こんばんは。

 

悲しみを乗り越え、生きてて良かったと思える日をお届けします大友智子です。

 

 
 

「この悲しみや苦しみの底には、一体何があるのだろう」

 

そんなことを考えるようになったのは、つい最近のこと。

それまでは「自死遺族という可哀想な人生を背負わされた私」という立ち位置でいました。

 

 

「なぜ可哀想という立ち位置を設けたのだろう」

「私は可哀想なの?」

 

 

ひとつひとつ丁寧に考えていくと、ゆっくりだけれど絡まっていた糸がほぐれてくる感覚がありました。

 

 

母から、夫から、あるいは他者から、もっともっとこうして欲しいという自分の思いだけが突き進んでしまっていた。

 

家族はこうあるべきという自分の理想に当てはめようとしてしまっていた。

 

 

その思いが外れた時

その理想が崩れた時

 

「私は思いが叶わない可哀想な人」となり、その思いが根底にあるから悲しみに打ちひしがれ、苦しみもがいていたのか・・・・

 

 

 

私は両親からこの命をもらい、健やかに育てと大事にしてもらえた。

私は夫と出会ったことによって生家では味わえない楽しみを知った。

私は夫と4人の子供を育てる醍醐味を味わった。

 

〈今〉はどの関わりを除いても手にすることが出来なかったもの。

たくさんの関わりを経てここまでこれたこと、何て幸せなことなのだろう。

 

丁寧に紐解いていったなら、幸せにたどり着けるのだと感じています。

 
 

 

 

本日もお付き合いいただきましてありがとうございました。

ゆっくりおやすみください。

 
 
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