に放射能レベルのチェックがあります。
他にもパンや色々なメニューがあり、好きなものを選ぶスタイル。
チェルノブイリで働く人も利用しているそうです。
お味の感想は、
・・・・・。
桃のジュースが一番美味しかったです!!笑
原子力発電所4号機。
ここは大事故を起こした4号機。
事故発生直後に作られた石棺も30年が経ち老朽化が進みました。
そこで、フランスなどの支援の下、2016年11月に原子炉を覆う新石棺が完成し、現在では当時の姿を見る事ができません。
しかし、放射線量も以前の1/10となっているので、より安全になったそうです。
世界への被爆を防ぐ為に石棺を建てて尽力を尽くして下さった方達に向けたモニュメントとその説明。
以前はこんな姿だったそう。
4号機は1983年に稼働開始して1986年に大事故を引き起こし、僅か3年で廃業となりました。
赤い森(Red Forest)。
次に向かったのは『赤い森(Red Forest)』と呼ばれる原発事故10km圏内のエリア。
原発事故が起こった時、放射能を取り込んだ松が赤く変色した事によりこう呼ばれるようになったそう。
バスから降りる時ガイドから、『絶対にアスファルトには触れないで!!』と堅い忠告を受けます。
現在は殆どの松が伐採されていますが、依然として危険区域には変わりなく、『ここから先は足を踏み入れてはいけない。』とガイドから忠告を受けます。
なので、近づく時もガイドから『何歩前に進んで。』と指示があります。
他のエリアでは空中での放射線量は1マイクロシーベルト程でしたが、ここでは空中でも4.6マイクロシーベルト。
地面も測っていましたが、他のツアー客が測っている所だったので、上手く撮影が出来ませんでした。
バスに乗り込む時も、「足踏みして放射能を落としてから乗車してね。」との指示もありました。
プリチャピ市(Prypiat)。
チェルノブイリ市より更に原発に近いプリチャピ市。
当時5万人近くの人が住んでいた街です。
こちらは市庁舎。
ホテル。
かつてはこんな感じだったそう。
こちらはスーパー。
ソ連時代にはスーパーと言うのは基本的になかったようで、当時はかなり貴重なスーパーだったそう。
ガイドから「今でもかなりの量の放射能が残っているから、絶対中には入らないで!!」との忠告があるので、中に入らず外から撮影しました。
ショッピングカートもあり、かなり大きなスーパーだった事が伺い知れる。
スーパー前に落ちていた鉄の蓋にガイガーカウンターをかざすと、かなり大きな数値を示しました。
途中からの撮影ですが、動画でどうぞ。
放射能は目には見えないけど、数値が高いと頭痛など引き起こすそうです。
廃遊園地。
プリチャピ市の中にある遊園地。
開業予定だった遊園地は、廃遊園地となりました。
実は、テレビ取材も同行していた。
英語ツアーに参加していた取材陣ですが、ガイドとウクライナ語?で話していたので、恐らくCIS諸国(ロシアなどの旧ソ連国)のテレビ局かと思います。
実はチェルノブイリは近年、観光スポットとして人気を呼んでいて、2015年は僅か8,000人程だった観光客も2019年には10万人と予想されているそう。
しかも、前年の3割増。
これについては、一番最後に説明します。
サッカースタジアム。
プリチャピ市には廃墟となったかなり巨大なサッカースタジアムもありました。
チェルノブイリ市。
ツアーの最後に訪れるのは原発事故から20km圏内のチェルノブイリ市。
ここではバスが一瞬立ち止まっただけで、「写真を撮りたい人はバスから降りて撮ってきてね。」と、そんなに時間を割いてもらえるわけではありませんでした。
放射能測定器で身体チェック。
最後に放射能測定器で放射能量をチェック。
1日チェルノブイリにいた私の放射能量は0.003ミリシーベルト。
日常生活でも僅かに放射能は浴びるそうでこの程度だと問題ないようです。
チェルノブイリツアーが大人気。
2016年よりウクライナ政府によるチェルノブイリの観光化ビジネスで、敷地内にトイレや食堂を設けたり、土地の一部を外部に公開するなど、政策が変わってきました。
2019年には4号機を覆う新石棺が完成した事で、以前より安全になりました。
そして、何よりも影響が大きいのはアメリカやイギリスなどで「チェルノブイリ」がドラマ化され、5話渡り放送された事。
このドラマを見てツアーに参加する20代、30代が多いそう。
まとめ
ツアーに参加しないと知れない事実を沢山知れて、とても有意義な内容でした。
⬇アンケートの回答はこちら(本日で締め切ります)。
当ブログのアンケート
その他、出発するまでの準備記事をまとめてご覧になられたい方はこちら。
【インデックス】ユーラシア大陸バイク旅の準備(まとめ記事)
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