もともと、友の会などというと、同病相憐れむのは、照れくさかったし、

やせ我慢して、若い頃は背を向けてきた。

それも、一つのプライドだったのだろうか。

仲間が、一人、一人さっていく。

多くが短命だなあと、言わざる得ない年齢である。

 

同病の方の別れから逆算すると、自分にもう残された時間もそうあるわけではない。

それも分かっていながら(わかってるはず)、断捨離一つできずにいる自分がいる。

日々のルーティーンのなかに身をおいて、まだガラクタを捨てられない。

いつか使うだろうと、数十年断捨離ができないでいる。

にもかかわらず、残りの時間が、押し寄せる

いまこそ、同病相憐れむも、悪くない気がする。

会いたい、会っておきたい人がいる。

 

共によくがんばったねと。

ま、今還暦が、自分の目の前を通り過ぎていく。

 

いまこそ、同病で話しをしてみたい。

プライドも、もうないかな。

川面を見つめて、話しがしたい。

 

九十九里に、同病の友人がいた、

数年前に、近くまでいくついでがあって、寄ろうか寄るまいか

まよったが、その年に彼は逝っちゃった。

あいつどうしてるかな、今のうち、あっておかないと。

どっちが先かでなくて、あいたいよね。

あれこれ、回想して思い出す、あの人この人

同病人にかぎらず、あっておきたい人がよぎる。

 

再会が、あの世では寂しすぎる。

幼なじみに、共にたたかった戦友

仕事もそうだが、難病と闘ったのも別の意味での戦友だろう。

初恋の人(こちらは会わないが華かも)

あれこれ、かぞえれば、きりがないほどいるが、もう先に逝った

ひともいるかもしれない。

人生五十年はともかく、難病人は、せいぜい70歳+αだろう。

いそがねば。

 

後悔は、思い残したことは、生に執着と、死への恐怖を微増させる。