こんばんは。

 

悲しみを乗り越え、生きてて良かったと思える日をお届けします、ともちゃんこと大友智子です。

 

 喪失感の中にある方、自分に価値を見出せない方、泣くことすら出来ずに一人で悩まれている方に対するカウンセリングと講演を承っております。

 

 

本日もブログに訪れていただきありがとうございます。

 

ホームページの〈心の声を聴く目安箱〉にご意見をいただきました。

私の体験を交えてお答えさせていただきます。

 

 

母への反発

 

 

私の母は何事にもきちんとした人でした。

どんなことに対して丁寧に行う人でした。

 

なので学校の役員や地域の活動をよく頼まれていたように思います。

 

父も几帳面な人でしたが、そんな両親から生まれたとは思えないほど、私がやることは大雑把でした。

 

きちんとしている母としては「こんな大雑把では将来苦労するかもしれない」と感じたのかもしれません。

母自身のきちんと感を私に当てはめようとしました。

 

髪型は三つ編みで。服は親が買ってきたもの。友達とだけで行動してはいけない。

 

 

高校の時「進学先は姉と同じ音楽の道に進みなさい。そうすれば将来は一緒に仕事ができるんだから」

私はピアノを習ってはいましたが、母が決めたことだったので嫌々通っていました。

なので譜面もろくに読めないのです。

 

なのに音楽の道に行かせようとする母に猛烈な反発心が出てきました。

 

「絶対県外の学校に出て行こう」

私の心は決定的に母から離れてしまったのです。

 

 

夫との別居

 

母の束縛から逃れたくて、誰でもいいから早く結婚してしまいたかった私。

偶然出会ったのは16歳も年上の人。

職業も家族構成もよく分からないうちに「ここで逃したら、またいつ結婚相手が見つかるか分からない」とばかりに、早急に話を進めていきました。

 

母の束縛から自由になるための結婚だったはずなのですが、今度は「農家の長男の嫁」という屈強な縛りが付いて回ることになりました。

 

家事や農家仕事をするのは当然のこと、跡取りの子供を産まなければならない、地域で葬儀があれば全てが終わるまで裏方作業に出なければならない、嫁ぎ先の親族と義母の親族への挨拶が何よりも大事・・・

 

「私のこと、タダで使えるお手伝いさんだと思っているんでしょ!」

夫は謝っていたのですが、私は別居を選択しました。

 

 

知ろうとしなかった私

 

「ホントにうるさい母親だ!」

「何の手伝いもしない夫のくせに!」

 

私を苦しめた。

絶対に許さない。

 

母の思いを知るために歩み寄ろうとしませんでした。

夫がどんなに家族のことを考えていたのか知ろうとしませんでした。

 

母が命を絶ち、夫まで命を絶ち、取り戻すことが出来なくなって初めて母や夫がどれほど私のことを考えてくれていたかについて思いを馳せるようになったのです。

 

「生きていちゃいけないのは私の方だったんだ」

 

 

だからこそ生きる

 

ちょっと先生に褒められたことであっても、心から喜んでくれていた母。

誰が褒めなくても認めてくれていた母。

「幸せになるんだよ」と最後の最後まで思いを寄せてくれていた母。

 

お金の心配などさせなかった夫。

私と義母の板挟みになっても堪えていた夫。

実は私の方が頼りきっていた夫。

 

 

そんな母がいてくれたから、そんな夫が支えてくれていたから、今の私がある。

今の私を消してしまうことは一瞬なのかもしれないけれど、母の願いを・夫の思いをまた踏みにじることをしてはならないと思っているのです。

 

心に重荷を抱えて生きることは苦しいけれど、それでも母や夫から託された命をちゃんと使っていかなくてはと思うのです。

 

 

 

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本日もお付き合いいただきましてありがとうございました。

ゆっくりおやすみください。

 

 

死別・喪失感専門カウンセラー

大友智子