アダム・アント(Adam Ant/誕生名:Stuart Leslie Goddard/1954年11月3日~)は、

イギリスのロックシンガー、作詞・作曲家、俳優。「Adam & The Ants」のリーダーとして有名。

 

 

スチュアート・ゴダードはロンドンのメリルボーン(Marylebone)で、イギリス空軍に勤務する父レスリー・アルフレッド・ゴダードと、刺繍師の親ベティ・キャスリーン・スミスの間に生まれた。一人っ子だった。

母方の祖父、ウォルター・アルバニー・スミスはロマであり、

スチュアートもこの血を引いている。

 

両親はスチュアートが7歳の時に離婚、家政婦として働き彼を育てた母親は、

一時ポール・マッカートニーの家で働いていたこともある。

スチュアートの最初の学校はロビンスフィールド幼児学校で、2日間連続して校長室の窓からレンガを投げるという騒ぎを引き起こした。この事件の余波で、ゴダードは教師の監督下に置かれた。ジョアンナ・サロマンは、彼に芸術の能力を伸ばすことを奨励し、後にスチュアートが創造的である可能性があることを彼に示した最初の人物として知られる。

 

その後、スチュアートはバローヒルジュニアスクールに通い、そこでボクシングを行い、クリケットチームのメンバーとして活動した。その後、イレブンプラス試験に合格してセントメリルボーングラマースクールに入学した。彼は歴史の授業を楽しんだり、ラグビーをしたり、後に学校の学長になった。スチュアートはホーンジー芸術大学に合格し、グラフィックデザインを学んだ。彼は後にホーンジーを中退し、音楽のキャリアに専念した。

 

初めてのバンド「バス―カ・ジョー」(Bazooka Joe)では、スチュアートはベースを担当した。

 

ホーンジーに入学後、スチュアートはキャロル・ミルズと学生結婚し、妻の両親の家で同居した。その後間もなく彼は拒食症になり、薬を過剰摂取した挙句、ロンドン北部のコルニーハッチ精神病院に送られた。妻による監督を条件として退院できたのは、入院してから3か月も経った後だった。

 

スチュアートは退院後、「アダム・アント」(Adam Ant)に改名した。彼曰く、「アダムが最初の男だったので、アダムになりたいと思っていた。核爆発があった場合でもアリは生き残るのでこの名を選んだ」という。

 

1977年、彼は音楽仲間で元B-Sidesのレスター・スクエアとアンディ・ウォーレン、そしてドラマーのポール・フラナガンも加えて、バンドを結成。当初は単に「ジ・アンツ」と名付けられたこのバンドは、後に「アダム&ジ・アンツ」(Adam and the Ants)に改名。ロンドンのロキシークラブなどで演奏した。

5月10日、現代美術館のレストランで行われたアダム&ジ・アンツの公式デビューギグで

演奏された最初の曲“Beat My Guest”は、後の1981年4月27日にリリースされた

大ヒットナンバー"Stand and Deliver"のカップリング曲としてリリースされた。

 

アダム&ジ・アンツは、当時勢いを増していたパンクロック・ムーヴメントの一環として始まった。アダムとアンツは、キングスロードのSEXブティックのマネージャーであるジョーダンとロンドン周辺でギグを始めた。その後、1978年公開のデレク・ジャーマン監督の「パンク」カルト映画『ジュビリー』に出演。彼のレコーディングアーティストとしてのデビューは、映画のサウンドトラックに登場した曲“Deutscher Girls”と、映画の中で演奏された“Plastic Surgery”だった。これらの曲は1982年にシングルとして再リリースされた。バンドは英国中をツアーで回ったが、フェティッシュな歌詞やイメージを嫌うイギリスの音楽プレスにはまったく評価されなかった。

 

1979年11月30日、インディーズレーベルよりデビューアルバム『ダーク・ウェアズ・ホワイト・ソックス』(Dirk Wears White Sox)をリリース。メンバーは、マシュー・アッシュマン(G)、アンディ・ウォーレン(B)、デイブ・バルバロッサ(Ds)だった。

 

その後、アダムはプロデューサーのマルコム・マクラーレンに接近し、バンドのマネジメントを依頼するが、方向性で食い違い意見の合わないマルコムに裏切られる形で、バンドのメンバーをすべて引き抜かれる。このバンドメンバーは、後にバウ・ワウ・ワウ(Bow Wow Wow)を結成してデビューする。

 

アダムは新しくメンバーを集め、マルコ・ピロニ(G)、ケヴィン・ムーニー(B)、そして「メリック」という名前を使用した2人のドラマー、テリー・リー・ミオールとクリス・ヒューズ(元ダレク・アイ・ラブ・ユー)というラインナップで、新生アダム&ジ・アンツを結成した。

 

1980年夏、バンドはCBSレコードとメジャーレーベル契約を結び、レコーディングに取り組んだ。

11月3日、アダムの誕生日であるこの日発表されたアルバム『アダムの王国』(Kings of the Wild Frontier)は、全英10週連続1位となる。シングル“アントミュージック”(Antmusic)は同年12月までにUKシングルチャート(以下「全英」)で2位になり、オーストラリアではチャート1位を達成。また、"Dog Eat Dog"は全英4位、タイトルナンバー“Kings of the Wild Frontier”もシングルカットし、チャートインした。ヴィヴィアン・ウエストウッドの手掛ける「海賊ファッション」で顔にはメイクを施し、ヴィジュアル的にも大ブレイク。コンサート会場は衣装やメイクを真似たファンであふれた。

 

 

 

 

1981年2月、ケヴィンが突然脱退、その後任として、元ロキシー・ミュージックのベーシスト、ゲイリー・ティブスがバンドに加わった。

同年秋に発表されたアルバム『プリンス・チャーミング』(Prince Charming)も成功、全英2位を記録した。シングルカットされた“Stand and Deliver”はバンド初の全英1位に輝き、タイトルナンバー“Prince Charming”も彼らにとって2曲目の全英No.1となった。さらに“Ant Rap”は全英チャートに9位で初登場し、最高位3位を記録した。

 

 

 

 

 

1982年、絶頂の最中、バンドは解散。

同年5月、アダムがソロデビュー、最初のシングル“Goody Two Shoes”をリリースすると、いきなり全英1位を達成した。

 

 

ヒットシングル“Goody Two Shoes”が収録されたデビュー・アルバム『敵か味方か』(Friend Or Foe)は成功を収め、タイトルナンバー “Friend or Foe”もシングルカットされ、同年9月に9位に到達。同アルバムにはドアーズのカヴァー"Hello, I Love You"も収録された。

 

 

 

“Goody Two Shoes”は、90年代後半に小沢健二のシングル曲“ダイスを転がせ”に引用された他、2012年にはSMAP出演によるソフトバンクモバイルのCM『Smap GALA編』でCMソングとしても起用された。

 

1983年、ソロ2枚目のアルバム『Strip』はトップ10のシングル“Puss'n' Boots”を生み出し、同年10月に5位を記録した。フィル・コリンズが“Puss'n' Boots”と“Strip”でドラムを叩いている他、“Srtip”にはABBAで有名な歌手のアンニフリッドリングスタッドも参加している。

 

 

 

 

1984年、次のアルバムからの先行シングル“アポロ9号”(Apollo 9)が9月にチャート13位に

到達した。

 

 

1985年9月、3枚目のアルバム『Vive Le Rock』がリリースされた。

 

同年の終わり、アダムは音楽活動を一時停止し、以降、演技のキャリアに集中。俳優として

アメリカの映画やドラマに出演した。

 

1990年、アダムは4枚目のアルバム『マナーズ&フィジーク』(Manners & Physique)をリリースし、音楽シーンにカムバック。ソロアーティストでプリンスの初期メンバーであるアンドレ・シモンと共演した本アルバムは中ヒット、シングルカットされた“Room at the Top”は全米17位、全英でも13位となり、大西洋の両側でトップ20ヒットとなった。アルバムには、米国とドイツで2番目のシングルとしてリリースされた“Rough Stuff”も収録されている。

 

 

 

 

1992年、アメリカのバンド「ナイン・インチ・ネイルズ」は、アダム&ジ・アンツの“フィジカル(ユーアー・ソー)”(Physical)のカヴァーを収録したEP“Broken”をリリースした。

 

1995年、アダム・アントとナイン・インチ・ネイルズはツアーで「フィジカル」ライヴを行い、アダムを新世代の音楽ファンに紹介した。

同年、アダムはソロとしては5枚目となるスタジオアルバム『Wonderful』をリリース。アコースティックをよりフィーチャーした本アルバムは、ビルボード200チャートで143位になった。また、タイトルナンバー“Wonderful”は全米トップ40ヒットシングルとなり、アルバムをサポートする米国でのツアーも成功した。

 

 

 

ツアーにはアダムの他、クリス・ドリモア(ゴッドファーザーズ、ダムド)、ブルース・ウィットキン、デイブ・ルフィ(ザ・ラッツ)、デイブ・バルバロッサ(アダム&ジ・アンツ、バウ・ワウ・ワウ)とともに、長年一緒のギタリスト、ピロニを帯同し、 1980年代よりも小さな会場ながら、熱狂的なファンに迎えられた。

 

1996年、アダムとピロニは、最新映画『Drop Dead Rock』のサウンドトラックとして、新曲“Lamé”と“Inseminator”の2曲をレコーディング。またこの頃、彼らはアンダーワールドでT.レックスの曲“ダンディ”のカヴァーをレコーディングした。

 

 

2001年、「911」が起きた後、アダムはニューヨークの消防士のためのチャリティーシングルを制作。ニール・ダイアモンドの“アメリカ”のダブルA面として、彼自身の歌である“ビッグトラブル”をリリースした。

 

2002年1月、1980年代に焦点を当てた「Here&Nowツアー」の準備を進めている中、パブの窓から車のオルタネーターを投げ、その後、模造銃で常連客を脅迫した罪で逮捕、起訴された後、ツアーに参加できなくなった。アダムは500ポンドの罰金を科され、執行猶予付きで精神科医療を命じられました。

 

2003年6月、隣人との衝突により、アントがシャベルで隣人のパティオのドアを壊そうとし、ズボンを下ろして丸まってカフェの地下室のコンクリートの床に横になった後、彼は再び逮捕された。もう一度、彼は刑事被害として起訴され、精神科病棟で時間を過ごした。

同年9月、彼は1983年のメンタルヘルス法に基づいて区分され、さらに6か月間入院中の精神科医療を受けた。彼は最終的にハイバリー治安判事裁判所の裁判官から条件付き免除を認められた。

 

2003年、『チャーミング王子の狂気』というタイトルのテレビスペシャルが英国で放映され、双極性障害に苦しんでいると診断されたアダムの経歴と精神疾患との闘いを記録した。

 

2006年9月、彼は自伝『Stand&Deliver』を上梓。初版の成功後、1年後にペーパーバック版が発行さた。

 

2010年3月4日、アダムは彼の新しいレーベル「Blue Black HussarLtd」を開設。

5月18日、アダムは、ロンドンNHS病院で快適な体制であったにもかかわらず、精神病院に戻され、6月中旬まで入院し、その後退院した。公式声明の中でアダムは、入院が終了した後、年内にさらにギグを行う意向であると表明した。

実際、アダムは秋にいくつかの小さなゲリラギグを行った。

 

2011年6月26日、ロンドンのハイドパークで開催された「ハードロックコーリング2011」に出演、45,000人の聴衆を前に演奏した。

7月11日、ロンドンのウォーダーストリートで開催されたソーホーフェスティバルなど、アダムはさらにいくつかのソロギグに参加した。

 

2013年1月21日、新作アルバム『Adam Ant Is the Blueblack Hussar in Marrying the Gunner's Daughter』がリリースされた。

 

 

 

アルバムはインディーズにも拘らず全英25位、全英インディーズチャートでは3位に達した。アダムはアルバムのプロモーションのために、4月と5月にイギリス諸島周辺で一連のコンサートを行い、5月11日のラウンドハウスでもギグを行った。

6月14日にはローマで無料コンサートが行われ、

7月17日にサンディエゴで米国ツアーが始まり、9月21日のアナハイムまで開催された。

 

2014年の初め、アダムは次のアルバム『Bravest of the Brave』のレコーディングに取り組んでいたと伝えられる。

 

2016年、英国ツアーを催行。

 

2017年初め、北米をツアーし、アルバム『Kings of the WildFrontier』全体を演奏した。

1月24日、ボストンでのライヴが終わった後、バンドのギタリスト兼音楽監督、トム・エドワーズが、心不全の疑いで突然死去。41歳だった。ニューヨークとフィラデルフィアでのショーをキャンセルした後、ツアーは続いた。

同年後半、彼は英国をツアーし、秋に「Anthems:The Singles」というタイトルで別のツアーを再び北米で実施、その後オーストラリアとニュージーランドへのキングスツアーに参加することを発表した。

 

2019年9月から12月まで北米と英国を旅する「Friend orFoeツアー」を発表。彼は26回のショーのためにイギリスに戻る前に、北米での18日間のツアーでアルバム全体を演奏した。

当初2020年4月から5月に予定されていた北米ツアーは、新型コロナ(Covid -19)のパンデミックによる影響で、2021年に延期された。

 

 

2014年に発表のあったアルバム『Bravest of the Brave』について

2020年11月3日現在、公式サイトにいまだ情報なし。

 

 

 

(参照)

Wikipedia「アダム&ジ・アンツ」「Adam Ant」(英語版)「Adam & The Ants」(英語版)

アダム・アント公式ウェブサイト

adam-ant.net

adam-ant.com