こんばんは。

 

悲しみを乗り越え、生きてて良かったと思える日をお届けします、ともちゃんこと大友智子です。

 

 喪失感の中にある方、自分に価値を見出せない方、泣くことすら出来ずに一人で悩まれている方に対するカウンセリングと講演を承っております。

 

 

本日もブログに訪れていただきありがとうございます。

 

 

 

常識と感情のズレの苦しみを奥深く葬った

 

母が命を絶ってしまった後、私の中には悲しみよりも母に対する怒りがありました。

「自分の思い通りにならないからと勝手に当り散らして、勝手に死んで!」

 

けれど普通一般的には親のことは尊敬し、親の死は悲しいものという常識が私を一層苦しめました。

 

「母親を尊敬できない。母親の死を悲しめない。母親が死してなお憎しみを持っている」

常識と自分の感情のズレをどう修正していけばいいのか分かりませんでした。

 

母の四十九日が終わってすぐに結婚をした私は、母にまつわることを掘り起こすことが困難なほど奥深くに葬り去ったのです。

 

 

 

家族を死に追いやった自分への憎しみ

 

それから14年の歳月がたち、予想だにしなかった夫の自死。

自分の人生の中で2人の家族が自死。

それもその原因は私であることは決定的で。

 

この時は夫に対してどう思うかというよりも、2人の人間を死に追いやった自分が憎くて憎くて仕方ありませんでした。

 

「私みたいな人間が生きている価値がどこにあるのだろう」

目の前に大切な子供がいるにも関わらず、そこに思いを持っていく余裕などありませんでした。

 

夫が命を絶つために使ったものを父は捨てようとしたのですが「勝手なことをするな!!」と喚き散らしました。

 

「一生、これを見て自分を傷つけていけばいいんだ!」

自分をボロボロにしてしまいたかったのです。

 

 

生きているだけで必要な支えが現れる

 

母娘が、夫婦が仲良く歩いているのを見るだけでも泣けてくるということはなくなりました。

それだけ私の心が清らかになったのかといえば・・・・

 

掘り起こせば怒りや憎しみを抱えた私が出てきます。

 

勝手に命を絶った母と夫に対する怒り。

自死遺族としてどこかコソコソと生きてこなければならなかったことに対する怒り。

家族二人を死に追いやった冷たい自分に対する憎しみ。

 

人の心は簡単ではないです。

正直、この感情をどう浄化すればいいのか私も分かりません。

 

でもひとつだけ言えること。

生きていたら、生きているだけで自分に必要な支えとなる人が・助けが現れる。

 

毒づいてもいい。泣き叫んでもいい。やる気がなくなってもいい。

でも生きる道を絶たないでほしいのです。

 

 

 

本日もお付き合いいただきましてありがとうございました。

ゆっくりおやすみください。

 

 

死別・喪失感専門カウンセラー

大友智子