こんばんは。

 

悲しみを乗り越え、生きてて良かったと思える日をお届けします大友智子です。

 

 

 

人にはいろいろな側面があります。

娘であったり、母であったり、町内の一員であったり、仕事上の人であったり、嫁であったり。

 

私はどの立場に立った時も

「相手から見た時、どう振る舞えば褒められるか」ということを過剰に追求していました。

 

 

「母の言う通りにしていれば」

「子供のために頑張っていれば」

「遅れずに会費を払っていれば」

「出してくる望みをすべて汲んでいれば」

「我慢に我慢を重ねていれば」

 

 

 

私の中にある「コップ」の大きさは決まっているのに、大量の「~していれば」が流れ込み、あふれ出しました。

 

私の我慢は怒りに変貌しました

「こんなに私は頑張ってきたのに!」と。

 

 

長い間、怒りを放置してきました。

母の死も夫の死も、心を閉ざすことで単なる出来事としてきました。

これも「どう見られるか」の追求の一片だったのだと、今思うのです。

 

 

怒りで荒れ狂っている自分の心を見ることは勇気が必要でした。

母や夫の死について考えていくことにも勇気が必要でした。

 

それでも見つめることで私が行き着いたのは・・・・

 

「相手から見て素晴らしい娘であったり母であったり、町内の一員であったり仕事上の人であったり嫁であったり・・・・そんな必要はないんだ。

大友智子という1人の人間として、これ以上でも以下でもない〈私〉を生きていこう」

 

 

 

迷いも怒りも涙もあるけれど、それがある自分もヨシとする。

失敗してしまう自分も、そこから立ち上がり成長するからヨシとする。

出来ないこと・理解に時間がかかる自分もヨシとする。

 

私が〈私〉を大切にすることは、この命を送り出し、育んでくれた家族への恩返しであると感じているのです。

 

 

 

 

本日もお付き合いいただきましてありがとうございました。

ゆっくりおやすみください。

 
誰にも相談できない、心の声をお聴かせください
いただいたメッセージは、1通1通、丁寧に目を通させていただきます


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