34からの続き…。




『勘右衛門(かんえもん)』という男を知っているか?


佐賀県武雄市の郷土史の中に出てくる人物だ。



え?  

知らない?



仕方ないなぁ。 


歴史のお勉強だ。 



教えてやる。


ちなみに俺は『英語』を教えることが多いが、


教育免許は『中学社会』 『高校地理歴史』 『高校公民』をもっている。


先生の話をよ~く聞くように!(笑)



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享録三(1530)年。



時はまさに『戦国』。



豊臣秀吉が1590年に全国統一を成し遂げる60年前の話。




島原半島を制した敵将『有馬晴純』は、


自ら大軍を率いて、武雄領主『後藤純明』に挑む。




『有馬晴純』は武雄の塚崎城を攻め、山内の住吉城まで迫る。



『後藤純明』は勝利を黒髪山に祈り、三間坂の白水原に陣取っていた有馬軍を奇襲する。






奇襲は成功。


敗走する有馬軍。





その有馬軍の殿(しんがり)を務めるのは、


勇将『林田左馬之助』。




殿(しんがり)というのは、

後退する部隊の中で最後尾の箇所を担当する部隊だ。



敵の追撃を阻止し、本隊の後退を援護することが目的である。




そのため本隊からの戦闘加入を受けることも出来ず、

限られた戦力で敵の追撃を食い止めなければならない最も危険な任務であった。




このため古来より武芸・人格に優れた武将が務める大役とされてきた。





続く…。