ちょっといい和 Take.103 <東海道編59 - 岡崎宿散策後編> | 日々… 、アート・ライフ

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自分の好きな音楽や、心をユサブラれたアーティスティックなモノ (※音楽以外) を、ツラツラと… 書きつづってみたいと思っています。

このコーナーは、東海道五十三次を

京都から江戸(東京)に向かって、

ちびちびと歩いている記録を、

文と写真でつづっています。

まずは「(徒歩で)日本橋に到達する」を

目標に掲げて、頑張っています!

グーおーっ!

私の東海道旅は「広重の浮世絵作品」を

キーワードとしています。

歩く=

 

これまでの旅の記録は、こちらの目次 をごらんください!

三 電車電車        神社 波 富士山

 

 

ちょっといい和・東海道編です!ニコ

今回は、愛知県の岡崎(おかざき)宿散策・後編です。

 音譜  土管ダウン

 

では、今回の移動ルートを確認しましょう!下差し

 

< 後編のおおまかな流れ >

1. (岡崎城)大手門

        下矢印

2. 「岡崎城対面所前角」石柱

        下矢印

3. 籠田(かごた) 総門角・常夜燈

        下矢印

4. 田中吉政像

        下矢印

5. 西本陣跡碑

        下矢印

6. 岡崎市役所・東庁舎

        下矢印

7. かぶき門(二十七曲がり碑)

 

 

では、本編をどうぞニコ下差し

 

 

日時:2019年10月30日(水)  

天気くもり 時々晴れ

 

前編のラスト地点はコチラ下矢印

岡崎城の北側の端にあった大手門です。ニコ

この門を、10時17分に出発しました。腕時計

 

 

門をくぐってすぐに・・

 

上矢印素敵な松の木と石碑がありました。ニコ

 

 

実は、門のすぐ北側に国道1号線が通っていました。ねー

下矢印

 

 

先ほどまではお城とかをのんびり眺めて、

江戸時代気分に浸ってましたが、大手門をくぐるだけで

車がビュンビュン走る現代に戻ってきて・・

なんだか浦島太郎になったような気分です。

ガーン カメ....

 

 

感覚が元に戻った真顔あたりで、気になったのが・・

下矢印

 

ジャズ・フェスティバルの宣伝ポスターが風に舞っています。

いいな~マイクドラムおーっ!

 

 

前回(池鯉鮒から岡崎まで歩いた日)とは

少し違う道をお気楽気分で歩いていると・・

何やら不思議な石碑を発見!びっくり

 

上矢印岡崎藩校いん文・いん武館跡の碑。うーん

石碑には・・(以下、石碑の文)

「明治の改革により藩主本田忠直公は

藩知事に任命されたので、新しい時代に

そうべき教育を行うため江戸の藩校を

明治二年(一八六九年)この地に移した

<中略>

昭和五十二年五月建立

 

上矢印と刻まれていました。ニコ

 

 

同じ道を少し東に行くと、

 

上矢印岡崎城対面所前角の石碑がありました。

うーん

これと下矢印は道路を挟んで反対側に。

 

上矢印「と!ガーン」。

ここは前回も通りましたので、安心して歩けました。

OKウシシ

 

 

上矢印街道沿いには、キンモクセイの木が並んでいました。ほっこり

 

 

そして、道の先に少し大きい道路があり、

信号の向こう側に下矢印

 

上矢印 籠田総門(かごたそうもん)角常夜燈と、七曲りの石柱。

そして常夜燈から右奥に、 篭田(かごた)公園 がありました。ニコ

 

平日に訪れたこともあり、公園内は人通りは少なめ。

小さなお子さんを連れたママさんたちが、数人いるくらいでした。

ほっこり

 

そんな上矢印公園内を北から南に歩いて行きました。

ランニング

公園を抜けた所で・・・下矢印

 

道路の向こう側に何かありますねうーん

近くにいってみましょう・・・ランニング

 

上矢印田中吉政(よしまさ)氏の像でした。うーん

田中氏は1590年から1600年まで岡崎城主でした。

「岡崎二十七曲り」の基礎を造ったり、城下町の

整備を行ったそうです。ニコ

 

 

石像の前にあった道を東に進むと、次に見つけたのは

 

上矢印西本陣前角の石碑でした。うーん

 ちなみに、この石碑の北側にある道路を挟んだ

向こう側には、前回の散策でゴールに設定した下矢印

 

西本陣跡と刻まれた石碑があります。

コンビニの前にありました。ほっこり

「奥のコンビニで、ソフトクリームソフトクリームでも買って休もうかな」と

思わせる、ナイスな場所にありました。イヒ

 

 

さらに、すぐ近くには・・・しょんぼり

 

上矢印かわいらしい本陣・脇本陣の像。ほっこり

右隣には、岡崎宿本陣・脇本陣についての説明が

書かれていました。

 

 

このあと、もう一度道路の反対側に移動。

ランニング~。

すると、、、 

 

上矢印二十七曲りについて説明する石碑がありました。ニコ

出来て新しいんでしょうか?

結構キレイですねうーん

 

 

そして道路沿いには・・

説明付きのかわいらしい石像が、間隔をあけて

並んでいました。爆笑

 

上矢印御馳走(ごちそう)屋敷の像。

「御馳走屋敷(御馳走場)」という名前は、旧街道を旅していると

時々、耳にします。

御馳走屋敷は、公用の役人などが通る際に、

接待をする場所でした。うーん

 

 

上矢印三度飛脚(さんどひきゃく)の像。

飛脚は、現在の郵便配達のような仕事でした。

三度飛脚は、「東海道を毎月三度、往復していた」

ので、そう呼ばれました。うーん

 

 

上矢印人馬継立(じんばつぎたて)の像。

継立とは「宿ごとに人馬をかえて送ること

とあります。(Weblio辞書より)

江戸時代には旅行者は、宿場ごとに馬や

人を雇って旅行をしたそうです。ニコ

また、「東海道では五十三か所の宿駅で

こうした継立をしたので、『東海道五十三次』

と呼ばれた」と書かれていました。上差しうーん

 

 

上矢印田中吉政氏の像。

「豊臣秀吉から名前の一字を賜(たまわ)った」事や、

矢作(やはぎ)川に橋をかけた事など、が書かれていました。

足元に書面みたいなものがあるのが、作りが細かくて

面白いですね。爆笑

 

 

上矢印飯盛女(めしもりおんな)の像。

宿場内の旅籠(はたご)屋で、元々は旅人の

給仕や雑用をしていた女性が飯盛女。

三味線を弾き、唄や踊りも披露する遊女でもありました。ニコ

 

 

上矢印助郷(すけごう)の像。

大名行列などには人や馬が必要になるが、

宿場内だけでは数をそろえるのが難しい事もあった。

そんな時に、周辺の村々から雇い入れた制度を

助郷と呼んだ。

いちおう賃金が支払われたが、安かったそうです。ぐすん

 

 

上矢印お茶つぼ道中の像。

1632年(寛永9年)、宇治茶を将軍家に献上することが

制度化し、茶壺を持った採茶使(さいちゃし)一行が、

江戸京都間を往復。そしてその茶壺の運搬の道中を

「御茶壺道中」と称して幕府の威勢を示しました。

お茶イヒ

 

 

さっきまで、キラキラ石像を見ながらのんびり歩いていましたが、

 

上矢印いつのまにか石像は無くなっていましたガーン

 

手元のガイドブックの地図本を確認すると、

 

上矢印の「伝馬(てんま)通5丁目」信号の所で南下するように

書かれてましたので、その通りに移動します。

ちなみに、上矢印の先には東本願寺三河別院や、

岡崎天満宮があったようです。うーん

 

上矢印の信号で南下すると、まもなく目の前に下矢印

 

岡崎市役所の東庁舎が見えました。うーん

別に用事は無いウシシので、歩道を渡って左に折れました。

ランニング

 

 

消防署の前を通り・・・ランニング

 

 

上矢印祐伝(ゆうでん)寺の門(上は鐘楼(しょうろう))を

チラッと見ながら、さらに歩き続けて・・・ランニング

 

 

上矢印無事に、ゴールの冠木(かぶき)門に到着。

爆笑あせる

奥の方(写真中央)には、黒色で見えにくいですが

矢作橋からここまでの二十七曲がりの地図と説明が

書かれていました。

ニコ

 

 

<岡崎宿散策 まとめ>
愛知環状鉄道・中岡崎駅出発:9時0分
かぶき門到着:11時5分
歩行距離:6.0km 走る人

歩行時間:2時間5分 時計

(アプリ「Runtastic」にて計測)

 

 

次回は、岡崎宿を出発してとなりの藤川宿をめざします。ウシシ

 

以上、ちょい和・東海道編でした!

バイバイほっこり