8月4日、名張での「甲田光雄先生 生誕100年感謝の集い」(以下「会」)を盛会のうちに終え、そこでお話したことをブログにアップするつもりでいましたが、すっかり遅くなってしまいました。今日は当日頂いた30分間の短い講話でお話したことに若干の補足を加えて紹介したいと思います。
下は「甲田療法とは何か」を5段階にわたって説明したスライドです。以下、一つ一つ順に当日お話したことをベースに簡単に解説します。
「①治病健康への道」
先ず「①治病健康への道」です。
これが甲田療法への入り口になります。
甲田先生は西式甲田療法(西式健康法をベースに甲田先生が独自の工夫を加えたもの)で現代医学に見放された万余の患者をお救いになりました。その基本は菜食ベースで少食を基本とした食事と6大法則です。
下の本は滝泰三さんというルポライターが甲田医院に体験入院し、そこで経験したことルポタージュした書籍です。
会ではこの本からある青年の体験談を紹介しました。それが以下です。(同著より転載)
患者へのインタビュー(西川君34歳)
神様はどうしてこんな不公平をなさるのかと思わずにおれない。西川さんの身体は、もうぼろぼろになっていた。どこの病院でも手のつけようがない。西川さんは何度自殺を覚悟したことか。脳圧昴進症、狭心症、胃潰瘍、腎炎、肝炎、有痛性大腸憩室症、上下肢異常、腱反射異常、椎間板ヘルニア・・・・あとまだあるのだが略す。この病名はみな現代医学の大病院がつけたものである。
やっとの思いで3月18日に入院してきた。小型ライトバンを改造してベッドを備えつけ、世帯道具一式を積みこんで長期入院の覚悟だった。やせこけて青白い顔だが、目はしっかりした力を持っていた。私が会ったのは短い期間だったが、私と話す時の口調はもう自殺を考えていた時のそんなものではなかった。生きる希望が身体じゅうにみなぎっていた。五日間の断食を六回、その間は生菜食を続け、あれほどの症状がすべて好転してきた。
この本を読んでいる人はほとんど信じられないだろう。しかし、これは西川さんを実際に見て私が確認したことである。
8月2日退院の日、西川さんは涙ながらに自分の病歴を語った。
「甲田先生は、こんな私を見て、『治るよ、必ず治してあげる』とおっしゃって下さいました。」
「私は泣きました。こんな私が本当に治るのかしら、病院という病院が、お医者さんというお医者さんがみな信用できなかった私に、甲田先生は治してあげるとおっしゃって下さいました。そしていま、私は元気で帰れるのです。帰りましても先生の指示どおりの生活を続けます。甲田先生は私のお父さんです……。」(後は言葉にならなかった)
(転載おわり)
この青年の体験は「稀にあった奇跡」でなく、甲田医院では日常茶飯事でした。かくいう私も難病の一つ「慢性疲労症候群」をたった一月で魔法のように治していただきました。
このことは以下のブログで書きました。
このような難病治療は勿論、甲田療法の目的の一つですが、「健康になって何をするか」これが大事だ、と甲田先生はよくおっしゃっていました。それが次の「願望実現」です。
②願望実現への道
これについて甲田先生は以下のようにご講演の中でお話です。(以下転載)
西式健康法はいったいどんなものなのか、ここでそれを簡潔に申しあげると、「自分の想いを実現させるもっとも科学的な方法である」ということです。
私たちにはそれぞれ、人生の目標とか夢を持っています。「これだけはぜひ、死ぬまでになし遂げたい」とか、「将来はこのような人間になって生涯を終えたい」といった目標をもって、それを実現するべく努力しているわけです。
このような目標を実現させるのに、もっとも科学的で素晴らしいものがある、これがすなわち、西式健康法であるのです。したがって、すこやかで元気に老齢期を過ごしたいという夢はもちろん、「聖人君子になって、悩める衆生をすべて救いたい」といったような崇高な夢も、この西式健康法を実行すれば可能になると言われているのですよ。
世の中には、たくさんの健康法が普及していますが、これほど深遠で壮大な健康法はまず見当たりません。では、そのような夢を実現するための具体的な方法は?
それは西式健康法の六大法則を毎日規則正しく実行することです。その中でも特に背腹運動に全力を注ぐことです。(転載おわり)
ここで甲田先生は「背腹運動」に力を注ぐことが「願望実現のもっとも科学的な方法である」とおっしゃっています。
実は患者に与えられた甲田先生の処方には6大法則のうち5つ(平床、硬枕、金魚運動、毛管運動、合掌合蹠運動)はたいてい書かれていましたが、「背腹運動」を加えられたケースはそう多くありませんでした。私の処方もそうでした。
では、背腹運動は重要でないかというと真逆で、西先生も、甲田先生も六大法則の中で背腹運動こそ肝要中の肝要ということをおっしゃっていました。
これはどういうことでしょう。その理由は「治病、療法」という観点で言えば、先ずは先の5つを優先するほうが良い、ということでないかと思います
さらに加えれば「願望実現」から「神の声を聴く」に至る4つの段階を踏むに際しては「背腹運動」こそ重要な実践法なのである、ということが西先生、甲田先生のおっしゃりたいことだったのでしょう。
潜在意識の受け入れ態勢を整える「背腹運動」
その理由は背腹運動が「背と腹を同時に動かす運動である」ということにあります。
甲田先生はこの二つを同時に行うことで交感神経と副交感神経が完全に揃い、自律神経が整い、これによって潜在意識の受け入れ態勢も完全となる、という趣旨のことをおっしゃっています。
「思いが実現する」ということは「潜在意識が現実化する」ということです。この運動中の「想念」は潜在意識の中に深く刷り込まれ、それが「願望実現」を可能にする、ということが西先生、甲田先生のおっしゃったことですが、「願望実現法」を説いたジョセフ・マーフィーさんも同様のことをおっしゃっています。
③自己実現への道
さて次の自己実現への道です。
「願望実現」と「自己実現」の違いはお判りになるでしょうか。
「われ思うゆえにわれあり」というのは哲学者、デカルトの言葉ですが、思っている「自分」は必ずしも「自分の本体」であると言えないことがわかるでしょうか。
分かりやすく言えば、「願望実現」は人生の様々なステージ、ステージで思う「願い」「夢」の類で、年齢に応じ、また成長、成熟に応じて、変わってくるものです。それを説いたのがアメリカの心理学者であるアブラハムマズローです。
下は会でお話したマズローの五段階欲求説の概念図です。
この図のように生活が満たされてくるにしたがって、人間の欲求は変わってきます。そして最後に人間が到達するのが「本当の自分の願い」、「自己実現」にある、というのがマズローの主張でした。
「自己実現」とは生涯を通じて達成すべき「願い」「夢」であり、生まれてきた目的=使命、さらに天命と言っても良いものです。
さて、甲田先生はこの「自己実現」についてどうおっしゃったか、ですが、先生はそれを文豪、ゲーテの詩を引かれて述べられたことがありました。
下はそのゲーテ作「ミニヨンの詩」の甲田先生ご直筆のコピーで、右がドイツ語の原文、右は和訳です。
以下、日本語訳を転載します。
憧れを知るものならで
誰か我が悩みを知るべき
唯一人、すべての喜びから離れ
遥か彼方の天空を見やる
嗚呼!我を愛し、我を知る人は
遠き彼方にあり
この眼は目眩し、我が腸は
張り裂けんばかりなり
憧れを知るものならで
誰か我が悩みを知るべき
私はこのコピーを頂いたとき、未熟にもこの詩を「恋歌」と理解してしまい、「甲田先生もロマンチストだな」と思った記憶があります。しかしそれは大間違いでした。
この「ミニヨンの詩」について甲田先生は以下のようにお話になっています。これもご講演から転載します。
つい三日ほど前、青木さんという方が、ドイツのベルリンから、私に一冊の本を送ってきてくれたんです。それは入院しておられるときにちょっと話をしたんですけれども、「ミ二ヨンの詩」というのがあるんです。
文豪ゲーテが書かれたウイルヘルムマイスターという本の中に、「ミ二ヨンの詩」が載っているのですが、この本を一遍手に入れたいなぁ、と思っておったのを話したら、わざわざ送ってきて下さったんです。
それは、昭和23年(1948年)に私がゲーテ作の「ウイルヘルムマイスター」の原文を読んだ。その中に「ミニヨンの詩」があるんです。
「憧れを知る者ならで、だれか我が悩みを知るべき」という有名な詩なんですね。
あの詩を私は五十年の間に何百回、いや何千回となく口ずさんできました。それは何かというと、「憧れを知る者ならで、だれか我が悩みを知るべき」、その憧れというのが、この西式健康法を世界の人たちにお伝えして、この世から病人をなくす、この大きな憧れを実現するために五十年間歩んできた。それは五十年前に断食をしたことが一つのきっかけになっているわけです。
ですから皆さんも、自分の本当の生き甲斐をちゃんと持って進んでいただきたい。
ここで皆さんにちょっと質問したいんですけれども、自分は何をするためにこの世に生まれてきたか。神様からどんな使命を受けてこの世に出てきたか。これをやって死にたいと、はっきりと私に回答のできる方は手を挙げていただきたいんです。(会場を見渡されて)
本当に少ないですね。これはやっぱり寂しい事ですよ。なぜなら、目標がないと舵がとれないからです。人生というものは死出の旅ですから、毎日毎日死んでいく。そうしたら旅というものは目標があるはずです。
「あんた、自転車に乗ってどこ行くねん」ー「私、あの角を曲がった三軒目の八百屋へ行って、大根と人参と山の芋を買うてきまんねん」、それははっきりしている。
ところが、「あんた、どこ行きまんねん」ー「どこ行くか分りません」
そんなのでは舵がとれませんがな。皆さん、目標がなかったら、毎日毎日力が出ませんよ。(中略)
「病人のいない社会を作るまで、少食を説く我が定めかな」。皆さんも、そういうようにはっきりとした目標を持って進んでいただきたいんです。今日から、「私は一体何のために生まれてきたんや。」「私の生き甲斐はどこにあるのか」
それをちゃんと定めてやらないと、一体何のために生まれてきたのかと、後悔して死んでいく事になる。これだけをひとつはっきりと頭に入れて帰っていただきたいと思います。(転載おわり)
甲田先生は「自己実現」という言葉は使っていらっしゃいませんが、「生まれてきた目的」「使命」という言葉でこれを表現されています。ちなみに私は会のお話で、「願望実現」は「我」の思い、「エゴ」の思い、おカネや地位、また自分や家族の幸せを願うものが多く、「自己実現」は「我」の思いが少なく、利他の思いがあり、エゴで汚れていないピュアな願望である、と解説しました。(下図)
ついで「霊性開発への道」です。
④霊性開発への道
下は西先生の十三回忌を記念して発刊された甲田先生による冊子「西先生は第二の釈尊」です。
副題に「般若心経と双璧を為す心身空観も教えを説く」とありますが、この言葉は「霊性開発」に関連が深い言葉です。簡単に説明すれば人間の「心身」(心と肉体)は「空」である、さらに言えば「空」こそが人間存在の本質である、ということです。
ちなみに物質の最小単位を探る量子力学は存在の本質を明らかにしつつありますが、この「空」という言葉ほどこの世界の真実の在り方を適切に表現するものはないでしょう。
その意味で現代物理学はようやく般若心経が示した世界観に追いついてきたと言えます。
そしてこの「空」なる存在が「霊」であると西先生、甲田先生はお考えになりました。この冊子の「序」に西先生のご子息、西大介さんが一文を寄せられていますが、そこには以下のようにあります。
(以下転載)
父の旧著を引用させていただくならば、そこに読者は「要するにわが西式強健術は、①脊柱と腸の運動を同時に行なうこと、 ②毎日生水を一升乃至二升飲むこと、③『必らず健康になる』という信念をもつこと、この三つが大眼目なのである」という言葉を見いだされるはずである。①は正しい姿勢を保てるようにして腸内の浄化を行なうことであり、②は体液の浄化であり、③は心の浄化である、と約言することができるであろう。
この、西式の三大眼目を、さらに要約すれば「霊肉の浄化」ということである。(中略)
私が常に杞憂であることを願ってやまないことは、父の遺した中庸の道が忘れられて、西式を継ぐ人々が、「霊性の開発」をいつしか置き去りにしてしまうのではないか、ということである。(転載おわり)
この「序」の最後の一文が西式健康法の目的を示したものですが、大介氏は「父の遺した中庸の道」と書かれています。「中庸」と聞くと左右の極端に偏らない「真ん中」、「中道」というような意味に受け取りがちですが、これらは元は仏教用語で「大元」「本質」を意味しています。
さらに続く「霊性の開発」とは、この存在の大元である生命の本質を心身の活動に顕わす、さらに言えば活かすことを意味しています。
下は西先生が人間存在の構造を図にされた「精神分析図」で、仏教と神道の考え方に従って図示されています。
左肩に「阿頼耶識(あらやしき)と奇魂(けしみたま)」とあり、4つの神経系統が示され、右には顕在意識、潜在意識とあり、その間に横の点線が引かれています。
仏教の基本摂理は因果応報ということです。左肩の「阿頼耶識」とは潜在意識のことで、人間の身口意の三業はすべてここに記録され、それが運命として現れるとします。身口意の三業とは人生で行った「行い」「言葉」「思考」すべてということです。
であれば普通の人間の潜在意識はどのような状態でしょう。言うまでもなくそれは汚れているのはないでしょうか。それを甲田先生は「心の宿便」と命名されました。
この汚れを祓い浄める方法を探られた西先生がたどり着かれたのが「霊性の開発」です。
この図の一番下には菴摩羅 (あんまら) 識と神直比魂(かみなおひのみたま)があり、第九識と記されてます。先に「霊」とは「大元」、「本質」であると書きましたが、この図はそれが、仏教でいうところの菴摩羅識、神道の神直比魂であると図示されたものです。「霊」とはここに存在します。
どうでしょうか。西式健康法の目的が「霊性開発」にあったということを理解いただけたでしょうか?
では「霊性を開発したらどうなるか?」です。それが次の「神の声を聴くことが出来る」です。
⑤神の声を聴くことが出来る
先ず、このことを甲田先生がどのようにおっしゃっていたかを以下に紹介します。これもご講演録よりの転載です。
今日は、四大原則と六大法則という西式健康法のやり方、つまり、理論と実際をお話するということになっておりますけれど、これはいった何を目標にするかというと、「神の声を聞ける人間」になるということです。現代人の一番大きな悲劇は何かというと、それは神の声を聞くアンテナが壊れてしまっているということです。日本人の大半はこのアンテナが壊れてしまっている。そんなアンテナの壊れた方々が自分の我の計らいで政治を取るんです。企業の舵取をやる。こんな危ないことがありますか。
それには、先ず壊れたアンテナを正しく再生して、神の声を正しく聞くことができる人間になることです。そして我々が力を合わせて、 この世界の人類が迎えている苦悩を、正しい繁栄の道へと変えていく。そういう人間として「私はこの世に生まれてきたんだ。」こういう使命感を皆さん是非持って頂きたいと思うんです。そういう人間になるために、必要な、四大原則とか六大法則の話をするわけなんです。(転載おわり)
私はここにある「神の声を聴く」という言葉から「天の声を聴く」という中村天風師のインドでの修行を思い出しました。
ごうごうたる水音の滝の元に連れていかれた天風師は、「天の声を聴け」と師であるカリアッパ先生から命題を与えられます。その時の修行については以下のブログに書きました。
悪戦苦闘の末、天風師は「無念無想」のトランスを経験し、「それが天の声だ」とカリアッパ先生から教えられるのですが、ピンと来ない天風師はカリアッパ先生に「無心になれば、どうなるのですか? 私の病も治るのですか?」と聞きます。
それに対するカリアッパ師の答えです。(以下転載)
治る、治らないなんてことを考えちゃ駄目だ。そう言ったらもとに戻ってしまうだろ。そうして生きるのが人間の本当の生き方だから、そう生きろと言ってるんだ。それよりほか、おまえの生きる道はないんだよ。それを他に求めたのがいけないんだ。
考えてもみろ。病なり運命から心が離れたときは、病があっても、その人は病人じゃない。病なり運命から心が離れたときは、病があっても、その人は病人じゃない。
運命が悪くても、その人は運の悪い人じゃない。よーく寝ている人間は何にも知らない。何にも知らない人間に病があるか。目がさめて、あぁ、病がある、と思うんじゃないか。そのくらいのことがわからないか?
たとえ病がないときでも、病のことを心が考えりや、病があるのと同じだ。運命が良くとも、運命が悪いときのことを考えてりや、その人は運命が悪いのと同じだ。そのくらいのこと、もうわかってるはずだ。人の事じゃないぞ。自分のことだ。すべてが心だ。だから、肉体の病は肉体のものにして、心にまで迷惑をかけるな。心に迷惑をかけたくなければ、時にふれ、折にふれて、心に天の声を聞かすようにしろ。つまり、声なき声のあるところこそ、心の本当のやすらぎの場所だ。
たまには心をやすめてやれ。そこに心をやすませると、いっさいの迷惑が心にかからなくなる。すると、心の本然の力が命のなかで働きだすようになるんだ。わかったか?(転載おわり)
このカリアッパ師の最後の一言、「心の本然の力が命のなかで働きだすようになるんだ」、は「天の声を聴く」すなわち無念無想になることの効用、効果を示したものですが、これは西式健康法の「神の声を聴く」ということと重なることがお分かりになるでしょうか?
「本念の力」を表現すれば「生命力」、「創造力」と言えるでしょう。それは病を癒し、困難を克服し、周囲の人々を明るくし、幸せにする「力」です。
そう聞いてもピンと来ない人のために、さらにもう一つ、具体的なその効用を書いておきたいと思います。それは「インスピレーション」です。
天風師は「天の声を聴く」修行の後、これまで思いもしなかったような着想が脳裏に浮かぶ経験をされます。このことをカリアッパ師に報告した時のことです。これを聞かれ、カリアッパ師は「おう、インスピレーションが湧いてきたな」と喜ばれました。
「神の声を聴く」とは「内なる声を聴く」ということでもあります。内なるというのは守護霊、守護神とも言えますし、大神様とも言えます。その方の霊性開発の度合いに応じて必要な内なる声がこの肉体心に届けられるようになるということです。これすなわち「神我一体」とも言えます。
さて、その方法です。一つは天風流の「無念無想」です。要は「禅」と同様に自力をもって無念無想に至る道です。
もう一つは「祈り」です。祈りを奉げることに拠って「無念無想」と同等の境地に至ることです。
下は甲田先生が最後にお書きになろうとした「霊性も高まる健康法」のご遺稿の最初のページです。お亡くなりになる前、私に送って下さりました。
このご遺稿の最後に甲田先生は次のように記されていました。
(霊性の開発、向上)には五井先生が提唱された「世界平和のお祈り」が特に絶大な効果がある。お祈りの方法(別紙)
A 「心の宿便」(業想念)が浄まる
B 難しい少食も正しく実行できるようになる
C 世界の人々が皆このお祈りを実行すれば地球は愛の思いでいっぱいになる
D その結果、霊性で輝く「愛の星、地球」が誕生する
E 少食へ、少食へと進む人類
F 未来の人類は皆、超々少食になっているだろう
甲田先生は特に背腹運動中に、「世界人類が平和でありますように」という五井昌久先生の提唱されたお祈りをすることを強く勧められました。
下は先生がお亡くなりになる3ヵ月前に書いて頂いた「ご遺筆」です。
これは私がお願いし、書いて頂いたのですが、今は森美智代さんのご自宅、断食道場「あわあわ」にお飾りしています。
右側の「お祈り」は甲田先生が先のご遺稿にあった「お祈りの方法」(別紙)で、左側には「甲田療法」とは何かが端的に記されています。
以下に転載します。
甲田医院では来院される患者さん達に、西式健康法で心身の健康を完成し、更に五井昌久先生の世界平和のお祈りで、業想念(貪瞋痴の三毒)を浄化するように指導しております。
甲田療法は病気の根源が結局、誤った想念であることを正しく認識し、それを浄化するよう努力することです。
以上が去る8月4日に私に与えられた30分という時間でお話したことのエッセンスです。
ちなみに続く8月12日からの「あわあわ」での合宿では、これをより詳しく解説し、甲田先生に教えられた「背腹運動中のお祈り」の実習も行いました。
西式甲田療法について、また五井先生についてもっとお知りになりたい方は次回、年末年始の合宿にお申し込みください。
私は「祈り」こそが凡夫に出来る無念無想への易行道だと思っています。これによって私自身の人生もインスピレーションに満ちたものに転ずることが出来たからです。これを結語として本稿を閉じます。
8月4日はもう一つ「光」についてお話しましたので、これは次回紹介します。
今日のこの記事が読者の皆さんのお役に立てば幸いです。
世界人類が平和でありますように











