華原 朋美(かはら ともみ/本名:下河原 朋美[しもがわら ともみ]/1974年8月17日~)は、日本の歌手、タレント、ミュージカル女優、YouTuber。愛称は"朋ちゃん"。

 

 

 

東京都江東区生まれ、千葉県浦安市育ち。

兄2人と弟の4人兄弟に囲まれた一人娘として生まれる。実家は千葉県内で鉄鋼関連会社や老人福祉施設などを経営し、母親や兄弟も全員経営者という裕福な家庭。

千葉県の昭和学院小学校卒業後、私立松蔭中学校・高等学校を卒業。

3歳頃に始めた乗馬は、高校3年生の時に出場した1992年山形べにばな国体で4位入賞という好成績を修め、その後20年以上のブランクがあったが、2016年の馬術の日本国内大会『ジャパンオープン』で優勝している。

将棋の級(日本将棋連盟ジュニアクラス1級・一般クラス3級)も取得しており、NHK衛星第2テレビの大逆転将棋では司会も務めた。

 

1990年、中山美穂や工藤静香に憧れ、高校1年で全日本国民的美少女コンテストに応募。本戦前の親子面接で母親が「娘の芸能界入りには反対」と発言したため本戦には出場できず。その後、自宅に他の事務所から勧誘の電話が入るようになり、芸能界入りを強く意識する。

 

1992年、高校3年時、乗馬に打ち込む一方、当時の事務所のスカウトで芸能界入り。

高校卒業後は美容師を目指し山野美容専門学校に入るも、芸能界入りを決意し退学。 

 

1993年、『さんまのナンでもダービー』でレギュラーアシスタントとしてテレビ初出演を果たす。

同年、雑誌『CanCam』、『ViVi』等でモデルを務める。

同年秋、MBSラジオ『茶屋町学園』のオーディションを受け落選するが、このオーディションがきっかけで雑誌『MABU』の巻頭グラビアを飾る。当時の芸名は「三浦彩香」(みうらあやか)。

 

1994年4月、芸名「遠峯ありさ」(とおみねありさ)を使用開始し、持田かおり(現:持田香織)らが在籍していた「黒BUTAオールスターズ」第4期生に選抜されるも即脱退。深夜番組等でアイドルとして活動、連日オーディションを受け、カラオケ映像にも出演していた。バラエティ『とんねるずのみなさんのおかげです』のコント「近未来警察072」の女性隊員役オーディションで松嶋菜々子とともに最終選考の2名まで残ったが、身長の低さが理由で落選した。当時、とんねるずの石橋貴明は面白い子がいるとプロデューサーの秋元康に話していたという。その直後、バラエティ番組『天使のU・B・U・G』(1994年10月〜1995年3月)にレギュラー出演していた際、視聴していた小室哲哉に見初められ、番組プロデューサーを介して小室が当時青山で経営していた店「TJM」に呼ばれたことがきっかけで程なく交際が始まる。華原は当時20歳で女優志望だったが、出会って間もない頃にカラオケでtrfを歌い、その歌声を聴いた小室は感動し「涙腺を刺激する歌声」と称し、歌手デビューが決定。なお、華原が初めて買ったレコードが中山美穂の“50/50”で、奇遇にも小室作曲作品だった。また、デビュー直前に2人の関係をすっぱ抜いた写真週刊誌『フライデー』の記者に対し、小室は「アーティストに手をつけたのではなく、プライベートの恋人に曲を書いてデビューさせただけです。」と語っている。小室から見た第一印象は「僕が誰だかなんて全く関係なくて、口の利き方・態度も悪く最初はよく喧嘩しました。そこが逆に新鮮で彼女の視点では僕は年相応のおじさん」「初めて自分のプライベートをネタにしようと思えた」と語っている。

1995年4月、小室が手掛けるテレビ番組『TK MUSIC CLAMP』のEDで“Get Wild”を歌唱。

同月、始まったばかりのバラエティ番組『今田耕司のシブヤ系うらりんご』をすぐに降板。

 

 

1995年6月、小室主導で事務所を移籍し、小室と同じイニシャルT. Kで、かつ本名に近い「華原朋美」に改名。「僕と君は心のユニット」という小室の意向で、イメージは「円山町のクラブ前のコンビニでしゃがんでいる女性」。なお、当初のローマ字表記は「Kahala」だった。

8月、小室が音楽を担当したイメージビデオ『PARADOX』を発売し、「フジテレビビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤー'95」に選出。

9月、21歳の時、パイオニアLDC内の小室が立ち上げた新レーベル「ORUMOK RECORDS」の第一弾アーティストとして、シングル“keep yourself alive”で歌手デビュー。メディア出演は殆どないながらオリコン・シングルチャート最高8位を記録し、いきなり37万枚のヒットとなる。

 

10月発売の2ndシングル“I BELIEVE”がオリコン最高4位を記録、同曲で年末の新人賞を総なめにし、さらに翌年3月25日付でミリオンセラーという快挙を達成した。

※映像は2013年セルフカヴァーのもの。

 

 

1996年3月、3rdシングル“I'm proud”を発売、連続ミリオンセラーを記録し、年間シングルチャート女性ソロアーティスト最高位の8位、年間カラオケリクエスト首位を獲得する。

 

6月、1stアルバム『LOVE BRACE』を発売し、初のオリコン首位を獲得するとともに、1stアルバムの歴代最高初動売上を記録(後に宇多田ヒカル、倉木麻衣が更新)。同作は最終的に出荷ベース300万枚を突破するダブルミリオンを記録した。

 

10月、5thシングル“save your dream”を発売し、シングルでも初の首位を獲得。

 

12月31日、『第47回NHK紅白歌合戦』に初出場し、小室のピアノ演奏で“I'm proud”を歌唱。

 

 

1997年4月、カネボウ化粧品「ブロンズラヴ」のイメージキャラクターに初起用、タイアップ曲 “Hate tell a lie”を発売。3週連続首位を獲得し、自身シングル3作目のミリオンセラーを記録。

 

7月、“LOVE IS ALL MUSIC”を発売。オリコン1位。※映像は2014年。

 

9月、小室との共作詞による“たのしく たのしく やさしくね”を発売。オリコン1位。※1997年の演奏に2013年のヴォーカルを乗せたもの。

 

12月24日、2ndアルバム『storytelling』を発売しミリオンセラーを記録、オリコン1位を獲得した。

 

12月31日、『第48回NHK紅白歌合戦』では第2部トップバッターで登場し、小室がギターで飛び入り参加して“Hate tell a lie”を歌唱した。

 

 

1998年2月、自身出演のJT「桃の天然水」のCMオンエアがスタート。

6月、レコード会社をワーナーミュージック・ジャパンに移籍し、桃の天然水のタイアップが付いた11thシングル“tumblin' dice”を発売。

7月、月9ドラマ『ボーイハント』で観月ありさ演じる主人公の同級生役としてドラマ初出演。

同月、同クールの別ドラマ『ランデヴー』主題歌に起用された“here we are”を発売。

 

当時、雑誌『JUNON』で「なりたい顔1位」に選ばれるなど、同性を中心に絶大な支持された。安室奈美恵の「アムラー」に対し、華原のファッションや言動を真似する女子は「カハラー」、「ともギャル」と呼ばれ、「平成のシンデレラ」などとも呼称された。また、当時華原が大好きと公言していたハローキティが女子高生を中心に再流行し、テレビで公言した吉野家における牛丼の食べ方「つゆだく」が一般認知になり、CMで「ヒューヒュー」のフレーズが強調された「桃の天然水」が僅か1年間で1,600万ケースを売り上げる大ヒット商品となる等、様々なブーム火付け役のリーダーにもなった。当時の華原はエイベックス所属の他の小室ファミリーとは異なり、パイオニアLDC内に小室が立ち上げた独自レーベルORUMOKに所属し、時間をかけて戦略的にプロデュースが行われた。また、当時は小室と公私含めたパートナーだったため、二人のエピソードが小室自身が率いるglobe作品の歌詞の題材となったり、華原が安室のデモテープを歌うこともあった。 なお、小室プロデュースによる華原朋美は、元アイドルがアーティストに転身し成功を収めた先駆けでもあった。当時、この成功例を間近で見たエイベックスの松浦勝人はアイドル的外見を持つアーティストがファッションリーダーとしても売れると察知し、小室&華原の成功手法・ノウハウを取り入れながら、エイベックスにおける脱小室戦略として後に、元アイドルの浜崎あゆみや、持田香織をEvery Little Thingとしてデビューさせた。

11月、3rdアルバム『nine cubes』を発売したが、12月に小室と破局を迎える。

 

12月31日、破局後、3年連続出場となった『第49回NHK紅白歌合戦』では、小室プロデュース最後のシングル曲“daily news”を歌唱、小室のバック演奏はなかった。

 

 

1999年1月30日、自宅で料理中にガス中毒で倒れ緊急入院。この時、初めて年明けからの休養と小室との破局、奇行が報じられる。

翌日には退院するも、一時は意識不明の重体であったことなどからテレビや週刊誌等で連日報道されるようになるが、当時の小室の事務所はノーコメントを貫く。

2月、休養中に初のベストアルバム『kahala compilation』が発売され首位を獲得するも、3月末で「桃の天然水」CMを降板。5月、芸能事務所をプロダクション尾木に移籍し、新聞社向け限定の復帰会見を行うが、わずか一週間後に自宅マンションのロビーで貧血で倒れ再入院。

6月17日、不完全なまま2度目の復帰会見を実施。半年ぶりに公の場へ登場したが、当時24歳ながら薬物依存による別人のような姿が連日マスコミで報じられ、世間に衝撃を与えた。

7月、初のファンクラブ「Pretty Eye」を発足し、復帰シングル“as A person”を発売、オリコン6位、約30万枚のヒットを記録。全国4都市でPRイベントを開催し、『ミュージックステーション』を皮切りに8ヶ月ぶりにテレビ復帰を果たした。

11月、全曲自身作詞で松浦勝人プロデュースによるアルバム『One Fine Day』を発売し、オリコン初登場7位を記録。初のファンイベントも開催した。

 

 

2000年早々、心身ともに不完全な状態であることから「100%の自分を取り戻す」ために再び無期限休養に入り、カナダへ留学する。

1月、初のフォト&エッセイ集『未来を信じて』を刊行。

2月、“Believe In Future -真夜中のシンデレラ-”を発売。

7月、カナダで心身ともに回復していることが報告され、前年発売の『One Fine Day』から“Blue Sky”のドラマ主題歌起用が決まりシングルカットされた。

 

同時期、一時帰国中に日本テレビ『進ぬ!電波少年』から、アメリカ合衆国デビュー企画のオファーを受け出演。翌8月から『進ぬ!電波少年 〜華原朋美の電波少年的全米デビューへの道〜』のオンエアがスタート。結果として7ヶ月間渡米し、洗車場でのアルバイト、自炊生活、クラブでのステージ、ヴォイスレッスン等の経験を積む。

 

 

2001年1月、セリーヌ・ディオンやダイアナ・キングなどを手がけるアンディ・マーベル(Andy Marvel)プロデュースのオーディションに合格し、全米デビューへの切符を掴む。アンディのコンピレーションアルバムに華原歌唱の“NEVER SAY NEVER”が収録されたが、CDは未発売。翌2月、約8ヶ月ぶりに日本へ帰国し、SHIBUYA-AXで凱旋ライヴを開催した。

4月、復帰シングル“Never Say Never”を発売し、オリコン初登場10位を記録。

7月、フォト&エッセイ集第二弾『苦あり楽あり 〜未来を信じて Part2〜』発売、握手会を開催。

8月、ヴィンセント・ディジョルジオ(Vincent Degiorgio)プロデュースによる“PRECIOUS”を発売し、デビュー7年目にして初の単独ツアーを開催した。

10月、文化放送『華原朋美のLIPS PARTY 21.jp』がスタート(年末まで)。

11月、5枚目アルバム『Love Again』を発売し、「DJ Tomo」名義で発売記念DJイベントを開催。

12月、雑誌『プチセブン』連載の自身脚本漫画『SHOWBIZ』を発売、二度目の握手会を実施。

 

 

2002年4月、NHK総合テレビの公開収録番組『にっぽん愉快家族』でコロッケと司会を担当。同月、自身出演のポッカ缶コーヒーCMソング“あきらめましょう”を発売。

 

7月、ベストアルバム『Natural Breeze 〜KAHALA BEST 1998-2002〜』を発売。

8月からホールツアー『Tomomi Kahala Concert Tour 2002 "Natural Breeze"』を開催。

12月31日、4年ぶり4度目の返り咲き出場を果たした『第53回NHK紅白歌合戦』ではZONEがバックバンドで参加し、“あきらめましょう”を歌唱した。

 

 

2003年、原作者の臼井儀人と華原がお互いファンであることから、テレビアニメ『クレヨンしんちゃん』OPテーマを担当することになり、2月に“PLEASURE”を発売。

 

4月、NHK教育テレビの『パパ・トールド・ミー 〜大切な君へ〜』で約5年ぶりにドラマ復帰。

4月、映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード』(シリーズ第11弾)で自身モチーフのアイドル歌手・トモちゃん役で声優に初挑戦し、試写会にも出席した。

10月、「朋ちゃん&コロッケ」名義でデュエット・シングル“ありがとね!”を徳間ジャパンコミュニケーションズから発売。

 

12月、自身初のディナーショーを開催。

12月31日、『第54回NHK紅白歌合戦』で、「華原朋美 with コロッケ」として出場。

 

 

2004年8月、レコード会社をユニバーサルシグマのA&Mレコードレーベルに移籍し、自身のローマ字表記を「Kahala」から「Kahara」に変え、30歳の誕生日を迎えた。

9月、K-POPバラード“君さえいれば”の日本語詞カヴァー“あなたがいれば”を発売、オリコン16週連続ロングチャートインを記録した。

 

同月、時代劇『水戸黄門』の第33部最終回2時間スペシャルにSAYAKA、MEGUMIと助っ人出演。凄腕の娘剣士役で殺陣に初挑戦し、得意の馬術も披露した。

12月31日、“あなたがいれば”で『第46回日本レコード大賞』金賞を受賞。

 


2005年、デビュー10周年を迎えた。

5月、過去の失恋を歌った“涙の続き”を発売し、6月に6thアルバム『NAKED』を発売。ジャケットでタイトル通りの背中を大胆に見せたセミヌードを披露した。

 

 

6月、10周年記念コンサートツアーがスタート。

8月、『赤毛のアン』主人公アン役でミュージカルデビュー。

9月、フジテレビ『新堂本兄弟』に深田恭子らとレギュラー出演。

12月、初の写真集『Crystallize』を発売し、セミヌードを披露した。

 

 

2006年2月、「桃の天然水」発売10周年を記念した復刻版のイメージキャラクターに8年ぶりに再起用され、新旧対比CMのオンエアがスタート。

同月、イメージソングを収録した初の両A面シングル“華/Keep On Running”を発売。

 

 

春、櫻井翔主演のミュージカル『ビューティフルゲーム』に出演。

7月、中島みゆきの書き下ろし“あのさよならにさよならを”を発売。以前から憧れていた中島作品を歌いたいとの華原の熱望に、中島も快諾して楽曲提供が実現した。

 

8月、2年連続でミュージカル『赤毛のアン』に主演。

12月、松任谷由実の楽曲のみで構成された異例の「ユーミン」ソング・ミュージカル『ガールフレンズ』に主演。公演中に急性気管支炎と急性声帯炎を併発し一部を休演する事態となるも復帰し、映像化されたDVDでは復帰した回の模様が収録された。

同年、3本の舞台に出演し、ミュージカル女優としての活動を本格化させていた。

同時にこの頃から交際相手のDV被害に遭い、再び薬物依存に陥る。

 

 

年末の気管支炎の影響から2007年年明けから4月いっぱいまで自宅療養し、2000年以来となる3度目の休養に入る。

5月、仕事再開し翌6月から本格復帰していたが、6月29日に所属事務所のプロダクション尾木が6月28日付で専属契約の解除を発表。事務所側は「突然の仕事キャンセル等が続き予想以上に心身ともに健康の回復状況が思わしくなく、これ以上芸能活動を支えることは不可能」と判断。公式ファンクラブも6月29日付で解散し、事務所の意向を受け所属レコード会社のユニバーサルミュージックとの契約も28日付で終了。

同年9月20日にはファン向けに自身のブログを開設し、その中で仕事キャンセルについて謝罪の文を掲載。理由について、自身の健康管理が悪く精神的にもダウンしたこと、さらに尾骨を骨折していたことも告白し、今は完全に完治し健康である事を綴っていた。しかし、マスコミで報道された直後の9月29日に、わずか9日間でブログは突然閉鎖された。

 

 

2008年7月10日、東京ミッドタウンで開かれたパーティに出席。同年内復帰の抱負を語った。

 

 

2009年1月17日、JR錦糸町駅でタクシーに行き先が告げられず、急性薬物中毒で倒れ病院に緊急搬送されてしまう。医師から処方された精神安定剤を多く所持しており、「大量服用による薬物中毒」と報道されていた。

 

 

2010年8月29日、新宿・歌舞伎町でタクシー乗車中に意識もうろうとなり、救急車で病院に搬送されたと報道された。日常生活も破綻し、見かねた家族の判断で閉鎖病棟に入院していた時期もあった。退院後は父親の住むフィリピンに渡り、NPOを運営する父親の勧めでボランティア活動に従事。現地の孤児院で子供の世話などをした。

 

 

2011年、自身の誕生日である8月17日に、兄のブログで現在の姿と前年から海外で自分磨きをしていることを報告した。

10月30日付のブログで再びメッセージを掲載、年内に帰国し復帰の準備をすると報告した。

帰国後は兄が経営する介護施設を手伝いながら、カラオケボックスで録音した自身の歌のCDを旧所属事務所宛に送るなどして復帰に向けて動いた。

 

2012年12月1日付でプロダクション尾木との再契約が発表された。

12月5日、『2012 FNS歌謡祭』に生出演し、「I'm proud」を歌唱。実質6年ぶりに安定した歌声を披露、この出演時の動画が一時的にインターネット上にアップロードされるとすぐに100万回以上再生されるなどSNSを中心に非常に大きな話題を呼ぶ。

12月24日、ライヴイベント『MUSIC FOR ALL, ALL FOR ONE』に出演し、約6年ぶりにライブステージにも復帰した。

 

 

2013年2月、ユニバーサルミュージックと再契約。

4月に『レ・ミゼラブル』の劇中曲“夢やぶれて”の日本語カヴァー“夢やぶれて -I DREAMED A DREAM-”を7年ぶりシングルとして発売。

 

6月、セルフカバー・ベストアルバム『DREAM -Self Cover Best-』を発売し、6年ぶりにオフィシャルファンクラブ“DREAM”を開設した。

11月、7年ぶりの単独ライヴを開催。

『DREAM』のロングセールスを記念して、完全生産限定のプレミアム・エディション盤を発売。

同月、ラジオ番組『華原朋美の寝てる場合じゃないのっ♡』が開始、2014年末まで。

12月、『2013 FNS歌謡祭』に出演、小室哲哉と15年半ぶりに共演を果たし、“I'm proud”、“I BELIEVE”を歌唱した。

 

 

2014年3月、globeの“DEPARTURES”など本人選曲による初のカヴァーアルバム『MEMORIES -Kahara Covers-』を発売。オリコン初登場10位となり、13年ぶりのトップ10返り咲きを記録。

 

 

10月、カヴァーアルバム第二弾『MEMORIES 2 -Kahara All Time Covers-』を発売、オリコン初登場9位となり、自身14年10ヶ月ぶりの2作連続トップ10入りを記録した。収録曲が映画『喰女-クイメ-』のイメージソングとなり、自身8年ぶりのタイアップとなった。

 

 

9月、9年ぶりとなる全国ツアーがスタート。

12月、『第56回日本レコード大賞』で企画賞を受賞、“DEPARTURES”を歌唱した。

 

 

2015年3月30日、日本テレビ『PON!』の月曜レギュラーコメンテーター出演開始。

5月、小室哲哉が16年半ぶりに楽曲提供した“はじまりのうたが聴こえる”が発売。

 

6月、自身初のオールタイムベストアルバム『ALL TIME SINGLES BEST』と『ALL TIME SELECTION BEST』を発売。

 

 

7月、20周年記念の全国ツアーがスタートした。

8月、20周年記念の著書『華原朋美を生きる』を発売(写真集や小室哲哉との対談も収録)。

9月8日、20周年のデビュー記念日に、ビルボードライブにて一夜限りの『「デビュー20周年記念LIVE」 at Billboard Live TOKYO』を開催した。

10月、MXテレビの新音楽番組『音ボケPOPS』でMCレギュラーを担当。

12月2日、カヴァーアルバム第三弾『MEMORIES 3 -Kahara Back to 1995-』発売。

 

 

2016年5月11日、映画『更年奇的な彼女』の日本語版主題歌“君がそばで”をシングル発売。

 

3年連続の全国ツアーを開催(東京公演では藤澤ノリマサ、山猿がコラボで参加)。

11月、体調不良で仕事をキャンセル。

同月5日、病院の検査で「急性ストレス反応」と診断されたと公表、月末まで活動休止を発表。

11月30日、退院。

12月5日、『PON!』で活動を再開した。

 

 

2017年1月14日、TBSテレビ『炎の体育会TV』にて、前年10月の馬術日本国内大会「ジャパンオープン」で華原が優勝(馬匹名は「キャリーズサン」)し、2017年3月23日から開催の「国際馬術大会 in 掛川」出場権を獲得したことが明らかとなった。

2月、キャリーズサン号の子、クラシック号を自費で購入。

3月26日、出場した「国際馬術 掛川2017」の障害飛越トップスコア競技では目標の表彰台を逃したが、9月の全日本障害馬術大会への出場を目指すことを明らかにした。

同年、4年連続となる全国ツアー「TOMOMI KAHALA CONCERT TOUR 2017 ~CARRYS SON and CLASSIC~」を開催。Kahara表記をKahala表記に戻した。

9月25日、『PON!』レギュラー卒業、『音ボケPOPS』も終了、以降表立った活動が減少。

 

 

2018年7月17日、自身のSNS(インスタグラム、ツイッター)と会員制ブログの閉鎖を発表。

7月31日、8月25・26日にファンサイト「DREAM」の会員限定イベント緊急開催が発表され、事務所と芸能活動方針を巡って意見が食い違ったことで活動が停滞していたことを公表。

8月10日、翌11日の北総サマーナイトホースショー(北総乗馬クラブ)出場を発表。

12月11日、ホテル椿山荘東京グランドホール椿で「華原朋美 Christmas Dinner Show 2018」が開催される。

 

 

2019年5月4日、妊娠6か月で相手は外資系企業勤務の一般男性であることをファンクラブサイトで公表した。

8月30日、45歳で第1子男児の出産を報告。

12月19日、5年連続となる「華原朋美 Christmas Dinner Show 2019」が開催され、出産後初の歌声を披露した。

 

 

2020年2月9日、ガールズオーディションプロジェクト「DUO presents TCG AUDITION 2020」の公開ドラフト会議に出席。出産後、表舞台に初めて登場した。

9月14日、本人の申し入れで所属事務所プロダクション尾木および所属レコード会社ユニバーサルミュージックとの契約を8月31日で解除したことが発表され、事実上フリーランスとなる。  

 

 

2021年、所属事務所を株式会社伝元に移籍。 

8月17日、所属事務所社長兼専属マネージャーの大野友洋との結婚を発表。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「華原朋美」