ニック・ヘイワード(Nick Heyward/出生名:Nicholas Heyward/1961年5月20日~)は、英国イングランドのミュージシャン。

 

 

 

1961年5月20日、ニコラス・ヘイワードは、英国イングランドのケント州ベックナム(Beckenham, Kent)で生まれる。

 

幼少期は南ロンドンとその周辺で過ごした。

 

彼はベッケンナムのケルシーパーク男子学校に通い、そこで美術と写真を学んだ。

 

16歳の時、彼はプロのアーティストとしてキャリアを築くために学校を中退した。

 

1977年、ヘイワードは、学生時代の友人グラハム・ジョーンズ、そして後にヘアカット・ワン・ハンドレッドで中心人物となるレス・ネムスと一緒にバンドを始めた。彼らは最初は「ラグビー」というバンド名で活動をスタート、次に「ボート・パーティー」、「キャプテン・ペニーワース」、「ムービング・イングランド」と幾度か名前を変えた。

 

 

1980年、最終的にヘイワードたちのバンドは、「ヘアカット100」(Haircut One Hundred)という名前に落ち着いた。


1981年、ヘアカット100はアリスタ・レコードと契約した。デビュー時のラインナップは、ニック・ヘイワード (Vo,G)、レス・ネムス(B)、グラハム・ジョーンズ(G)、フィル・スミス (Sax)、マーク・フォックス (Perc,Vo)、ブレアー・カニンガム (Ds)。 

10月、デビュー・シングル“好き好きシャーツ”(Favourite Shirts [Boy Meets Girl])をリリースすると、全英シングル・チャート最高位4位を記録した。

 

 

1982年1月、第二弾シングル“渚のラブ・プラス・ワン”(Love Plus One)が全英3位、さらに米音楽誌『ビルボード』の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)37位・同誌「Hot Modern Rock Tracks chart」(以下「オルタナ」)18位でチャート・インする。

 

3月9日、デビュー・アルバム『ペリカン・ウェスト』(Pelican West)を発売すると全英2位を記録、さらにヘイワードが書いた4曲のトップ10ヒット・シングルが本アルバムから生まれたこともあり、英国レコード産業(BPI)によりプラチナ認定を受けた。

 

4月、3rdシングル“Fantastic Day”が全英9位をマーク。

 

8月、4thシングル“ノーボディーズ・フール”(Nobody's Fool)が続けて全英9位をマークした。

 

ヘアカット100の音楽は、ファンクとラテン音楽をミックスしたロック・ポップス「ファンカ・ラティーナ」(funka latina)というジャンルに分類されるが、その中でも彼らはルックスやファッション・センスの良さでも目立っていた。また、音楽性についても「彼らの残したストレートに思春期を彷彿させる甘酸っぱいメロディは、日本でも未だ熱狂的な支持を獲得。性急なギター・カッティング、荒々しくも目の前がいきなり開けるようなホーン、そして青春キーワードをちりばめた詞世界…は、日常生活に追われるオトナたちをも一気にティーン・ネイジャー気分に引き戻す、ポップの魔法に満ちている」と評され、「一発屋とだけは呼んではいけない」とされる。

10月、鮮やかにシーンに登場したバンドは、次のアルバムの制作を開始した。

 


1983年1月、ヘイワードはヘアカット100を脱退した。これに伴い、バンド側からはパーカッショニストのマーク・フォックスがヴォーカルを引き継いだことを確認する声明が発表された。この発表の際、ヘイワードは『スマッシュ・ヒッツ』誌に対し、しばらくソロ活動を検討していて、既にセッション・ミュージシャンといくつかの曲をレコーディングしていたと語った。しかし、バンド脱退から何年か経った後、ヘイワードは、デビュー後1年間の絶え間ない仕事とプレッシャーの結果、事実上バンドの他のメンバーから解雇され、この時期ストレスとうつ病に苦しんでいたと述べた。
3月11日、ヘイワードはソロ第1作目となるシングル“ホイッスル・ダウン・ザ・ウインド”(Whistle Down the Wind)をリリース、全英13位・AC20位をマーク。

 

10月14日、1stソロ・アルバム『風のミラクル』(North of a Miracle)が全英10位とヒット。

 

10月28日、2ndソロ・シングル"Take That Situation"をリリース、全英11位をマークした。

 

さらに、ソロ・シングル"Blue Hat for a Blue Day"が全英14位を記録した。

 

この頃、日本のシャンプー商品のテレビCMに楽曲“君はピュア・マイ・レディ”(My Pure Lady)を提供した。

 

 

1984年、シングル"Love All Day"が全英31位、"Warning Sign"が全英25位を記録。

 

 

同年、ヘイワードが抜けたヘアカット100は結局解散した。

 

 

1985年、ソロ・シングル"Laura"が全英45位に入った。

 

 

1986年、2作目ソロ・アルバム『あの娘からのポストカード』(Postcards from Home)を発表するが、チャート入りを逃す。ここからのシングルは、"Over the Weekend"が全英43位、"Goodbye Yesterday"が全英82位に入った。

 

 

 

 

1988年、3作目のソロ・アルバム『I LOVE YOU アヴェニュー』(I Love You Avenue)を発表するが、ニュー・ウェイヴ寄りのアレンジで評価は今ひとつ、再びチャート入りに失敗する。シングルは"You're My World"が全英67位と、なんとかチャートに顔を出した。

 

 

 

1993年11月7日リリースの4作目ソロ・アルバム『フロム・マンデイ・トゥ・サンデイ』(From Monday to Sunday)は、アルバムこそチャート入りを逃したものの、ここからのシングルは英国ポップ直系のメロディ炸裂で、"Kite"が全英44位・全米107位・オルタナ4位、"He Doesn't Love You Like I Do"が全英58位と、久々のヒット作となった。

 

 

 

 

1995年10月9日、前作発表後、クリエイション・レーベルに移籍し、5作目ソロ・アルバム『タングルド』(Tangled)をリリース、全英93位を記録。ここからは、"The World"が全英47位、"Rollerblade"が全英37位に達した。

 

 

 

 

1998年8月11日、6作目ソロ・アルバム『アップル・ベッド』(The Apple Bed)をリリースするなど、コンスタントに作品を発表している。

 

 

2001年、ソロ・アルバム『Open Sesame Seed』を自主制作。

 

 

2004年、ヘアカット100が再結成、デビュー時のラインナップが揃ったが、この時の活動は単年で終わった。

 

 

2006年、ソロ・アルバム『The Mermaid and the Lighthouse Keeper』をUp the Anteからリリース。

 

 

2009年12月18日にもヘアカット100が再結成され、メンバー全員が顔を揃えてロンドンで再び再結成ライヴを実施。2013年まで活動を続けた。

 

 

2017年、ソロ・アルバム『ウッドランド・エコーズ』(Woodland Echoes)をGladsome Hawkからリリース、全英89位。

 

 

2023年5月、ヘアカット100が再結成。

なお、時折何度かの再結成を繰り返すヘアカット100についてヘイワードは、バンドに対する「深い愛」を述べ、「ドアは常に開いている」と述べた。また、ロレインとのインタビューの中でヘイワードは、バンドがいつか『ペリカン・ウェスト』のレコーディングが行われたラウンドハウスで再結成ショーを行うことを「ずっと願っていた」と語った。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ニック・ヘイワード」「Nick Heyward」「ヘアカット100」「Haircut One Hundred」

 

 

 

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