ジェフ・クリスティ (Jeff Christie/出生名:Jeffrey Christie/1946年7月12日~)は、イングランドのミュージシャン。英国のポップ・ロック・バンド「クリスティ」(Christie)のヴォーカル兼ベースで作曲も担当、バンド創設以来残っている唯一のメンバーである。日本語の別表記「クリスティー」。

 

 

 

1946年7月12日、ジェフリー・クリスティは、英国イングランドのヨークシャー州リーズ(Leeds, Yorkshire, England)で生まれた。

 

 

ジェフ・クリスティは音楽キャリアの初期段階で、いくつかのバンドで活動。

 

 

1965年、ジェフは・クリスティはバンド「アウター・リミッツ」(The Outer Limits)を結成、レコード・リリースも経験した。このバンドはいわば「クリスティ」の前身ともいえるバンドであった。

 

 

1967年、アウター・リミッツは"When the Work Is Thru'"でレコード・デビュー。

 

同年、アウター・リミッツは、次いで“Just One More Chance/Help Me Please”をリリースした。

 

 

1968年、アウター・リミッツは、“Great Train Robbery/Sweet Freedom”をリリース。

 

その後バンドは活動を停止した。

 

 

1960年代終わり、アウター・リミッツのヴォーカリスト、ベーシスト、ソングライターのジェフ・クリスティは、ギタリストのヴィック・エルメス(Vic Elmes)とドラマーのマイク・ブレイクリー(Mike Blakley/1947年1月12日‐/イングランド、ケント州ブロムリー出身/アラン・ブレイクリーの兄弟)とともに、新たな3ピース・バンドを結成。バンド名は自身のファミリー・ネームから取って、「クリスティ」(Christie)とした。


1970年、ジェフ・クリスティは自身が作曲した“イエロー・リバー”(Yellow River)を、トレメローズ(The Tremeloes)に提供した。トレメローズはシングル・リリースするためにレコーディングを済ませていたが、70年代に入るとバンドはプログレッシブな方向へ向かうようになり、この曲のレコード発売は見送ることとなった。

同じ頃、トレメローズのメンバーであるアラン・ブレイクリーは、エピックス(The Epics)という小さなグループを率いていた弟マイケル(マイク)にチャンスを与えたいと発案。トレメローズのバックトラックを使用させることにして、マイク達はバンド・メイトのジェフ・クリスティをリーズから呼び寄せた。マイクはジェフをリード・ヴォーカルに迎え、“イエロー・リバー”をクリスティ名義でシングル・リリース。その結果、“イエロー・リバー”は同年6月に全英1位となり、その後アメリカでも音楽誌『ビルボード』の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)23位をマーク、さらに同年中に全米チャートに登場したどの曲よりも長い週数である23週にわたりランク・インを記録した。“イエロー・リバー”は26か国で1位を獲得、全世界で300万枚以上を売り上げ、同年を代表する世界的大ヒットになった。

 

10月、次のシングル“想い出のサンバーナディーノ”(San Bernadino)をリリース、全英7位・スイス1位となった他、欧州各国のチャートでトプ10入りをしたが、アメリカでは全米100位にとどまった。

 

同年、2つのヒット曲を収録した1stアルバム『クリスティ』(Christie)を発売、『ビルボード』誌の総合アルバム・チャート「Billboard 200」に10週間ランク・インした。

しかし、このトリオは長続きしなかった。

 

 

 

1971年、バンドの2枚目のアルバム『フォー・オール・マンカインド』(For All Mankind)のリリース直前に、ブレイクリーはポール・フェントン(1946年7月4日、ヨークシャー州ハダーズフィールド生まれ)に交代した。

 

同年、シングルを2枚発売したが、"Man of Many Faces"がドイツで48位に入ったものの、"Everything's Gonna Be Alright"は主要な国でチャート入りができなかった。

 

 


1972年、『アイアン・ホース』(Iron Horse)をリリース、タイトルトラック“アイアン・ホース”(Iron Horse)が全英47位・ノルウェー10位に入ったが、これがバンド最後のヒットシングルとなった。

 

アルバム・リリース後にベーシストのレム・ルービン(Lem Lubin/元ユニット4 + 2)がラインナップに加わった。

 

 

1973年、ルービンとフェントンが脱退。リズム隊の二人の離脱により、オリジナルメンバーの解散が早まったが、ジェフ・クリスティが新メンバーのテリー・フォッグ(テレンス・ジョージ・フォッグ/1945年9月25日-/ダービーシャー州チェスターフィールド生まれ/Ds)、ロジャー・フラベル(B)、ダニー・クリーガー(G)を集め、彼らとともにバンドは再スタートした。

 

 

1974年、シングル“アラバマ/アイム・アライヴ”(Alabama/I'm Alive)をリリースするもバンドの復活には至らず、新メンバーのトニー・ファーガソン(G)とロジャー・ウィリス(Ds)がクリスティとフラベルに加わった。

 

同年、バンドは元メンバーのエルメスが書いた“ジョジョズ・バンド”(JoJo's Band)を南米限定でシングル・リリース、アルゼンチンとブラジルでクリスティの大ヒットとなった。

 

 

1975年、クリスティの最後のヒット曲“ナバホ”(Navajo)はメキシコで1位となった。

 

 

1976年、デビュー時の華々しさとは程遠く、ひっそりとバンドは活動を停止した。

 

 

1980年、バンド解散後ソロに転じたジェフは、シングル"Both Ends of the Rainbow/Turn On Your Love Light|Turn on Your Lovelight"をリリース。

 

同年、ソロ・シングル第二弾"Tightrope/Somebody Else"をリリース。

 

 

1982年、1973年にクリスティを脱退した元メンバーのヴィック・エルメスは、NYPLのミック・ブレイクリーとピーター・モリソンをドイツへのパッケージツアーに招聘、ツアーの終わりにバンドは解散した。バンドはアラン・ブレイクリーがプロデュースしたエルメスの曲“Deep in the Night”を録音した。
 

 

1990年、ジェフ・クリスティはイギリスのバンド「チューブレス・ハーツ」(Tubeless Hearts)に楽曲“Safe in your Arms”を提供、バンドはこの曲で翌1991年のユーロビジョン・ソング・コンテストにイギリス代表として出場しようとしたが、失敗に終わった。

そこでジェフは、チューブレス・ハーツのメンバー、ケヴ・ムーア(Kev Moore/B)、サイモン・ケイ(Simon Kay/G)、エイドリアン・フォス・フォスター(Adrian Foster/Ds)とともに、自身のバンド、クリスティを再結成した。

 

 

その後16年間、ヨーロッパ、ロシア、イスラエル各地でツアーを続け、断続的にレコーディングを行った。

 

 

1997年、ジェフはソロ名義でジョン・レノンの曲をカヴァー、シングル"Happy Christmas (War Is Over)/Yuletide Lights"としてリリースした。

 

 

2003年、ムーアが脱退、ベースのポジションに穴が開いたが、バンドはメンバー補充をせず、3ピース編成で活動を続けた。

 

 

2004年、ベスト・アルバム『Christie Again – Greatest Hits and More』をリリース。

 

 

 

2009年、ジェフ・クリスティのダブル・アルバム『Floored Masters』をリリースした後、クリスティは1990年のラインナップでヨーロッパツアーに乗り出した。

 

 

2010年、ジェフは「MoviStar & Jeff Christie」名義でAggi Dukesをフィーチャーした“イエロー・リバー”の「替歌」"Hattrick of Lions (Come on England)"をリリースした。

 

 

2012年、クリスティのデモ音源と未発表曲を集めたダブル・アルバム『No Turn Unstoned』がリリース。

 


2021年10月、イタリア人ミュージシャンLorenzo Gabanizzaと組んで、シングル "You're Not There"をリリースした。この曲は素晴らしい評価を受け、数々の栄誉を獲得。南アフリカのiTunesカントリーチャートで1位、ヨーロッパのインディーズチャートで1位、ワールドインディーズチャートで4位、MTV USA Spotifyチャートで3位に達した。また、関連するビデオクリップは第4回ゴールデンウィートアワード、トロントオルタナティブ映画祭で受賞し、ミュンヘンミュージックビデオアワード、国際音楽賞(ロンドン)、マラバール映画祭(インド)で公式セレクションを獲得した。

 

最初のリリースが成功した後、ロレンツォとジェフはロレンツォ自身が作詞作曲した新しいシングルをリリースすることを決定した。

 

 

2022年、Lorenzo Gabanizzaとシングル"I guess I am the only one"をリリース。バンド「クリスティ」の元メンバーであるドラマーのポール・フェントンとベーシストのケビン・ムーアが参加している本曲は、これにより一層印象深くなっている。この曲はイギリスのiTunesチャートで7位、ワールド・インディーズ・チャートで3位、ヨーロッパのインディーズ・チャートで1位を獲得した。

 

 

2023年、Lorenzo Gabanizzaとの第二弾シングル"I don't want to live without you"をリリース。これはイギリスのiTunesアダルト・コンテンポラリー・チャートで4位を獲得。ビデオクリップは世界中で数々の賞を受賞。

 

 

2024年、ジェフは再びロレンツォとの仕事に戻る。

同年、ジェフとロレンツォは新曲“Rainy day Man”を発表、このジャンルの典型的なサウンドと本質を備えたアコースティック・バラード。スリップノットのレーベル、ゴールデン・ロボット・レコードのデジタル部門であるRobot Distroからリリースされ、U2やローリング・ストーンズのエンジニアであるピーター・マーハーがマスタリングしたこの曲は、アイスランドのSpotifyチャートで2位、イギリスのロックiTunesチャートで6位、ヨーロッパのインディーズ・チャートで2週間1位を獲得し、イタリアとイギリスのデュオの成功をさらに確固たるものにした。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「Christie (band)」

 

 

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