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 『坂の上の雲』 歴史上どこにもない戦法が輸入ビジネスに取れるか
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『坂の上の雲』を見ていてです。日本海海戦!高校の歴史の授業の時、
担任の先生が世界史・日本史の専門のかたでした。バルチック艦隊と戦う時、
日本艦隊は扇形に展開した、と説明しました。それまでは並行に並んで撃ち合っ
たのです。

それが頭にあって、放映して戦略の隊形があまりピンと来ないのですが、史上
どこにもなかった戦略を取ったと言っています。村上水軍の兵法を取り入れた
とのことです。村上水軍といえば、瀬戸内海の海賊です。旗を掲げて小型舟で
機敏に襲いかかりました。四国のドライブ旅行の時、その旗を私は見ました。

それと同じように水雷艇で機敏の夜陰にまぎれて日本海軍は攻撃を加えたの
でした。どこかで読んだのですが、『坂の上の雲』はビジネスとしても本質
を突いていると書いていました。このあたりを特にいうのでしょうか。


余談ですが私が小型船舶1級船長免許を取る時、教官が 

「みなさんは、戦争になれば海軍の魚雷艇か掃海艇の艇長として呼び出しが
来るでしょう。」

言いました。ありがたいことに日本はずっと平和で、私もそのまま年齢が
いってしまいました。


『坂の上の雲』によれば、私たち小規模ビジネスは、いま流れているお金の
流れの中に、他にはない独自の方法で手を突っ込み、一部をすくいあげることに
なります。


独自の方法なんですね。



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日本海海戦が出たついでにまた余談ですが、7・8年前でしょうか。
長野県の霧ケ峰高原に車を運転して父・母・叔母を旅行で連れて行った時です。
『坂の上・・・・・』ではないのですが、なだらかな丘を走っているとき、
年老いた父がふいに言いました。

「ここに風船爆弾の研究所があって、僕はここの護衛をしていたんだ。」

と、です。風船爆弾とは和紙を糊で貼って気球にし、爆弾をぶら下げてジェット
気流に乗せてアメリカ本土にちょうど落ちるように仕掛けたものです。致命的な
損傷をアメリカにあたえる迄にはいかなかったものの、山林を焼いたり、かなり
恐怖に陥れたと読みました。


それで霧ケ峰の郷土資料館に立ち寄ったときそこの館長に、風船爆弾の研究所が
すぐ近くにあったことを伝えましたが、そのひとはあまり関心を示しませんでした。


惜しいですね。観光のひとつと、戦争を忘れないための活動になったでしょうに。
その後父は他界し、私もどの丘かよくわかりません。



さて話は戻りまして、渡 哲也扮する東郷平八郎元帥が取った戦法は、旗艦たる
戦艦を徹底的にたたくことでした。これは織田信長が桶狭間で今川義元に対して
取った戦法と同じです。

逆にその後のロシア軍の戦いかたは、敵の10倍の兵力を投入し、必ず勝つという
ことでした。



で、私たち後発組はどのような戦法を取ったらいいか。
お詳しい方、おわかりの方はぜひお便りをください。

10倍の兵力はないですから、知恵を出すことが必要ですね。