このたびは  幣も取りあへず 手向山
  
       紅葉の錦  神のまにまに

この度(旅)は、道中の安全を願って神に捧げる御幣も取り揃える間がありませんでしたが、代わりに見事な錦のような紅葉を、神々の御心のままに手向けましょう。

菅原道真は遣唐使の廃止を断行し、幕末の開国までおよそ千年の鎖国を実現しました。
しかし遣唐使の廃止は、中国交易の利権を牛耳る藤原一門を敵に回すことでもあったのです。
そして道真は、藤原氏による排斥運動に遭い、遣唐使廃止の二年後には大宰府権帥に左降され、宇多上皇の弁護も空しく大宰府で亡くなっています。

それだけのことをした菅原道真が、いわば全盛期のときに、自分を最も可愛がってくれた宇多上皇の秋の紅葉狩りに同行し、「神の御心のままに、目の前に広がる素晴らしい紅葉を捧げます」と詠んだのがこの歌です。
そこに表れているのは、どこまでも私心を捨てて、あくまでも神々の御心に忠実であろうとした謙虚な姿勢です。

私たち人間も森羅万象の一部ですから、「神のまにまに」という言葉の中には、人も自然の一部として、神々の大いなる意志に委ねながら生きるのが、本来あるべき姿なのだという教えが含まれているのです。

そこまで思いを致せば、人々が幸せに生きられるよう、自然と共存する豊かな社会を築けるよう、己の才能を生かし、己の人生を捧げていく、「そういう生き方を私はしているのだよ」という菅原道真の声が聞こえてくるようではありませんか。


菅原道真公 歌碑


 東風吹かばにほひおこせよ梅の花
        あるじなしとて春な忘れそ


 昌泰四年(九〇一)に大宰権師を命じられた菅原道真公が京都を出発される際に紅梅殿の梅に惜別の想いを込めて詠じられたもので、公を慕って一夜のうちに京より大宰府まで飛来したといわれる御神木「飛梅」(御本殿右側)の由来として有名である。















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