振った、振られたはセットです | ヘルメスの丘 ~In Tune with Hermes~

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伊野華絵(いのはなえ)の世界へようこそ。
ヘルメス(水星)が誘う、人生を楽しむ術。

失恋したこと(=振られたこと)、あります?

 

 

・・・わたしは あります。

 

 

失恋させたこと(=振ったこと)、あります?

 

 

・・・わたしは あります。

 

 

 

「振った」「振られた」の話は、振った人と 振られた人のセットで成り立つ構造なのは明らかですね。

 

 

 

遥かむかし、遡ること高校生の頃、担任の先生が サルみたいな怖い顔(これがデフォルト 笑)でよくおっしゃっていたのです。

 

 

「おまえたちが よく 『数学はもう捨てた』 とか 『英語はもう捨てた』 とかいうが、捨てたのではない。 捨てられたのだ

 

 

妙にこの言葉が記憶に残っています。

 

 

これは、年次試験や大学受験に向けての勉強が盛りの頃、自分にとって必須な科目だけに集中したいときに

 

皆が口癖のように漏らしていた言葉です。 わたしもよく使っていたな~

 

 

ここでの「捨てた」は、「勉強をやめた」 とか 「テストで高得点を取るための努力をあきらめた」 ということなのですが、

 

 

先生曰く、捨てるのはわたしたち生徒の側ではなく、「数学さま」 や「英語さま」のほうだ(=おまえらが見限られた)とのことでした爆  笑

 

 

まぁ、そうなんですが、このことと恋愛現象の「振った」「振られた」 もいわば同じことのように思うのです。

 

 

この役割は 裏側で逆転現象が起こっていることがあり、

 

 

一見 「振られた」 という現実が起こっても、実際は背後の存在が

 

 

「振られるように仕向けて 自分が相手を見限った」 ということもあります。

 

 

逆のこともしかりで、

 

「振った」つもりが 実は向こう側から自分を振るように仕向けられていて 振りたかったのは相手側だった

 

ということです。

 

 

いやあ、わからないものですよ。

 

 

というわけで、何を言いたいかというと、

 

 

「振られても、見限られても、嫌われても 一切にしない」 ということです ウインク

 

 

人生、結果的に何がさいわいするかわかりませんので・・・ネ。

 

 

 

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