こんばんは。

 

悲しみを乗り越え、生きてて良かったと思える日をお届けします大友智子です。

 

 喪失感の中にある方、自分に価値を見出せない方、泣くことすら出来ずに一人で悩まれている方に対するカウンセリングと講演を承っております。

 

 

本日もブログに訪れていただきありがとうございます。

 

 

私は子供の頃、顔が父親似でした。

周りからもそう言われることが、何となく嫌でした。

 

父は専業主婦だった母のことを「三食昼寝付き」と言っていたから。

異様なくらい完璧主義でもあったから。

 

 

けれど父は一人の働きで家族を養い続けてくれました。

旅行に出かけては思い出も作ってくれました。

 

 

そんな父は40代前半に、病気を発症しました。

激しい痛みと身体から自由が奪われていく日々。

 

「それだけでお腹いっぱいになってしまうよね」というくらい大量の薬も服用していました。

 

痛みのせいもあったのでしょうが、何となくいつもイライラしている感じでした。

腫れ物に触るような緊張を強いられました。

 

 

私は山梨にある短大に通っていましたが、住んでいた古いアパートにはエアコンはおろか、扇風機もありませんでした。

夏場、夜になっても室温は36度から下がらず、私は父に電話をしました。

 

「あのね、とても暑くて」

そこまで言った時

「こっちだって暑い!」

 

私はその後に言いたかった「扇風機を買ってもいい?」という言葉を飲み込みました。

そして父に対して嫌悪感だけが残りました。

 

 

 

大量の薬を何十年と飲み続けてきた父。

腎臓が機能しなくなりました。

心臓も肥大していました。

そして脳が萎縮していました。

 

 

アルツハイマーのせいだとはいえ、自分勝手な行動をする。

初対面の相手にも大声で怒鳴り散らす。

それを私たちが謝って歩く。

 

姉の家と私の家と、代わる代わる父の介護をしていた時期もありました。

けれど私は姉のように献身的になれませんでした。

 

 

父の意識が混沌とし、レントゲンで撮った肺は真っ白で、透析も満足に出来る状態ではなくなり、素人でも別れが間近なことは分かりました。

 

姉は「桜を見に行くって言ったでしょ!」と父にすがって泣いていました。

けれど私は泣けなかった。

「もう楽になっていいんだよ」と父に語りかけました。

 

 

母も夫も命を絶ってしまった。

父にも姉ほど献身的ではなかった。

葬儀でも泣けなかった。

 

そんな自分を冷たく愛情が欠如しているのではと思ってきました。

ずーっと苦しみがありました。

 

 

死別は遺された者の心に大きく重いものを残していきます。

問いたくても相手はもういない。

 

けれど、生前どんなにこじれたものが横たわっていても、愛情が断ち切れることはないのだと感じるのです。

 

愛情や絆や感謝といった感情があるからこそ、後悔もあれば苦しみもあるのだと。

 

 

 

本日もお付き合いいただきましてありがとうございました。

ゆっくりおやすみください。

 

 

死別・喪失感専門カウンセラー

大友智子

 
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