堀江 淳(ほりえ じゅん/1960年10月19日~)は、日本のシンガーソングライター。
1960年10月19日、堀江淳は北海道苫小牧市に生まれる。
中学の同級生に、米米クラブなどで活躍するパーカッショニストの「三沢またろう」がいる。
北海道苫小牧南高等学校卒業後、札幌のライヴハウスを中心にプロデビューを目指して活動を始める。
1979年、CBSソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)の「第1回SDオーディション」に合格。
酒を提供する店でアルバイトしていた経験を持つ堀江が、ある日、東京・広尾の交差点で昼間に信号待ちをしている時に、「水割りを下さい。涙の数だけ」という歌詞とメロディーが思い浮かび、アルバイトの経験からインスピレーションを膨らませて書き上げたのが“メモリーグラス”だった。デビュー曲として既に他の曲が決定していたが、それを押しのけて“メモリーグラス”でのデビューが決まったという。なお、当時の事務所は研音グループのケン企画。
1981年4月21日、1stシングル“メモリーグラス”(作詞・曲:堀江淳/編曲:船山基紀)と、1stアルバム『硝子通り』を同時発売してデビュー。中性的な容姿・声も話題になり、デビュー曲ながら53.4万枚を売上げ、累計70万枚の大ヒットを記録する。オリコン最高3位、1981年度の年間ランキング18位となり、堀江にとって最大のヒットシングルとなる。第1回日本作曲大賞 優秀曲賞、第14 回日本有線大賞 新人賞、第14 回全日本有線大賞 新人賞を受賞。
同曲は「水割りを下さい。涙の数だけ」とい歌い出しで水割りが印象的に登場するが、「私は北海道出身。当時、水割りと言えば、ウィスキーの水割り」と述べている一方、「水割りは苦手な堀江淳です」と明言。自分で飲むのは専らお湯割りで、「水割りをください」と言ったことはないという。
10月1日、2ndシングル“ルージュ”をリリース、TBS系ドラマ『われら動物家族』主題歌。
ラジオ番組『ザ・ヒットパレード』では当時、ニューミュージックではなく演歌・ムード歌謡に分類されていた。
1982年3月1日、3rdシングル“ラストダンス”をリリース。
5月21日、2ndアルバム『夢のあやとり』をリリース。
9月21日、4thシングル“あとずさり”をリリース。
11月1日、アルバム『堀江淳全曲』をリリース。
1983年1月29日、“メモリーグラス”のヒットからしばらく経った頃、当時22歳の堀江は原付きバイクで帰宅途中、自宅近くの路上で運転を誤ってコンクリート製の電柱に激突した。左足骨折、全治2カ月の重傷で堀江はそのまま40日間入院。病院のベッドでは同じ事務所所属の中森明菜の曲を書くなどの活動を行っていた。
6月22日にシングル“大いなる愛”、9月21日にシングル“思い出ララバイ”を発売。
しかし、デビュー曲のヒットによる喧騒がようやく終わり、ライヴを中心にした活動に移行してテレビ出演が減っていた堀江に対して、交通事故報道が原因とみられる死亡説が流布。その噂が立った後、自ら健在をアピールするためラジオに出演すると偽物と言われ、ライヴで健在を示すも「“生きてますよ”コンサートツアー」と言われ、生存を知るのは会場に来たファンのみで、世間に広まった死亡説は容易には消えることがなかった。
一方、アジア移住説が流れ「堀江淳をタイで見た」等の目撃証言等も報じられたが、本人は「僕はタイに行った事ないから」と明言。さらに地元・苫小牧市の水道局に偶然にも同姓同名の職員がおり、「堀江淳は苫小牧に帰り公務員になった」という噂も流れた。後に『さんまのからくりテレビ』の企画「からくり 芸能人替え歌王」に出演した際、これらの様々な噂に加え、「実は水割りが苦手」という件を“メモリーグラス”のメロディで替え歌にした“誤解だらけ”を披露している。
1984年11月12日、結婚を発表。娘の堀江紗彩は後にモデルになる。
1985年、しばらく活動を休止。10年間の充電期間となる。この間、曲作りなどを続けるが、この間も“メモリーグラス”のカラオケ印税が年間200万円振り込まれていたという。
その後も世間では一発屋として認識され、いわゆる「あの人は今!?」系の番組に頻繁に出演した。また、『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』に電話出演し、「死亡説が流れました」と言った瞬間に合格が決まり、鐘を鳴らされたことがある。
1994年、所属事務所を大手広告通信社へ移籍。
11月23日、レコード会社もビクターエンタテインメント(当時)へ移籍し、第一弾シングル“かなしくてLovin’You”を発売し、再デビュー。
1995年2月23日、アルバム『微風通信』をリリース。
1996年4月21日、シングル“迷宮~ラビリンス”を発売。
1998年、高校生だった「YUKO」こと田村裕子(Vo)とともに、作曲とギター、コーラスなどを担当する「JUN」名義で、二人組ユニット「spoon」を結成。インターネットテレビやライヴハウスのみならず、東京・吉祥寺を拠点にストリートでのライヴ活動も行う。
1999年3月、シングル“ポケットの中の真実”をインディーズから発表し、spoonとしてデビュー。
6月、シングル“花火”をリリース。
2000年8月、シングル“西の空へ”を発売、アニメ『ドキドキ♡伝説 魔法陣グルグル』EDテーマ。
2001年8月、シングル“Scar”をリリース。
2002年9月、シングル“遠くまで”をリリース。
2004年6月、シングル“ナチュラリスト”をリリース。
同年、spoonの活動を休止。
8月、堀江のベストアルバム『GOLDEN☆BEST 堀江淳 Singles』をリリース。
以後、ソロ活動に戻り、ラジオ出演、他のミュージシャンのプロデュース、楽曲提供など地道に活動を続ける。
2006年、デビュー25周年を迎える。
3月、“北の国のダイヤモンド”を「VOICE」とのコラボレーションでリリース。
同年9月まで¥、エフエム世田谷『オープンサロン834』を担当、三軒茶屋キャロットタワーのサテライトスタジオから毎週水曜日に生放送を行っていた。
2008年3月、所属事務所をFORTUNE(フォーチュン)へ移籍。
4月、グループ会社・タニプロモーション所属に変更。ヴォイストレーナーとして後進の指導にも当たる。
2009年12月、シングル“ありがとう”をリリース。
2010年2月、シングル“ありがとうⅡ”をリリース。
2013年4月、所属事務所を株式会社ブライトに移籍。
同月、西田敏行より歌詞の提供を受けたシングル“花ひとつ 夢ひとつ”をビクターエンタテインメントからリリース。。
2015年7月、ひばり児童合唱団とのコラボレーションによるアルバム『四季の音色 ~心に残る日本の童謡唱歌~』をリリース。
最近は、年間100本以上のライヴを行い、オリジナル曲は勿論、カヴァー曲、童謡・唱歌等を交えたステージを展開し、幅広い年齢層に支持されている。
(参照)
Wikipedia「堀江淳」