今回は、「学び」でも「気付き」でもなく、「決意」です。


僕は、西野亮廣さんのファンです。映画「えんとつ町のプペル」公開の2年ほど前からのファンです。あんな人になりたいという憧れや願望もあります。


でも、どうやらその考えを持っている人は少数派のようです。世の中の大半の人はこの発想じゃないっぽい(笑)


サラリーマンと個人事業主の割合は約9:1だと聞きますが、それに似ている気もする。


だから、それは仕方ない。大半の人が悪いんじゃないから。海外を知らないからわからないけど、日本に限っていうならば、それ(限定すると、挑戦者を叩く文化、見て見ぬふりをする文化)が日本の歴史であり、僕が生まれてからの52年でいうと日本の政治やマスコミの影響が大きいと思う。


最近なら「ジャニーズ問題」がその象徴。誰も悪くない。何ならジャニー喜多川さんだって僕は悪くないと思う。そういう性癖はある意味、仕方ない。そして、あの立場であれば隠すことが正義だったんだと思う。


でも、僕はこの状態に違和感を覚える。正直者がバカを見る状況はおかしいと思う。そんな社会を変えたい!という熱意を持って動いているN党の立花孝志さんを僕は「素晴らしい人」だと感じるし、尊敬している。


でも、これもまた、世間の意見としては反対が9、賛同が1ぐらいなのかもしれない。


立花さんの正義は、個人的にはすごく正しいと思うし、好き。ただ、「人を叩く」という意味では(すごく真っ当ではあるけれど)あまり良くない気もする。


ニシトアキコさんのおっしゃっていた「善性」に着目すれば、NHKの幹部や既得権にすがる人たちだって根っからの悪人ではないと言える。彼らにも守るべき家族があり、普通に人間としての自然な欲望があり、政治やマスコミの洗脳をずっと無意識に受けてきたとすれば、その被害者であるとも言えてしまう。


だから…


基本、「悪い人はいない」という考えをベースとして、でも、そうばかりは言っていられないのが現実社会でもあるから、大切なのはやっぱり「人に期待しない」マインドを育てることが有効だと思う。


「人に期待しない」


言い方を換えれば「見返りを求めない」ということ。ただ淡々と自身の「美学」に従いながら、人に寄り添う。


自分を偽らず、できるだけ裏表をなくし、正しいと思う行動をとる。多数派に忖度などしない。ただ、人の意見には耳を傾けて、人の気持ちは尊重する。


挑戦を潰してマウントを取る文化をなくしたい。誰もがやりたいことを誰に気兼ねすることもなくできる社会にしたい。一個人としてできること、できる発信を続けて、少しでも我慢やストレスのない社会に近づけばいいなと思う。