綺堂随筆 江戸の思い出  岡本綺堂  河出文庫
明治初期に東京山手の旧御家人の家に生まれ育った著者が、江戸の名残を残す東京の風物の移ろいを徒然に書き記した随筆だ。どこか寂しげでありながら温もりを感じる追憶の文章は、現在を生きるぼくの胸にも響いた。何故人は思い出を愛おしく思うのだろう。自分を旧東京の前期の人であると語る著者の感情とぼくのそれとの間には時間の隔たりなどは感じない。ただぼくは、著者にすれば変わり果ててしまったはずの時代を、著者のように今と比べて懐かしんでいる、ただそれだけの違いでしかない。人というのは何時の時代も変わらないものなのだなぁ、と思う。
著者によれば、東京は関東大震災をもって新東京と旧東京に区別されるという。物理的に旧文物が叩き壊されてしまったからだ。さらに旧東京は明治初期と日清戦争以降とで前期と後期に分かたれていたのだという。前期はどんなに文明開化の風が吹きまくっていても、それは形容ばかりの進化であって、そこで暮らす大多数の人々は江戸時代からはみ出してきた人たちであるという。そして著者自身は、そういう人達に育まれ教えられた、旧東京の前期の人なのだという。