伊東 ゆかり(いとう ゆかり/出生名:伊東 信子[いとう のぶこ]/1947年4月6日~)は、日本の歌手、俳優。

 

 

 

1947年4月6日、伊東信子が生まれる。東京都品川区出身。父親は沖縄県出身。

 

幼少期から進駐軍キャンプで唄い始める。

 

1958年6月、11歳の時、“かたみの十字架”(作詞:音羽たかし/作曲:K.Mann・ B.Lowe/編曲:村山芳男)でキングレコードより本格デビュー。B面“クワイ河マーチ”は、映画『戦場にかける橋』テーマソングのカヴァー。デビュー当初は洋楽の日本語詞カヴァーが中心だった。

 

 

7月、2ndシングル“ラリパップ (誰かと誰かが)”(作詞:音羽たかし/作曲:J.Dixson・ B.Ross/編曲:村山芳男)を発売。

 

8月、3rdシングル“陽の輝く日”(作詞:音羽たかし/作曲:H.Neubrand/編曲:村山芳男)を発売。

 

12月、4thシングル“フラフープ・ソング”(作詞:音羽たかし/作曲:C.Maduri・ J.Testa/編曲:村山芳男)を発売。

 

 

1959年1月、5thシングル“子供の行進曲”(作詞:音羽たかし/作曲:M.Arnold/編曲:村山芳男)を発売。

 

11月、6thシングル“パパの日記”(作詞:横井弘/作曲:吉田矢健治/編曲:鈴木章治)を発売。B面は青山ヨシオ“グラスを置いて踊ろうよ”を収録したスプリット・シングル。

 

その後、一時芸能活動を休止する。

 


1961年、渡辺プロダクションに移籍し、活動を再開。

7月、7thシングル“ポケット・トランジスター”(作詞:音羽たかし/作曲:J.Keller・L.Kolber/編曲:宮川泰)を発売。

 

 

1962年2月、8thシングル“ランナウェイ・ガール”(作詞:音羽たかし/E.Greenberg B.Baer R.Schwartz/編曲:萩原哲晶)を発売。B面は“ハピー・バースデー スウィート・シックスティーン”(作詞:音羽たかし/N.Sedaka/編曲:宮川泰)を収録。

 

 

4月15日、『森永スパーク・ショー』が放送開始、同じ事務所の中尾ミエ、園まりと三人で「スパーク3人娘」 を結成し、人気を博す。グループ名の由来は同番組名から。当初は伊東・中尾と第一プロ所属の沢リリ子の3人編成だったが、渡辺プロが「同一プロ3人でやった方がいい」と、沢に代えて園を加入させた。番組は1963年9月29日まで放送。

スパーク3人娘は、『シャボン玉ホリデー』や『歌え!一億』にも出演し、知名度を全国区にした。

 

 

1963年6月、17thシングル“キューティー・パイ”(作詞:あらかはひろし/作曲:J.Tillotson/編曲:宮川泰)を発売。

 

12月31日、『第14回NHK紅白歌合戦』に中尾ミエ、園まりと初出場、トリ前で“キューティー・パイ・メドレー”と称して3人が自身の持ち歌を、伊東“キューティ・パイ”→園“女王蜂”→中尾“バイ・バイ・バーディ”の順番で歌った。

 

 

1964年12月31日、『第15回NHK紅白歌合戦』に中尾、園と2年連続2度目の出場、伊東の持ち歌“夢みる想い”を歌唱した。

 

 

1965年2月、26thシングル“恋する瞳”(作詞:V.Pallavicini/作曲:G.Kramer/編曲:東海林修)を発売。

 

関東学園女子高等学校(現:関東国際高等学校)卒業。

12月31日、『第16回NHK紅白歌合戦』に3年連続3回目の出場を果たし、“恋する瞳”を歌唱した。

 

 

1966年4月20日、32ndシングル“愛は限りなく”(作詞:音羽たかし/作曲:D.Modugno/編曲:東海林修)を発売。

 

7月1日、34thシングル“幸福くん”(作詞:岩谷時子/作・編曲:宮川泰)を発売。

 

12月31日、『第17回NHK紅白歌合戦』に4年連続4回目の出場、“愛は限りなく”を歌唱した。

 

 

1967年2月10日、36thシングル“小指の想い出”(作詞:有馬三恵子/作曲:鈴木淳/編曲:森岡賢一郎)を発売、同年内の売上100万枚を突破。1968年11月時点での売上は公称150万枚を記録するなど爆発的ヒットとなり、その後も長く歌い継がれている。

 

同年、LP(アルバム)『小指の想い出』を発売。2015年4月20日にCDで再販。

 

年末「第9回日本レコード大賞」歌唱賞を受賞。

12月31日、『第18回NHK紅白歌合戦』に5年連続5回目の出場、“小指の想い出”を歌唱した。

 

 

1968年1月20日、38thシングル“恋のしずく”(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)を発売、リリース1ヶ月余りでオリコン・チャート1位に4週連続ランク・イン、オリコン初の女性アーティストによる1位獲得曲となった。小川知子“ゆうべの秘密”とビー・ジーズ“マサチューセッツ”に1位を奪われたが、再び返り咲き、同年のオリコン年間第5位に輝いた。

 

10月10日、40thシングル“朝のくちづけ”(作詞:有馬三恵子/作曲:鈴木淳/編曲:森岡賢一郎)を発売。

 

年末、「第10回日本レコード大賞」では、森岡賢一郎が“恋のしずく”で編曲賞を受賞した。

12月31日、伊東は“恋のしずく”で『第19回NHK紅白歌合戦』に6年連続6回目の出場を果たしている。

 

 

1969年2月1日、41stシングル“知らなかったの”(作詞:山口あかり/作曲:平尾昌晃/編曲:宮川泰)を発売。立て続けにヒット曲を飛ばした。

 

6月1日、42ndシングル“愛して愛して”(作詞・曲:平尾昌晃/編曲:宮川泰)を発売。B面は“愛するあした”(作詞:安井かずみ/作・編曲:東海林修)を収録。

 

 

この頃、巨人軍選手の柴田勲との交際が話題となり、一時は柴田との結婚話まで浮上した(詳細は柴田勲#交友を参照)。

同年、映画『愛するあした』に主演。

10月20日、44thシングル“青空のゆくえ”(作詞:安井かずみ/作・編曲:宮川泰)を発売、B面は“宿命の祈り”(作詞:安井かずみ/作・編曲:東海林修)。

 

 

12月31日、『第20回NHK紅白歌合戦』に7年連続7回目の出場、紅組司会も務め、“宿命の祈り”を歌唱した。


 

1970年5月1日、46thシングル“結婚”(作詞:山上路夫/作曲:宮川泰/編曲:服部克久)を発売、これを最後に渡辺プロダクションから独立。

 

6月5日、DENONに移籍し、47thシングル“わたしだけのもの”(作詞:麻生ひろし/作曲:井上かつお/編曲:馬飼野俊一)を発売。

 

10月1日、48thシングル“さすらい”(作詞:吉田央/作曲:西あきら/編曲:佐々永治)を発売。

 

11月、LP『ゆかりの新しい世界』を発売。

12月31日、『第21回NHK紅白歌合戦』に8年連続8回目の出場、“さすらい”を歌唱。

 

 

1971年、歌手の佐川満男(1939年11月9日-)と結婚。佐川が「伊東の歌が元々好きだった」とのこと。二人の間に娘の宙美が生まれる。

7月25日、52ndシングル“ボーイ・ハント”(作詞:奥山靉/作曲:N.Sedaka・H.Greenfield/編曲:森岡賢一郎)を発売。

 

10月25日、54thシングル“誰も知らない”(作詞:岩谷時子/作・編曲:筒美京平)を発売するとヒットする。

 

12月31日、『第22回NHK紅白歌合戦』に9年連続9回目の出場、“誰も知らない”を披露した。

だが、前年の独立により大手プロダクションの後ろ盾を失ったことや、結婚・出産・後の離婚、スパーク3人娘の自然解散、また、「新三人娘」や「花の中三トリオ」等の後輩歌手の台頭もあり、その後は一時的に低迷する。

 

 

1972年、LP『ふたたび愛を~伊東ゆかり・筒美京平 Love Sounds』を発売。2015年10月15日に紙ジャケCDで再販。

 

 

1973年5月10日、59thシングル“或る手紙”(作詞:有馬三恵子/作・編曲:鈴木邦彦)を発売。これを最後にDENONを離れる。

 

10月25日、日本コロムビアに移籍し、60thシングル“あのひと”(作詞:有馬三恵子/作曲:加瀬邦彦/編曲:竜崎孝路)を発売。

 

同年、LP『伊東ゆかりのすばらしい世界』、LP『あのひと』を発売。

 

 

1975年5月、佐川と離婚。娘の宙美の親権は伊東が持った。

8月1日、63thシングル“わたし女ですもの”(作詞:橋本淳/作曲:中村泰士/編曲:森岡賢一郎)を発売。

 

12月31日、『第26回NHK紅白歌合戦』に4年振り10回目の出場、“わたし女ですもの”を披露した。

 

 

1976年1月1日、64thシングル“わかれ雪”(作詞:中山大三郎/作曲:中村泰士/編曲:森岡賢一郎)を発売。

 

4月25日、LP『やさしい女』を発売。

同年、LP『わかれ雪』を発売。

 

 

1977年12月1日、68thシングル“ロマンチスト”(作詞:松本隆/作・編曲:筒美京平)を発売。これを最後に日本コロムビアを離れる。

 

1977~1981年、メイン司会を務めたTBSの音楽番組『サウンド・イン"S"』が一つの転機となり、「大人の歌手」として再評価されるようになる。この番組は彼女が得意とする洋楽を中心とした構成で、時には自らもゲストとデュエットしつつ、エンディングで世良譲のピアノにのせスタンダード・ナンバーを歌い上げていた。同番組は2007年までCS放送のTBSチャンネルで再放送された。

この他にも単独での出演の他、近年はスパーク3人娘でのツアーの他、揃ってテレビ出演することも多くなってきている。

 

 

1978年8月25日、ビクターのInvitationレーベルに移籍し、69thシングル"あなたの隣りに”(作詞:荒木とよひさ/作・編曲:馬飼野康二)を発売。

 

10月25日、LP『yukari あなたの隣りに』を発売。

 

 

1979年3月25日、70thシングル“あなたしか見えない”(作詞:なかにし礼/作曲:P.Allen・C.B.Sager/編曲:鈴木茂)を発売。

 

7月25日、LP『あなたしか見えない』を発売。

 

 

1980年6月21日、LP『素描(Sketch)』を発売。

 

 

1981年8月21日、74thシングル“約束だけロマンティック”(作詞:三浦徳子/作曲:佐瀬寿一/編曲:井上鑑)を発売。ビクターInvitationからの最後のシングル。

10月15日、LP『愛する嘘を知ってますか。女に関する10章』を発売。

 

 

1982年12月16日、林哲司プロデュースで、LP『MISTY HOUR』を発売。これがビクターInvitationからの最後のレコード・リリースとなった。2018年4月25日にCDでヴィヴィド・サウンドから再販。

 

 

1984年9月5日、TDKコアに移籍し、75thシングル“ふぁど”(作詞:阿久悠/作曲:三木たかし/編曲:大村憲司)と同名LP『ふぁど(Fado)』を同時発売。

 

 

1985年9月21日、76thシングル“1990年”(作詞:岡田冨美子/作曲:吉屋潤/編曲:川口真)を発売。TDKコアからの最後のシングルとなった。

 

 

1986年4月1日、LP『HANAGUMORI』を発売。TDKからの最後のリリース。


 

1988年、アルファレコードに移籍。

9月25日、77thシングル“誘われて”(作詞:森瑤子/作曲:西木栄二/編曲:倉田信雄)と同名アルバム『誘われて』を発売。

 

 

1990年1月25日、アルバム作品としては初CDとなる『Because You Are~あなたがいるから~』を発売。

 

 

1992年12月31日、『第43回NHK紅白歌合戦』に17年振り11回目の出場、1971年のヒット曲“ボーイ・ハント”を披露した。

 

 

1994年8月19日、小堺一機とのデュエット・シングル“いつか もしか まさか”(作詞:川村真澄/作曲:松本俊明/編曲:新川博)を発売。

 

11月2日、84thシングル“心に愛を瞳に夢を”(作詞:真間綾/作曲:芦沢和則/編曲:村松邦男)とアルバム『Infinity』を同時発売。シングルはアルファレコードから最後のシングル・リリースとなった。

 

 

1995年10月18日、アルバム『Beautiful Days』を発売。アルファレコードから最後のリリースとなった。

 

 

1997年11月6日、キングレコードに移籍し、85thシングル“愛はいりませんか”(作詞:岡田冨美子/作曲:都志見隆/編曲:倉田信雄)を発売。

 

 

2001年10月25日、元夫の佐川満男とのデュエット・シングル“かんにんしてや”(作詞・曲:中村泰士/編曲:川口真)をフリーボードから発売。

 

 

2004年、スパーク3人娘を再結成。

同年のNHK「思い出のメロディー」にもスパーク3人娘として出演した。

 

 

2005年5月25日、アルバム『あなたのわたし』を、移籍したBMG JAPANから発売。

同年より、スパーク3人娘で「3人娘 Again Dream Concert Tour 2005」と言う全国ツアーを展開した。

 

 

2006年にも、スパーク3人娘「3人娘 Again Dream Concert Tour 2006」を開催。

 

 

2009年秋、スパーク3人娘のコンサートを再開する。
 

 

2010年10月13日、テレビ朝日系列『徹子の部屋』に、娘の宙美と共演、二人でデュエットソングを披露した。



2013年4月3日、MJQ(マンハッタン・ジャズ・クインテッド)のデビッド・マシューズをプロデューサーに迎え、歌手生活60周年記念アルバム『メモリーズ・オブ・ミー』を徳間ジャパンからリリース。自身のヒット曲“小指の想い出”、“恋のしずく”をはじめ、1960年代末から70年代初頭にかけてヒットした日本のポップス歌謡をジャズ・テイストで歌ったカヴァー集。

 

4月20日、歌手生活60周年を迎え、渋谷「大和田さくらホール」にて記念コンサートを開催した。

 


2014年11月19日、歌手生活60周年記念アルバム第二弾『メモリーズ・オブ・ミー2〜sings bossa』をリリース。昭和の歌謡ポップスの名曲をジャズ・ボッサ・テイストでカヴァー。前作に引き続きデビッド・マシューズが全曲のアレンジを担当。

 

 

2015年6月20日、コンピレーション・アルバム『ゆかりのグレイテスト・ヒッツ 1967-1970』を紙ジャケCDでSHOWBOATから発売。

 

11月20日、コンピレーション・アルバム第二弾『ゆかりのグレイテスト・ヒッツ 1970-1972』を紙ジャケCDで発売。

 

12月15日、コンピレーション・アルバム第三弾『ゆかりのグレイテスト・ヒッツ 1973-1977』を紙ジャケCDで発売。

 

 

2017年8月25日、前回出演から7年後、前夫・佐川と宙美との三人で『徹子の部屋』に出演、

 

 

2018年7月16日にも佐川と宙美との三人で仲良く『徹子の部屋』に再登場。

 

 

2019年8月5日は、“スパーク3人娘”の園まりと2人で『徹子の部屋』に出演。

 

 

2022年5月13日、園・中尾ミエと3人揃って『徹子の部屋』に出演した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「伊東ゆかり」「スパーク3人娘」

 

 

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