落合 恵子(おちあい けいこ/1945年1月15日~)は、日本の作家、クレヨンハウス主宰、元文化放送アナウンサー。

 

 

 

1945年1月15日、落合恵子が誕生。婚外子として生まれ、母子家庭で育つ。栃木県宇都宮市出身。実父は実業家・政治家で、参議院議員(2期/自由民主党)だった矢野登(1903年8月25日-1993年4月17日)。異母弟に、元参議院議員(3期/自由民主党)の矢野哲朗(1946年11月6日-)がいる。

 

小学校一年生の時から東京都中野区で育つ。

 

1963年、明治大学文学部英文学科に進学。

明大在学中は英語部(ESS)に所属。ESSの同窓に、俳優の原田大二郎(1944年4月5日-)、競馬評論家の井崎脩五郎(1947年7月23日-)がいる。井崎は出演中のラジオ番組で「落合先輩からRとLの発音が甘いと注意された」と回顧談を披露した。

 

1967年、明治大学文学部英文学科卒業。
4月、文化放送にアナウンサーとして入社。同期入社のアナウンサーに、みのもんた(本名:御法川 法男/1944年8月22日-)がいる。

 

 

1969年4月~1971年3月、深夜ラジオ番組『日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲』日曜日3:00~5:00(土曜日27:00~29:00)を担当。当時の番組テーマ曲は、「口笛ジャック」(John O'Neill/別名:Whistling Jack Smith)の“口笛天国”(I Was Kaiser Bill's Batman)。

 

 

 

1970年10月~1973年3月、深夜ラジオ番組『セイ!ヤング』金曜日 24:30~27:00(土曜日0:30~3:00)のパーソナリティを担当。文化放送の『セイ!ヤング』(1969年6月3日-1994年4月2日)は後発ながら、全盛期を迎えていたラジオの深夜放送番組の中で、TBSラジオ『パック・イン・ミュージック』(1967年7月31日-1982年7月31日)、ニッポン放送『オールナイトニッポン』(1967年10月2日-)と並んで「深夜放送御三家」と呼ばれた人気の生放送番組だった。その中でも落合は、「レモンちゃん」の愛称でリスナーから親しまれ、人気の後押しを受けて後に歌手デビューも果たす。番組のオープニング・テーマ曲は、“夜明けがくる前に”(作詞:なかにし礼/作曲:鈴木邦彦/歌:スクールメイツ)。

 

 


1971年、落合はシングル“昨日にさようなら”(作詞:落合恵子/作曲:端田宣彦/編曲:小谷充)を日本ビクター「ポップレコード」レーベルから発売して歌手、そして作詞家としてデビューする。B面は“タダイマー・さよならを射てしまおう”(作詞:落合恵子/作・編曲:小谷充)を収録。

 

 

同年、シングル“階段の子守唄”(作詞:落合恵子/作曲:小室等/編曲:小谷充)を発売。B面は“失恋処方箋”(作詞:落合恵子/作・編曲:小谷充)を収録。

 

同年、ラジオ番組『こんばんは、落合恵子です』がスタート。ゆったりと静かに語り掛ける話術と優しさでリスナーから愛され、文化放送退社後の1975年まで続いた。

 

 

1973年、エッセイ『スプーン一杯の幸せ 愛を語る三つの形』を祥伝社「ノン・ブックス」から刊行。以降、1973年『続スプーン一杯の幸せ(愛と生のメルヘン) 』、1974年『続々スプーン一杯の幸せ(おとなの愛の処方箋) 』、1975年『恋・スプーン一杯の幸せ 愛の日々はシーソーゲーム』、1975年『愛・スプーン一杯の幸せ ぶきっちょな恋の日々に』、1976年『新・スプーン一杯の幸せ 愛と不安の春夏秋冬』とシリーズ化、ベストセラーになった。後に集英社文庫から文庫化される。

 

4~9月、『セイ!ヤング』木曜日24:30~27:00(金曜日0:30~3:00)を担当。曜日だけ変更になり、時間は同じ(以下同)。

10月~1974年9月、『セイ!ヤング』水曜日を担当。
 


1974年3月、文化放送を退社、本格的に作家活動を開始する。なお、それまで出演していたラジオ番組のいくつかは退社後も引き続き担当、『セイ!ヤング』のパーソナリティは曜日を変えながら1978年3月まで務めた。

10月~1978年3月、『セイ!ヤング』月曜日を担当。

 

 

1975年3月5日、桜田淳子の9thシングル“ひとり歩き”(作詞:阿久悠/作・編曲:筒美京平)が発売、オリコン4位 (34.1万枚)。落合はB面“涙のいいわけ”(作詞:落合恵子/作・編曲:高田弘)で作詞を手掛ける。A面の“ひとり歩き”は、落合の同名エッセイを原作に桜田が映画初主演を務めた『スプーン一杯の幸せ』の主題歌にも使われた。また、落合は他にも桜田に、“恋の学校”(作曲:あかのたちお)、“今日から私は”(作曲:森田公一)、“さよならは言えない”(作曲:森田公一)、“明日も愛して下さいますか”(作曲:あかのたちお)、“涙のいいわけ”(作曲:高田弘)等をアルバム用に作詞提供した。

 

5月25日に発売された山本明のシングル“君を奪いたい”のB面に、山本と桜田淳子のデュエット曲“春の恋人たち”(作・編曲:高田弘)を作詞提供。

11月21日、南沙織の17thシングル“ひとねむり”(作曲:筒美京平)で、表題曲の作詞を手掛ける。オリコン27位。本曲は1978年10月に行われた南の「さよならコンサート」で披露され、歌う前のMCでは、「リリース当時、この曲が自分の心情にとても合っていた」と語っている。

 


1976年4月10日、アグネス・チャンの13枚目シングル“恋のシーソー・ゲーム”(作詞:落合恵子/作曲:井上忠夫/編曲:東海林修)が発売、落合が作詞を担当し、オリコン8位のヒットになった。

 

5月10日、あいざき進也の10枚目シングルA面“愛の舟”(作詞:落合恵子/作・編曲:筒美京平)と、B面“帰っておいでよ”(作詞:落合恵子/作曲:筒美京平/編曲:高田弘)をともに作詞提供。 2曲とも同年5月25日発売のアルバム『20才への憧憬』に収録。

 

 

同年、小説『遺書 白い少女』を勁文社(エコーコミックス)から刊行、同年に桜田淳子の主演映画第二弾として映画化された。

12月、児童書籍専門店「クレヨンハウス」を東京都港区神宮前の表参道沿いに開業。同店を立ち上げたのは、海外取材で子どもの本の専門店を見たのがきっかけであった。落合がケヤキ並木を「気に入った」ことから、表参道に面した場所(現在のルイ・ヴィトン表参道店辺り)にオープンし、子ども向けの書籍類を扱う書店とレストラン(当時はオーガニックではない)を展開。開店資金は『スプーン一杯の幸せ』シリーズの印税を充てた。

同店経営の他、フェミニストとしての視点から、女性と子どもの問題についての評論、講演活動を行う。

 

 

1977年8月1日、音源付きの詩集『ゆうべ、海を見た』を学習研究社(当時)から刊行、収録曲は、1.“PRELUDE”、2.“八月(あきらめの海)”、3.“九月(朽ちた小舟)”、4.“十月(哭く)”、5.“そしてララバイ” (以上、作詞:落合恵子/作曲:荻久保和明)。収録曲は後に混声合唱曲集『ゆうべ、海を見た』として、音楽之友社から楽譜が出版された。

※映像の音声は本書付属のオリジナル音源とは異なる。

 

 

8月10日、小説『そっとさよなら』を集英社より出版(後に文庫化)。1979年には、よみうりテレビ製作により連続ドラマ化された。ドラマ主題歌は、シュガー・ランド“そっとさよなら”(作詞:落合恵子/作・編曲:高橋五郎)。

 

 

1978年3月28日、曜日が変わりながら7年半務めた『セイ!ヤング』のパーソナリティーを終了。当時は「ディスクジョッキー」とも言った。辞める理由は、著述業に専念するため。最後の担当となった月曜日深夜では、誕生日を迎えたリスナーからのハガキを読み上げ、「おめでとう」の一言を添えてリクエストに応えるというコーナーがあった。同コーナーでハガキを読む際のBGMは、元ベイ・シティ・ローラーズのイアン・ミッチェル(Ian Mitchell/ 1958年8月22日~2020年9月2日)率いるロゼッタ・ストーン(Rosetta Stone)の“二人のパラダイス”([If Paradise is] Half as Nice)。リクエストを含め番組で流れる曲は、当時の洋楽ヒットチャートからの選曲が多かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

1979年頃、コンビニエンスストアチェーン「ファミリーマート」ラジオCMに出演。なお、ファミリーマートは当時、西武流通グループ(現:セゾングループ)傘下の西友ストアー(現:西友)の一事業であり、現在とは資本が異なり、ロゴも違っていた。

 

 

1982年、小説『ザ・レイプ』を講談社から刊行、同年に東陽一監督、田中裕子主演で映画化。挿入曲に井上陽水“青空、ひとりきり”を起用、スナックの店内BGMとして流れ、客として訪れた田中演じる主人公「矢萩路子」が踊るシーンで使われている。

 

 

1984年、小説『夏草の女たち』を講談社から刊行、1987年に高橋勝監督により、阿木燿子、神田亜矢子、今陽子ほか出演で映画化。

 

 

1986年5月、地上げに伴い、クレヨンハウスが表参道に面した創業地から一本入った北青山に移転。地下1階~地上3階の4フロアにて、約5万冊の児童書を擁する書店、オーガニックレストランに加え、子どもと大人の本のフロアを併設。安全安心な玩具、女性の本やオーガニックな生活必需品も扱うなど、子どもと女性、そして地球にやさしい視点を軸に展開を広げていった。

同年、育児雑誌『クーヨン』を創刊。

10月、日曜夜に女性だけのスタッフによる情報番組『落合恵子のちょっと待ってMONDAY』(文化放送)のパーソナリティを務めた。1987年8月15日に、日本ジャーナリスト会議(JCJ)より奨励賞受賞(受賞対象は『ちょっとコモンセンス』コーナーで放送された「太平洋戦争から45年〜女たちの12月8日」「東京大空襲を知っていますか」「国家機密法って何」「沖縄の女たち」の、一連の『戦争と女シリーズ』)、1988年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞、また、1990年には放送批評懇談会により第27回奨励賞に選ばれている。

 

 

1991年2月9日、大阪府吹田市江の木町にクレヨンハウス大阪店をオープン。


1995年からは『週刊金曜日』(株式会社金曜日)の編集委員を務める。現在は退任。


2001年11月、クレヨンハウス大阪店が大阪市垂水町に移転。


2005年、TBSラジオ『おはようございます 落合恵子です』にて、ラジオ番組のパーソナリティとして15年振りに復帰。日本が元気だった1970年代に青春を過ごした「今のシニアたち」に向けて、当時のヒットポップスとともに、落合の絶妙なトークを届け、 「まだまだこれから」というシニア世代にエールを送ったミニ番組。

 

 

2010年2月3日、NHK総合『SONGS』岡林信康の回にて、ナレーションを担当。

 

 

2014年4月5日、オーガニック雑貨やコスメ、有機野菜などナチュラル志向の衣食住について、毎号ワンテーマで提案するオーガニック・マガジン『いいね』を創刊。当初は月刊誌であったが、2024年現在は隔月刊。

 

 

2020年、第55回 ENEOS児童文化賞を受賞。

9月7日、単行本『明るい覚悟 こんな時代に』を 朝日新聞出版から刊行。75歳を迎えた落合が、愛おしい自分の毎日を丁寧に味わい、日常の楽しみを諦めない、そんな暮らし方のヒントを綴った一冊。2024年1月10日、朝日文庫から文庫化された。

 

 

2022年11月23日、建物の老朽化に伴い、46年に及んだ表参道でのクレヨンハウスの営業を終了。

12月18日、武蔵野市の吉祥寺駅近くに移転した、クレヨンハウス東京店の新店舗が

グランドオープン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「落合恵子」

 

 

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