中森 明菜(なかもり あきな/1965(昭和40)年7月13日~)は、

日本の歌手、俳優。本名同じ。

東京都大田区生まれ、清瀬市育ち。明治大学付属中野高等学校定時制中退。

 

東京都大田区に、6人兄弟・姉妹(2男4女)の5番目、三女として生まれる。

兄弟姉妹たちは、父の名前にちなんで全員が「明」の付く名前である。

四女で末子の妹・明穂も後に芸能界入りしたが、短期間で引退、2019年に死去。

 

出生後、清瀬市に移り住み、4歳から14歳の時までバレエ教室に通う。

母の影響から歌手の夢を抱くようになり、日本テレビ系のオーディション番組

『スター誕生!』に幾度となく挑戦する。

1981(昭和56)年7月11日収録の『スター誕生!』に本大会3度目の挑戦で、

番組史上最高得点の392点にて合格。ワーナー・パイオニアとレコード契約を締結。

 

1982(昭和57)年5月1日、16歳でシングル“スローモーション”をリリースしデビュー。

本名でのデビューは中森本人の強い意向だったという。

同年7月1日、ファースト・アルバム『プロローグ〈序幕〉』を発売。

 

オリコン(以下「オリコン」省略)週間アルバムチャートの10月4日付で最高位5位を記録。

同年7月28日、2枚目のシングル“少女A”が週間シングルチャートで

最高位5位(10月18日付)を記録し、ブレイクする。

 

続いて11月に発売した3枚目のシングル“セカンド・ラブ”は、

週間シングルチャートで初の1位を獲得(11月29日付)、

翌1983年の年間シングルチャートでは8位を記録、約77万枚を売り上げる。

当初からヘアスタイルからメイク、衣装に至るまで意見を出し、

中森が自らプロデュース、コーディネートを行っている。

 

なお、この年はアイドルの当たり年で、1981年10月から1982年9月にデビューした

アイドル達を総称し「花の82年組」または「花の57年組」と呼んだ。

同期には、石川秀美、小泉今日子、嶋大輔、シブがき隊、原田知世、早見優、

堀ちえみ、松本伊代、三田寛子、薬師丸ひろ子、渡辺徹(五十音順)らがいる。

 

1983(昭和58)年には、2月23日“1⁄2の神話”が1位、

6月1日“トワイライト -夕暮れ便り-”が8位、 9月7日“禁区”も1位と、ヒットを連発した。

 

スタジオ・アルバムはこの年、3月に通算3作目『ファンタジー〈幻想曲〉』、

8月に4作目の『NEW AKINA エトランゼ』を発売する。

『NEW AKINA エトランゼ』は第25回日本レコード大賞の'83アルバムベスト10を獲得した。

12月には初のベスト・アルバム『BEST AKINA メモワール』を発売し、

オリコンで5週連続首位を獲得した。

 

1984(昭和59)年5月にデビュー3周年目を記念した5枚目のアルバム

『ANNIVERSARY』を発売。同アルバムに収録され、

中森の提案によりタイトルが決定された7枚目のシングル“北ウイング”は、

年間チャートで9位を記録した。

 

10月、6枚目アルバム『POSSIBILITY』を発売し、シングル・カット曲は

“サザン・ウインド”が10位、“十戒 (1984)”が6位と、同年の年間チャートでトップテン入りした。

11月、井上陽水から楽曲提供を受けた10枚目シングル“飾りじゃないのよ涙は”をリリース。

単なるアイドルから一人のシンガー、ミュージシャンへ進化する転機となったこの楽曲は、1985年の年間チャートで6位を記録した。

 

 

1985(昭和60)年1月公開の映画『愛・旅立ち』で近藤真彦と共に主演を務める。

3月、11枚目のシングル“ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕” は、

オリコン年間チャートで2位を記録、さらに日本レコード大賞を受賞した。

 

 

1986(昭和61)年6月発売の12枚目シングル“SAND BEIGE -砂漠へ-”では、

新人作詞家のデビュー作を起用。同曲は同年の年間チャートで7位を獲得した。

8月、8枚目のアルバム『D404ME』がリリース、

第27回日本レコード大賞の優秀アルバム賞を獲得した。

 

1987(昭和62)年2月、14枚目シングル“DESIRE -情熱-”をリリース、同年の年間チャートで

2位を記録し、第28回日本レコード大賞で前年に続き日本レコード大賞を受賞。

女性ソロ歌手として史上初の日本レコード大賞受賞の連続受賞を果たす。

 

同年3月、1986年度第1回日本ゴールドディスク大賞でアーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞。

8月発売の11枚目のアルバム『Cross My Palm』では全曲英語詞の楽曲に取り組む。

同年末には、日本有線大賞の最多リクエスト歌手賞を1983年以来5年連続で受賞。

さらに、同年発売のシングルは “TANGO NOIR” 2位、“BLONDE” 7位、“難破船” 6位と、

年間シングルチャートでトップテン入りを記録。

「年間アーティスト・トータル・セールス」は、

1983年、1985年、1986年、1987年と歴代最多の4度目の首位を獲得した。

 

 

1988(昭和63)年3月、12枚目のアルバム『Stock』をリリースする。

 

5月には21枚目シングル“TATTOO”をリリースし、週間ランキング1位を獲得、

これにより同チャートでの連続1位記録が15曲となった。

同曲はTBS系の音楽番組『ザ・ベストテン』でも1位を獲得し、同番組で1位週数69週を記録、番組史上最多回数となった。加えて、同番組での最多1位獲得曲数も17曲の歴代1位で、

「ベストテンの女王」の異名を誇る。

中森も同番組用に特別に衣装を用意するなど、重いレが強かった。

8月、ジョン・リンド、ピーター・フランプトンら海外アーティストを起用した

13枚目のアルバム『Femme Fatale』を発売。

12月、“DESIRE -情熱-”から“I MISSED "THE SHOCK"”まで収録のベスト・アルバム

『BEST II』を発売し、売上枚数は80万枚を突破した。

 

1989(平成元)年4月、デビュー8周年を記念し、シングル曲のみで構成された

スペシャル・ライブAKINA INDEX-XXIII The 8th Anniversaryを開催。

7月25日リリースの14枚目アルバム『CRUISE』が3週連続1位を記録。

11月にはAKINA INDEX-XXIII The 8th Anniversaryのライヴ・アルバムとライヴビデオ

『AKINA EAST LIVE INDEX-XXIII』がそれぞれリリースされた。

同ライヴビデオは、'89ビデオ・オブ・ザ・イヤーで最優秀ミュージックビデオ賞を獲得する。

 

1980年代のシングル総売上げは年間ベスト50位以内のものに限っても932.5万枚、

年間50位以内ランクイン曲数は22曲と、どちらも当時の女性アイドル中で1位であった。

同じく1980年代、当時の女性アイドルの中で年間シングルチャート最高位の座を

1983年、1985年、1986年、1987年の4回獲得している。

 

歌手と並行して俳優としても1980年代半ばから本格的に活動しており、

1985年1月公開の映画『愛・旅立ち』で主演を務めたのを始め、

同年4月、TBS系ドラマ『ベスト・フレンド』でテレビドラマ初主演。

1991年は、8月放送のフジテレビ系ドラマ『悪女A・B』の他、4本のテレビドラマに主演した。

1992年には連続テレビドラマ『素顔のままで』(フジテレビ系)に安田成美とW主演。

同年7月に公開された映画『走れメロス』に声優として出演した。

1994年4月13日放送の『古畑任三郎』シリーズ1st season

『警部補 古畑任三郎』第1回にゲストとして犯人役で出演した。

その後も1998年の連続テレビドラマ『冷たい月』(日本テレビ系)で

永作博美とともにW主演するなど活動を広げている。

 

1990(平成2)年7月リリースの24枚目シングル“Dear Friend”は

週間シングルランキングで7月30日と8月13日付の通算2週で1位を獲得、年間チャートで

6位を記録した。これにより、年間チャートの10位内の曲数が通算13曲となり、

ソロ歌手として歴代最多記録となった。

 

さらに、次作“水に挿した花”も同年11月19日付のチャートで週間1位を記録し、

同チャートで通算21曲の1位を獲得、女性アーティストでは歴代6位の記録となっている。

 

 

1991(平成3)年、デビュー10周年目を迎え、3月に26枚目のシングル

“二人静 -「天河伝説殺人事件」より”をリリース後、

7月にスペシャル・ライブ夢 '91 Akina Nakamori Special Liveを開催した。

 

1993(平成5)年、MCAビクターに移籍し、MCAがマネジメントの実質的窓口業務も担う。

5月には27枚目のシングル“Everlasting Love・NOT CRAZY TO ME”を発売し、9月には、

4年ぶりに15枚目アルバム『UNBALANCE+BALANCE』をリリース。同アルバム収録の

“愛撫”は有線チャートで最高順位3位を記録し、翌年シングルカットされた。

 

 

1994(平成6)年3月24日、自身初のカヴァー・アルバム『歌姫』を発売する。

同作は批評家から肯定的評価を受け、歌手としての新境地を開拓する。

 

1995(平成7)年7月、16枚目のアルバム『la alteración』をリリース。

11月、ブライアン・セッツァープロデュースの32枚目シングル“Tokyo Rose”を

「AKINA」名義でリリースした。

 

1996(平成8)年8月、小室哲哉プロデュースによる33枚目のシングル

“MOONLIGHT SHADOW-月に吠えろ”をリリース。

 

1997(平成9)年、3月に17枚目のスタジオ・アルバム『SHAKER』を発売。

 

1998(平成10)年、MCAビクターからガウスエンタテインメントへ所属レコード会社を移籍。

2月には主演ドラマ『冷たい月』のテーマソングで移籍第1弾となった

35枚目のシングル“帰省 〜Never Forget〜”をリリース。

6月には18枚目のスタジオ・アルバム『SPOON』を発売。

 

1999(平成11)年1月、主演ドラマ『ボーダー 犯罪心理捜査ファイル』のテーマとなった

38枚目のシングル“オフェリア”を発売する。

12月には19枚目のスタジオ・アルバム『will』を発売した。

 

2001(平成13)年、デビュー20周年目を迎え、5月にMusic@nifty内のインディーズレーベル@easeにて、40枚目のシングル“It's brand new day”を音楽配信で先行リリースする。

 

 

2002(平成14)年にはユニバーサルミュージックに移籍し、

カヴァー・アルバム『-ZEROalbum- 歌姫2』を発表。

歌姫シリーズの第2弾として発売されたこのアルバムはヒットを記録する。

以降、『歌姫3 〜終幕』、『フォーク・ソング〜歌姫抒情歌』など

カヴァー・アルバムのシリーズ作をリリースする。

 

2004(平成16)年にはプライベートレーベル「歌姫レコーズ」を設立した。

 

2010(平成22)年10月、体調不良により芸能活動の無期限休止を発表。

それ以降メディア出演は元より、公の場へ一切姿を現していなかったが、

2014(平成26)年12月31日、第65回NHK紅白歌合戦に「スペシャルゲスト」として、

ニューヨークのレコーディングスタジオから生中継で登場し、

4年3か月ぶりに芸能活動の復活を果たした。

 

2015(平成27)年1月には、シングル“Rojo -Tierra-”、

カヴァー・アルバム『歌姫4 -My Eggs Benedict-』をリリース。

 

2017(平成29)年11月8日、25枚目のアルバム『明菜』(あきな)をリリース。

 

2020(令和2)年現在はTV等のメディア出演をセーブしており、

公の場へ姿を見せていないものの、アルバム作品の発売など

音楽活動は意欲的に取り組んでいる。

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「中森明菜」

中森明菜オフィシャルサイト

nakamoriakina.com