久しぶりに、著書解説的なこと。

 

 わたしは基本的に

 

 小説にあんまり物語性を求めないのですが、


 『低温火傷』は、

 

 わたしの小説の中で最も物語的、かつ思想的だと思います。

 

 左手を骨折した主人公が

 

 観覧車からセーラー服を着て落ちて死んだ兄の恋人に会いに行く、

 

 というお話です。(ざっくりしすぎなあらすじ)



 書く前から三冊組みで出版されることが決まっていたので、

 

 中嶋らもさんの「ガダラの豚」みたく、

 

 一冊一冊がまったく違うジャンルのお話に見えたらいいなと思ったけど、

 

 結局ぜんぶ愛をめぐるお話でした。

 

 

 ラスト、主人公が心に決める想いは、

 

 いまだにわたしの思想の真ん中にあります。


 


 



 



 

 

 

 

 せっかくなので、自分の書いたお話について書いてみようと思います。

 順番はなんとなく、なので、書いた年代順ではありません。

 思い入れ順でもありません。


 今回は、

 

 「おしまいの時間」

 

 について。

 

 確か、二十一歳のときに書いたお話です。

 小説としては、三作目で、幻冬舎文庫の創刊書き下ろしだったと思います。

 

 主人公は、押入れに閉じこもりがちな二十一歳の和泉リカコ(いずみりかこ)。

 

 ある日、高校時代の演劇部の顧問のお葬式で、

 同じ部活仲間だったイズミに再会します。

 そして、先生の弟だというワタルくん、という高校生の男の子に、

 「いずみさん」

 宛ての、遺書があるといわれます。

 先生の死と、イズミとワタルとリカコの、夏の日々の物語です。


 自分の記憶だけであらすじを書いてみました。

 (なんだか読み返したくなりました)

 

 ほぼ十年前のお話なので、

 まだ携帯電話じゃなくて、主人公がポケットベルを持ってたりするので、

 今読み返したら時代を感じるだろうなあ。


 この物語をめぐるわたしの記憶。


 この小説を出版してから数年後、

 久しぶりに会った高校時代の友達に、

 「わたしのこと書いたでしょう」

 と、言われました。

 

 「出来事」はすべてわたしの空想だけれど、

 確かにイズミという女の子のことは、彼女をモデルにしている部分が少なからずあったので、

 確かに彼女のことだと思われても仕方がなかったのですが、

 

 「そう思いたかったらそう思えば?」

 

 なんて、リカコみたいな答え方をしたのでした。


 彼女のおかげなのか、

 リカコという、すっごい嫌な女、が、

 好きです、というお声を良く頂きました。


 わたしも、今でも、リカコのことがすごく好きです。