こんばんは。

 

悲しみを乗り越え、生きてて良かったと思える日をお届けします大友智子です。

 

 

 

育ててもらったことに感謝はしつつも

どこか親に対して心許すことが出来なかった私。

 

夫は自分の知らないことを知っていて尊敬していると言いつつも

何でもっと人の気持ちに気付かないのかとモヤモヤしていた私。

 

人生の先輩だからと思いつつも

義母のだらしなさが許せなかった私。

 

 

自身の親とうまくいっていない人の話を聞いては「やっぱりそうだよね!」

 

夫婦がギクシャクする話を聞くと「分かる分かる!」

 

姑は昔の価値観を押し付けると聞くと「私は正しいんだ!」

 

 

自分の考えや体験が再現されたり、美しく映し出されたものは受け入れやすく、やはりこれでいいんだと安心を獲得してきた。

 

 

 

そうして過ごした長い時間。

安心というものの裏で、私の心に澱んでいたものは〈許せない自分〉

 

 

過干渉の親も許せないが

産み育ててくれた親に本気で感謝もできない私なんて・・・

 

釣った魚には餌をやらない的な夫も許せないが

夫にこうして欲しいと自分の思いすら言えなかった私なんて・・・

 

だらしない義母も許せないが

特に何をされたわけでもない義母を激しく拒絶した私なんて・・・

 

 

己を傷つけ、治りかけた傷のかさぶたも無理やり剥がしながら生きていた。

 

 

 

ふと思い出した光景がある。

中学校の体育の時間。

 

その日はバレーボールだった。

相手コートから飛んでくるボール。

 

「怖い!痛そうだ!」

その瞬間、スッと避けてしまった。

相手は返して欲しいのに、私は避けるばかり。

全く進まなかった。

 

けれど意を決して飛んできたボールに両手を出してみた。

ポーンとボールは相手コートに返っていった。

 

 

あの時と一緒だ。

 

自分にとっては嫌だったこと・真逆の価値観・あり得ないと感じたこと。

怖いし痛そうだけれど、それらも一旦受け取ってみたら・・・

 

「母にとって精一杯の愛情が強い守りになってしまったのかもしれない」

「夫も言ってくれたら何でもやるよという構えでいたのかもしれない」

「義母は義母で私の世界を邪魔しないようにしていたのかもしれない」

 

 

今、〈許せた自分〉が立っている。

 
 

 

本日もお付き合いいただきましてありがとうございました。

ゆっくりおやすみください。

 
 
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こんばんは。

 

悲しみを乗り越え、生きてて良かったと思える日をお届けします大友智子です。

 

 

人は生きている間に色々なことを経験する。

 

とてもいい波が来て、格好良くその波に乗ることが出来る時期もある。

背後から忍び寄るようにやってきた波によって、全てを打ち砕かれる時もある。

 

 

私は子供の時、海で足が届くか届かないかの深さのところで波が来て、上下左右が分からなくなった。

 

目に映るのは巻き上げられた砂。

「もうダメだ」と思ったことを覚えている。

 

 

 

人生の中でも様々なことが停滞し、何をどうすればいいのか分からなくなってしまうことがある。

そんな時、ふと「もうダメだ」と思ってしまう。

 

 

母が自死を選んでしまった時、2ヶ月後に迫った結婚は破談になると思った。

 

夫が自死を選んでしまった時、お金のことが全く分からない私にはもうどうすることも出来ないと生きる希望がなくなった。

 

やってもやっても人生の整理をつけられなかった数年間。

自分の価値などどこにもないと思った。

 

 

 

ー時間ー

 

これには即効性はない。

けれどこれは一時凌ぎに症状を抑えるということではなく

根本から自分を改善させる効果があることに気づいてきた。

 

 

私も短期的に巻き返そうとしていた。

すぐ結果を出したがった。

傷なんかなかったことにしてみせた。

痛みも悲しみも怒りもないものにしてきた。

 

 

すぐに出来ないのは・傷の痛みに涙するのは・怒りに震えるのはダメ人間だと決め付けていたから。

 

そんな決め付けで何ともない風にしていても、ただの対症療法でしかなかった。

直ってなんていない。

痛いものは痛い。

悔しいものは悔しい。

苦しいものは苦しい。

 

 

 

時間が直っていない傷を認めてさせてくれた。

時間が傷を負っても歩んできた自分の頑張りを認めさせてくれた。

 

そんな自分を認めた時、私は楽に生きられるようになった。

 

これまでどんな状態であってもやってきた自分の時間も

これから先自分に与えられた時間も

唯一無二の輝かしいものとして大事に背負っていきたい。

 
 

 

本日もお付き合いいただきましてありがとうございました。

ゆっくりおやすみください。

 
 
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こんばんは。

 

悲しみを乗り越え、生きてて良かったと思える日をお届けします大友智子です。

 

 

自分のダメなところ・出来ないこと。

数えようと思ったら両手両足の指を全部使っても足りない。

いくらでも際限なく挙げられる。

 

 

もし自分の命さえ捧げてもいいほどの我が子が

「ここもダメ、こんなことも出来ない、あんなところもダメ・・・・」と自分のダメさ加減を言い続けたら、私は何と答えるのだろう。

 

 

「そうかそうか、そんなにダメだと思うこと・出来ないと思うことがあるんだね。

それでもよくここまで生きてきたね!立派立派!!」

 

こう声がけをする自分が簡単に浮かんできた。

 

 

 

どんなにたくさんのダメなことを抱えていても

どんなにたくさんの出来ないことがあっても

 

50年も生きてくることが出来た私。

 

 

あぁ、私には「生きる」ということが出来るんだ!

「生きる」ということを一生懸命磨いていけばいいんだ!

 

ただ一つ「生きる」ということを磨いていったなら

それは私の生きがいとなり

私の支えとなり

私のいのちとなるだろう。

 

 

たった一つでも出来ることを磨く。

それがありふれたことであっても

誰もが出来ることであっても

心を込めて磨いていこう。

 

 
 

本日もお付き合いいただきましてありがとうございました。

ゆっくりおやすみください。

 
 
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こんばんは。

 

悲しみを乗り越え、生きてて良かったと思える日をお届けします大友智子です。

 

 

私は料理が得意じゃない、母親なのに。

私は計算が得意じゃない、経営者なのに。

 

そんな負の感情を絶えずどこかに抱えて生きてきた。

 

 

そこから派生して

だから母や夫は命を絶ってしまったんだという思いに結びつけていた。

 

全く関係のない点を強力に結びつけ、消しても消しても消えないような太い線にして生きてきた。

 

 

 

 

見えないウイルスの影響から強制的に始まったステイホーム。

 

冷蔵庫に入っているものから何とかひねり出して食事を作る。

時々「ウォ!これ美味い!」と息子が喜ぶ。

「あぁ、私も料理できるんだ」

 

心から喜びが溢れた。

 

 

離れて暮らす息子たちにおかずを宅急便で送った。

帰ってきて領収書とお釣りを照らし合わせたら300円以上少ないお釣りだった。

電卓で計算していたし、今更少ないと言ってもどうしようもない。

「宅配業者さんは忙しいと聞いている。少なかったお釣りは業者さんへのチップだ」

 

心が軽くなった。

 

 

小さなことでも心を満たしていくことで、小さな変化が。

 

「家族の自死、それも二度に渡る家族の自死を抱えながらここまで生きてきた。それだけで十分だよ!」

 

 

自分で自分を受け入れられた。

点と点の間に引かれていた太い線も、スーッと薄くなっていった。

 

 

またいつ・どんな拍子に点と点の間に線を引いてしまうか分からない。

その時はまた些細なことで自分の心を満たそう。

本当にちっちゃなことでいいのだから。

 
 

本日もお付き合いいただきましてありがとうございました。

ゆっくりおやすみください。

 
 
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こんばんは。

 

悲しみを乗り越え、生きてて良かったと思える日をお届けします大友智子です。

 

 

世の中に「絶対」ということは存在しないのかもしれないが

それでも「一縷の望み」があればかけがえのないものを守れる。。。

 

 

 

もう30年以上も昔の話だが一浪したのち再挑戦した大学受験。

第一希望も落ち、その後手当たり次第受けても合格通知が来ることなく。

 

もうすでに3月。

二浪できるほど経済状況は良くないだろうと思い大学進学を諦めかけた。

 

なぜもっと勉強しなかったのかという後悔と

大学で文学の勉強がしたかったという悔しさと

 

 

19歳の私にはこれ以上のつらさはないと感じるくらいつらい出来事だった。

 

 

失意の中にあった私に

「ここがまだ間に合う。これをあげるから受けてこい」

先生が差し出してくださった願書。

 

 

その学校での学び・出会い・経験。

最高の宝になった。

 

 

 

 

たった一つ差し出された情報。

それがどれほど救いになるか、私は19歳の時体験した。

 

たかが受験。

されど受験。

 

 

今、新型コロナウイルスにより多くの我慢を強いられている。

経済的に、精神的に、肉体的に。

 

19歳の時の私がそうであったように

追い詰められてしまうと

諦めてしまうと

 

情報が見えなくなってしまう。

差し出されている手があるのに気付けなくなってしまう。

 

 

私が探せる情報は些細なものかもしれない。

それでも探すことを諦めませんように。

 

私なんかが教えてもと立ち止まりそうになる。

けれどどこで誰が必要としているかなんて分からない。

私なんかがと恐れてしまいませんように。

 

 

大切な気持ちを守るために

大切な命を守るために

 
 

 

本日もお付き合いいただきましてありがとうございました。

ゆっくりおやすみください。

 
 
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