フィル・モグ(Phil Mogg/出生名:Phillip John Mogg/1948年4月15日~)は、イングランド出身のロック・ミュージシャン、シンガーソングライター。

 

 

 

1948年4月15日、首都ロンドンのウッドグリーンノース出身。

 

 

1969年8月、フィル・モグ(Vo)、ミック・ボルトン(G)、ピート・ウェイ(B)が在籍する「Hocus Pocus」というバンドにアンディ・パーカー(Ds)が加わった際、バンド名を「UFO」に改名して結成。バンドはロンドンのクラブ・シーンで活動する。

 

 

1970年3月、イギリスのマイナー・レーベルであったビーコン・レコードと契約し本格的なプロ・デビューを果たした。
10月、デビュー・アルバム『UFO1』をリリース。初期には、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ジェフ・ベック・グループなどからの影響を受けながら独自のサウンドを模索していた。シングル・カットされたエディ・コクランのカバー“C'mon Everybody”は日独で好評であり、また"Boogie For George"が西ドイツで30位に入ったが、アルバムは英米では売れ行きが芳しくなかった。

 

 

 

1971年発売の2ndアルバム『UFO2/Flying』では、「One Hour Space Rock」というキャッチ・フレーズをつけ、スペース・ロック的な音楽に接近、"Prince Kajuku"が西ドイツで26位に入ったしたものの、やはり英米での売れ行きは不調だった。

 

同年の初来日公演(本来はスリー・ドッグ・ナイトの前座であったがスリー・ドッグ・ナイトが来日キャンセルしたために急遽単独公演が組まれた)の後に行われたドイツ公演では、ミック・ボルトンが突然失踪したため、サポート・バンドだったスコーピオンズのギタリスト マイケル・シェンカーが急遽代役を務めた。

 

 

1972年1月、ミック・ボルトンが正式に脱退(脱退理由は諸説あり、脱退後は音楽をやめた)。これを機にUFOはよりオーソドックスなロックにシフトし、それに相応しいギタリストを探し始めた。
ミックの後任ギタリストにはラリー・ウォリス(1972年2月〜10月)やバーニー・マースデン(1972年10月〜1973年6月)が参加した。

 

 

1973年6月、以前から加入要請のアプローチを続けていたマイケル・シェンカーを正式にバンドへ迎え入れた。
このラインアップで新たにクリサリス・レコードと契約。シングル“Give Her The Gun/Sweet Little Thing”をドイツでリリース。

 

 

12月にはレオ・ライオンズ(元テン・イヤーズ・アフターで、クリサリス所属でもあった)のプロデュースでアルバムのレコーディングを開始した。

 

 

1974年5月に発売された3rdアルバム『現象』(Phenomenon)は、ハードなギター・リフが印象的な“Rock Bottom”や後にライブ音源でシングル・ヒットとなった“Doctor Doctor”のように、マイケル・シェンカーの鋭角なギター・サウンドがうまく取り込まれ、バンドの英米での知名度を上げた。

 

 

5月、アルバム『現象』発売後には、さらなるバンド体制の強化をねらい、新たにセカンド・ギタリストとしてポール・チャップマンを加入させ、5人編成とした。

イギリスとヨーロッパをツアーするが、マイケルとポールの間に軋轢が生じた。

9月、ポールはバンドを脱退、その後彼は自らのバンド「ローン・スター」を結成。

10月、バンドは4人のままで初のアメリカ公演を行った。


1975年春には、レオ・ライオンズのテン・イヤーズ・アフター時代の同僚チック・チャーチル(Key)をゲストに迎えてアルバムの制作を開始。

7月、アルバム『フォース・イット』(Force It)をリリースした。

 

 

8月、バンドは専任キーボード・プレイヤーの必要性を感じ、元ヘヴィ・メタル・キッズのダニー・ペイロネルを加入させて本格的なアメリカ・ツアーを開始した。


1976年4月に発売されたアルバム『ノー・ヘヴィ・ペッティング』(No Heavy Petting)ではキーボード・サウンドの導入によりアレンジの幅を広げた。

 

9月、しかしマイケルがよりバランスのとれたサウンドを求めたため、ダニーを解雇。

12月には、キーボードだけでなくギターも弾ける元チキン・シャック、サヴォイ・ブラウンのポール・レイモンドが加入した(レイモンドは後にMSGにも加わる)。

 

1977年5月、ロン・ネヴィソンをプロデューサーに迎えたアルバム『新たなる殺意』(Lights Out)をリリース、ここからは、“Too Hot To Handle”や“Lights Out”、ストリングスを導入した7分の大作“Love To Love”などライヴの定番となる曲が生まれた。アルバムも全米23位・全英23位と自己最高をマークした。

 

 

 

 

70年代後半には、UFOは英米日独だけでなく世界的に広く知られるようになり、マイケル・シェンカーもハードロック・ギタリストとして人気が出始めた。
しかし、この頃からマイケルの失踪癖も出始めたため次はライヴ・アルバムをリリースする予定にしていた。ところが、マイケルが復帰したため、前作の勢いを引き継ぐべくスタジオ・アルバムを制作することになった。

 


1978年6月にアルバム『宇宙征服』(Obsession)を発売。“Cherry”や、全英50位に入った“Only You Can Rock Me”といった曲を収録している。

 

 

 

だが、その裏では「堅物かつ酒豪」で知られたリーダーのフィル・モグと、英会話に難を抱えた完璧主義者のマイケル・シェンカーとの間に大きな軋轢が生まれており、既に精神のバランスを失っていたマイケルがしばしば失踪を繰り返していた。

11月、そしてついに、『UFOライブ』の発売直前、マイケルが正式に脱退。マイケルはその後スコーピオンズに復帰したがすぐに脱退してしまい、ドラッグとアルコールの中毒から脱する治療の後、自らのバンドであるマイケル・シェンカー・グループを結成してシーンに復帰する。

12月、棚上げにしておいたライヴ・アルバム『UFOライブ』(Strangers In The Night)をリリース。脂の乗り切ったバンド演奏と聴衆の熱狂が記録されている。
こうしてUFOはハードロック・バンドとして有名になった。

 

 

マイケル脱退後、UFOは即座に後釜として再びポール・チャップマンを迎えてツアーを再開(ポールはローン・スターで活動中だった1977年にも失踪したマイケルの穴を埋めている)。1979年6月には久しぶりに来日公演を行った。

 

1980年1月にはビートルズのプロデュースで知られるジョージ・マーティンを起用し、アルバム『ヘヴィ・メタル・エクスペリエンス』(No Place to Run)を制作、発表。ここからは"Young Blood"が全英36位に入った。若手によるNWOBHMムーブメントがベテラン・バンドへの追い風にもなり、バンドは精力的にツアーをこなす。

 

8月にはレディング・フェスティバルでトリも務めた。

しかし直後にポール・レイモンドが脱退し、後任にニール・カーター(g. & key.)が加入。バンドは以前と変わらないように見えたが、勢いを失いはじめていた。

 

1981年1月に発表されたアルバム『ワイルド/ウィリング/イノセント』(The Wild, The Willing And The Innocent)は、バンドによる初のセルフ・プロデュース作品で、シングル“Lonely Heart”をイギリスでリリースした。

 

 

 

1982年2月に発売されたアルバム『メカニックス』(Mechanix)はゲイリー・ライオンズをプロデューサーに迎えたことでバランス感覚の優れた1枚となり、イギリスでは久々にチャートのTOP10に入るヒット作となった。ポップなシングル“let it rain”もイギリスでは好調、"The Writer"は米国のロック・チャートに入った。

 

 

 

しかしアルバム発表後のアメリカ・ツアー中、バンドの音楽性に異を唱えたピート・ウェイが自己のグループを立ち上げるために脱退。バンドは代役に元プリテンダーズのピーター・ファーンドンを起用しツアーを遂行した。
バンドは専任ベーシスト不在のままアルバムの制作に着手。

 

 

1983年初頭、アルバム『メイキング・コンタクト』(Making Contact)をリリース。シンフォニックなキーボードとメタリックなギターを前面に打ち出し、新たなスタイルを提示するがセールスは伸び悩んだ。ここからは、"When It's Time to Rock"が全英70位に入った。

 

バンドはベースに元タラスのビリー・シーンを加えてヨーロッパ・ツアーを開始、その後のイギリス・ツアーでは元ダムドのポール・グレイに交代した。
4月、しかしバンドは不安定なメンバー構成とセールス不振に疲弊し、遂に解散することになった。このため翌5月に予定されていた来日公演は幻となってしまった。
10月、バンド解散後、彼等の歴史を総括したようなベスト・アルバム『ヘッドストーン』(Headstone)をリリース。


1984年12月、フィル・モグ主導により新しいメンバーでUFOが再始動する。注目のギタリスト候補には、当時売り出し中だったイングヴェイ・マルムスティーンの名前もあったが、結局日系人のアトミック・トミー・Mが迎えられた。ベースは前作のツアーから引き続いてポール・グレイが担当し、キーボードにはポール・レイモンドが復帰した。ドラムは一旦、元ダイアモンド・ヘッドのロビー・フランスに決まるも、すぐに元マグナムのジム・シンプソンに交代する。
 

 

1985年、イギリス・ツアーを実施。

11月、アルバム『ミスディミーナー』(Misdemeanor)を発表。キーボード・サウンドに、トミーの卓越したギター・プレイをフィーチャーしたアルバムは、前作『メイキング・コンタクト』で打ち出したサウンドをより発展させた意欲作であった。

 

 

 

その後アメリカ・ツアーも行われたが、バンドを再興しようとしたフィルの熱意も商業的には成功しなかった。

 

 

1987年に主要メンバーが脱退しバンドは再び崩壊してしまう。

 

 

1988年には次のアルバム用に録音されていた音源が、ミニ・アルバム『殺気!』(Ain't Misbehavin)として発売された。主要メンバーは抜けてしまったが、フィルは独自にメンバーを集い1989年頃まで細々ながらも活動を続けた。

 

 

1991年、フィル・モグとピート・ウェイは三たびUFOを立ち上げるべく活動を開始。

 

 

1992年、ギタリストにフィル・ライノットの「グランド・スラム」での活動でも知られるローレンス・アーチャーを起用し、マイナーレーベルからアルバム『暴発寸前!』(High Stakes & Dangerous Men)を発表。さらに来日も果たした(この時の演奏は後に『lights out in tokyo』として発売される)。
 

 

1993年、これが切っ掛けとなり、完全復活への道が開けたUFOは、フィル、ピート、マイケル・シェンカー、ポール・レイモンド、アンディ・パーカーという最盛期のメンバーでバンドを再編成。

 

 

1994年にはマイケルを擁するラインナップで初めて来日を果たした(この時の演奏はのちに『TOO HOT IN TOKYO 1994』として発売される)。


1995年、復活アルバム『ウォーク・オン・ウォーター』(Walk on Water)をリリース。このメンバーにドラムでAC/DCのサイモン・ライトがサポートとして参加してワールド・ツアーへ出発した。しかし、例によってマイケルが他のメンバーと衝突して途中で脱退。残りの公演はサポートメンバーを加えて何とか乗り切ったもののバンド活動は暗礁に乗り上げてしまった。

 


1996年も活動休止状態が続いた。

 

 

1997年に再びマイケルが復帰してワールド・ツアーを開始する。

 

 

1998年の東京公演でマイケルがライヴ中に突如ギターを投げ落とし演奏を放棄。そのままライヴは打ち切られてしまいワールド・ツアーも打ち切りとなって、バンドはまたしても空中分解してしまった。

その後、マイケルがUFOのバンド名の使用権利を主張。マイケルなしでUFOを名乗れなくなったフィル・モグとピート・ウェイは、「Mogg/Way」の名での音楽活動を余儀なくされ、『Edge of the World』(1997年)と『Chocolate Box』(1999年)を発表。

 

 

2000年、マイケル・シェンカーが三度目の復帰を決めたため、UFO名義での活動を再開させた。
同年、フィル、ピート、マイケルの3人に元ジャーニーのエインズレー・ダンバー(Ds)を加えたラインナップで、アルバム『聖約』(Covenant)をリリース。初回盤は1995年に行われたライヴのCDが付属した2枚組だった。

 

 

2002年には同布陣によるアルバム『シャークス』(Sharks)をリリース。

 

しかし、またしてもマイケル・シェンカーが離脱。この時はマイケルがUFOのバンド名の権利を放棄した。

 

 

2004年、バンドは代わりにヴィニー・ムーアを加入させ、ジェイソン・ボーナムをドラマーに迎えて『You Are Here』をリリースした。
 

 

2005年11月にはアンディ・パーカーが復帰、スペインのグラナダで開催されたPiorno Rock Festivalで演奏を披露。

 

 

2006年9月25日には通算19枚目となる『モンキー・パズル』(The Monkey Puzzle)をヨーロッパでリリースした。翌日にはアメリカ合衆国でも発売された。

 

 

2008年のROCKLAHOMA(野外音楽フェス)にも参加した。

 

2009年には『ザ・ヴィジター』(The Visitor)をリリース。その後ピート・ウェイが体調不良のためバンドを離れた。

 

 

2012年にはアルバム『セブン・デッドリー』(Seven Deadly)を発表し、ツアーも含めて安定した活動をみせていた。

 

 

 

 

2015年、アルバム『A Conspiracy of Stars』をリリース。

 

 

2017年、アルバム『The Salentino Cuts』をリリース。

 

 

2018年5月28日、フィル・モグはFacebookにて、2019年に行われるUFO50周年記念ツアーをもってUFOから脱退すると発表した。フィルいわく、「ツアーは常に快適というわけではない。とても厄介なものになってきた。僕はいつも、そういう段階に到達したら身を引こうと自分に言い聞かせていた。それを実行する。辞めるに相応しい時期だ」とのことであった。また、今後のUFOについては、残ったメンバーの好きなようにしたらいいと考えているという。


2019年3月、紆余曲折を経てファイナルに決定したツアー「ラスト・オーダーズ」がスタート。

4月、クラシックメンバーの一人であるポール・レイモンドが急死。代役にはゲーリー・ムーアとの活動を経たニール・カーターが36年ぶりに復帰した。


2020年6月、NWOBHM期の中心メンバーであったポール・チャップマンが死去。

8月には創設メンバー ピート・ウェイも死去する。

 

その後コロナ禍で中断していたツアーを再開。

 

 

2022年8月、フィル・モグが心臓発作で倒れ緊急手術を受ける。リハビリをはじめるが医師からは引退を助言され、以降の活動は不透明となっていた。

 

 

2024年に「Ultimate Classic Rock」が行ったインタビュー内で、UFOでやり残した事はあるかと問われたフィルは「いや、ない。結論に達したと思う。新型コロナウイルスの直前、2019年に最後の英国ツアーを行った。それで終わったようなもので、その時が来たんだ。」と答え、UFOの活動が既に終了している事を認めた。

4月からは、モグ(Vo)、トニー・ニュートン(B,Key)、ニール・カーター(G,Key,Vo)、トミー・ゲントリー(G)、ジョー・ラザラス(Ds)の5名で結成した新バンド・MOGGS MOTELとして活動を開始した。

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「フィル・モグ」「Phil Mogg」「UFO (バンド)」「UFO (band)」

 

 

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