今月、久しぶりに人前でコンチェルトを弾くので仕上げの練習に掛かっている。
もう残り2週間位になると、技術云々では無くメンタル的なトレーニングの要素が増えるので、以前紹介したMIDIを使って通す練習を増やしている。
普段の練習では、大抵、数小節を部分的に抜き出してやるが、何度か繰り返して同じ箇所を弾いていると、僕らの様なアマチュアでも2度と弾けないって位完璧に弾ける事がある。
最も良く弾けた演奏だけ繋いで弾ければ言う事は無いが、実際に通せばそう言う事は先ず有り得ない。
人間、不思議なもんで、通して弾いていると、何故かその最も良く弾けたイメージとリアルタイムで弾いている演奏を自分で比べてしまい、「あ~あそこあんなに練習したのに弾けなかった」なんて演奏中に関わらずつまらない事をイメージしてしまう。
そうすると、徐々にテンションが下がって来て、悪循環となる。
本番で100%以上の力が発揮出来る人は少ないだろう。
僕など、何十年も楽器を弾いて来て一度足りともそんな事を経験した事は無い。
最近、ふと、通して弾いてる時に気がついたのがこれで、だいたい、練習でも通して弾くと中々思い通りに行かないのだが、先に書いた様な事を自分で比較している事に気がついたのだ。
で、考えたのが「実力の50%も弾ければ充分と思う」事だ。
つまり自分でハードルを下げたのだ。
普段の練習の半分くらいなら通して弾いても何とかなるだろう。
これを100%やそれ以上やろうとするから自分の中でそのハードルに引っかかる。
その時、ふとそう言う事が頭に過ぎった途端に気持ちが楽になった。
結果的にはカデンツァまで通して80%位行ったのでは無いだろうか。
自分にとっては充分な結果だ。
最初から高いハードルを設定して進むよりは随分と気持ちも楽になるし、そのうち調子も上がると80%や100%行く箇所も出てきたりする。
相対的に見れば、その50%のレベルを上げようとすれば、自分の練習での100%を200%にすれば良いのだ。
結局、50%しか出来ないなら、部分的に抜き出してやる練習の精度を上げる(音楽のクオリティを上げる)事で自分では50%でも相対的な完成度は上がる筈だ。
やる事に関しては練習あるのみって事になるのだが、やったレベルの「半分で良いや」ってと思うのと「半分しか出来なかった」と思うのでは全然違う気がする。
特に演奏中は前に進むことのみが必要だ。休む事は許されない。
演奏中に事故が無くとも「あの部分、あんなに沢山練習したのにこれだけしか弾けなかった(ベストで弾けなかった)」と思うと演奏している自身のテンションも下がってしまう。
それが続くと、弾き進むにつれて自信が無くなり事故へも繋がる。
恐らく沢山練習してベストのレベルを高くしている人ほどそう思うだろうし、演奏前に緊張すると言うのも、結局、「自分はこれだけやった。ここまで弾けた」と、知らない間に自分に高いハードルを与えている為では無いだろうか。
「練習の半分も弾けりゃ良いや」と思っていれば、当然、それ程緊張する必要も無いだろう。
結局、それが実力なのだ。
そう思えば身体もリラックスして弓を持つ力も緩むし、耳も色々なところへ注意が行くようになり、結果としては良くなる。
普段抜き出して練習している時は、その1回の練習はそんなつもり(次がある)でやっている筈だ。
しかし、本番は一度きりだ。やり直しは許されない。
練習すればしただけベストを出したいのは人間誰しも同じ。
しかし、そこに落とし穴がある。
普段の練習は沢山やっても、その成果に関しては多くを求めない。
今更ながらこんな事に気がついた。
これに「50%の法則」と勝手に名前をつけたのだが、ある意味仕事でも同じ事が言えるのでは無いだろうか。
「自分はこれだけ頑張ったのに上司(客先など他人)は評価してくれなかった」と言う様な話だ。
逆に、半分でも評価して貰えたと思って仕事のテンションを下げずに頑張れば、最終的には良い評価に繋がるのでは無いだろうか。
今は競争の時代だが、努力は惜しまずとも、成果に関しては少しハードルを下げてみるのはどうだろうか。
「人事を尽くして天命を待つ」と言う言葉があるが、頑張ったら後は運を天に任せるのでは無く、頑張った成果を決めるのは自分では無い。そこに良い成果が生まれるのだ。と解釈しても良いかもしれない。
そろそろ受験シーズン。
受験生諸君頑張れ!