こんばんは。

 

悲しみを乗り越え、生きてて良かったと思える日をお届けします大友智子です。

 

本日もブログに訪れていただきありがとうございます。

 

 

 

私の母は生きていたならば81歳。

どんなおばあちゃんになっていたのだろうと思います。

 

 

 

母は裕福な家庭で育ったわけではありませんでした。

母が物心つく前に父親は亡くなったそうです。

祖父が父親代わりとして頑張っていたようですが、焼夷弾があたった傷が元で亡くなり。

 

母親が女手一つで伯父と母を育てたそうです。

 

 

「雛人形までわずかなお米になってしまったことは悲しかった」

「兄のご飯が優先で、食べさせてもらえないことが悲しかった」

「母親にはそばにいてもらいたかった」

「友達と一緒に修学旅行に行きたかった」

「ピアノも習ってみたかった」

「高校にも行きたかった」

 

母と一緒にお風呂に入ると、そんなことを言っていました。

 

 

 

母の過干渉がつらかった私。

「私のことにそんな出しゃばってこないで」と思っていた私。

私の目も心も曇ってしまい、見えなかった母の心。

 

 

母は・・・・

やりたいのに出来ない悲しさを知っていた。

そばにいて欲しいのに離れていってしまう寂しさを知っていた。

自分の分が欲しいのにもらえないつらさも知っていた。

 

欲しくて欲しくて、やってみたくて、行ってみたくて仕方のない子供時代に、手に入らない悲しさ・寂しさ・つらさを味わってしまった。

 

 

ピアノをやりなさいと言ったのも

毎日三つ編みをしてくれていたのも

娘の動向が知りたかったのも

 

「あんな思いはさせたくない」「あんな思いをしたくない」

そんな母の心の表れだったんだと思えるようになりました。

 

 

 

投げかけるのも受け取るのも不器用同士の母娘だったのだと思います。

 

それでも激しい戦火の中を生き残り、栄養不良の時代も乗り越え、必死に生き、私をこの世に送り出してくれた母の存在には大きな大きな意味があり、それを息子たちへ恩送りできることに深い深い感謝をしているのです。

 

 

 

本日もお付き合いいただきましてありがとうございました。

ゆっくりおやすみください。

 

 

誰にも相談できない、心の声をお聴かせください
いただいたメッセージは、1通1通、丁寧に目を通させていただきます


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