こんばんは。
悲しみを乗り越え、生きてて良かったと思える日をお届けします大友智子です。
私はモノの要る・要らないを割と瞬時に判断する方です。
子供が学校で配られたプリントも目を通して予定表に書き込んだら廃棄。
チラシもさっと目を通したら古新聞入れに。
郵便も保存しなくていいと判断したらすぐ廃棄。
あきびんや空き缶、紙袋といったものも必要と感じなければ取っておくことはしません。
今日もたまたまそうした仕分けをしていて思ったのです。
「あぁ、モノの仕分けと出来事に対する思いの整理は似ているのかもしれない」と。
過去にある苦しい出来事がありました。
思い出す度に悔し涙や、痛みの涙や、立ち上がれない涙を流してきました。
人に相談することは恥ずかしかった。
こんなことを仕出かすなんてバカじゃないかと思われたくなかった。
なかったことにしたかった。
けれどこれは一人で仕分けや整理ができませんでした。
なかったことにもできなかったのです。
意を決して相談をしました。
「なんでこんなことやってるの?」
「こんなの一人で解決したら?」
そんなこと一切言わずに、共に出来事の整理・それに対する心の整理をやってくださいました。
整理しながら文章化したものは、私の手元にあるものだけで実にコピー用紙で300枚分にも及びました。
まだこの枚数は増えていきそうです。
これを見て感じたことは
「人間の心はこんなにも複雑にできているんだ。。。。
複雑だからこそ、この迷路から抜け出すまで迷うことも行き止まりになってしまうことも多い。
しかし複雑だからこそ、その織り上がりは二つとして同じものはなく、息を呑むほどに美しいんだ」と。
仕分けや整理が不得手でもいい。
必ず手を携え、共に考えてくださる人はいる。
だからこの先も自分の人生を諦めないで行こう。
そう強く思える過去の整理です。
本日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
ゆっくりおやすみください。