プロフィール (ジョイ・マキ)①
【模索していた大学時代】
高校生の終わり頃に劇団に入り、女優になりたいという情熱が高まる中、好きだった英語も学びたかったので京都外国語大学に進学。
結局、学校より演劇のほうにどっぷりはまっていった。
話すことが苦手なわたしが、たくさんの舞台に立ち人前で演技をするようになった。
舞台に立つのはは楽しかったけど、へた!笑
肉体的にも精神的にもハードで、常に身体が重く、生理がないのは当たり前。肌荒れもひどかった。演劇で得られる収入は少なく、これでやっていけるのかと不安と焦りが強く、でもわたしにはこれしかないと思っていた。
女優業は、がんばってもなかなか道が拓けなかったけど、あるときダンスの経験がほとんどないのにダンサーとしてスカウトされ、ゼロからダンスを学びながらショーダンスや、振り付け、ダンス指導の仕事をするように。
そのときに、がんばってもうまくいかないものもあれば、がんばらなくてもうまくいくものがあることを知った。
踊ることは楽しく、中学生でランバダを踊ったときの開放的な感覚が蘇ってきた。
とくにショーでは、エネルギーが大きく会場全体を巡り、一体になっていく・・・そんな感覚に、身体の奥からイキイキとした躍動感が生まれてきました。
大学を卒業し、演劇で生きていきたいと思うけれどもうまくいかない。。
演技でうまく表現できないもどかしさを感じながら、友人と写真を撮りはじめて、写真を通して自分の想いや内にある感情を表現していく中、それが作品として纏まりフォトギャラリーをしたり、写真が小説の表紙となったり。集大成としてこだわり抜いたフォトエッセイ集「loveju~ラブジュ~」を出版。
写真での表現はわくわく集中できたものすごく楽しいことだったけど、いつも心の中はどこかに大きな不安があった。
わたしはなにができるんだろう?
わたしは何をして生きていけばいいんだろう?
自分の道を探して模索していた。
演劇、ダンス、写真と、好きなことをしていたけど、未来に安心感や光が見えず、将来どうなっていくのだろうと悶々としていた。
【さまよい続けた20代】
その後、女優を目指して東京に上京。
演技のトレーニングを受けても、オーディションで落ち続ける日々。。
ダンスの仕事に、モデル、そのほか様々なアルバイトをしました。
美容と健康のためにとお金を使うけど、お肌はぼろぼろ、体調はいつもすぐれず、夢を追うけど叶わず、常に比較や競争、先が見えない不安で心身ともにぼろぼろの20代。
29歳のときに自律神経の乱れで動けなくなった。
「自分の体が思うように動かない」ということをはじめて体験した。
なんとか歩けたけど、ゆっくり、なにかにつかまりながらがやっと。
そのとき、もう全てを捨てて、ゼロになろうと思った。
(お金も完全にゼロやったな(笑))
【ゼロからはじめた30代】
そのときにたまたま見つけた広告でヨガインストラクター募集を見つけ、「資格を持ってなくてもインストラクターになれる」という文に心が反応して応募。2回オーディションで落ちたけど「これしかない!」と必死の覚悟で再挑戦し、なんとか合格!研修を受けてヨガのインストラクターとしてデビューした。
ヨガの経験は、20代前半に数回やってみたことがある程度だったけど、なぜかそのとき、「30歳になっても女優でうまくいかなければヨガのインストラクターになろう」と思っていて、本当に30歳でヨガのインストラクターになった。
そこから、世界が大きく変わりました。
体調は徐々によくなり、ずっと悩んで隠していたひどい肌荒れも徐々に治り、なにもしなくてもきれいなお肌になった。
誰とも比べなくていい、マイペースでいい。
自分を大切にする。
生徒さんにお話するその言葉に、自分がなにより癒やされた。
お客さまが喜んでくれることは何にもかえられない喜びで、インストラクター仲間は、とても気さくで、あたたく。ヨガをはじめて、出会う人も大きく変わった。
今思えば、女優を目指していたときに根底にあったのは自己否定で、わたしはわたしを消して、別の人間になる努力してきました。
でも、自分を否定した先に道は拓かれなかった。
ヨガをはじめて、「自分の持って生まれたものを受け入れて大切にする」ようになり・・・・
するとヨガをしているとき、
「わたし」が消えた。
正確には、「わたし」というエゴが消えていった。
無になるとはこういうことなのか。
全てがひとつに溶けて繋がっている一体感。
自分がからっぽになり、満たされていく・・・
なんて心地良い感覚なんだろう。
ヨガのインストラクターをしているときは、「わたし」がなくなって筒のようになり、話すことが苦手だったのに言葉が勝手に出てきた。
心がどんどん解放され、
楽しくて、楽しくて、夢中で、ほぼ年中無休でヨガのレッスンをした。
出会いとご縁からフリーでいただくお仕事が増えて、独立。
もっと身体のことを知りたい、ひとの身体に直接触れたいと思い、整体のお店に入りセラピストもはじめたり、そのお店でやっていた骨格ストレッチの師匠のサポートで、なぜかセラピストのダンスチームを作り、イベントのステージで踊ったりテレビに出演したりと…どんどん自由に、自分らしくいられる楽しい仕事に恵まれるようになってきました。
そんな中ホットヨガスタジオのオーナーさんから直接依頼をいただき、これからオープンするスタジオのプログラムの制作や、インストラクターの養成をやらせていただくことに。
やりがいのある楽しい仕事で、スタジオは笑顔が広がるスタジオへとあたたかい場が育まれていて、・・・携われたことがとても光栄で、わたしにとって大きな学び、そして自信となった。
ヨガをはじめて直感が冴えてくるようになり、ふとしたときにインスピレーションがおりるようになりました。
「南国風の大きな家の中に、子どもや孫がたくさんいて、笑っているおばあちゃんの自分の姿」のインスピレーションをある時受け取り、わたしが本当に望んでいる未来はこういったものなんだと感じた。
それと、「ママがしあわせになっていく」、「ビューティーマミー」という言葉とビジョンがおりてきて、そこからママのためのヨガや子どもとのふれあい方を学び、産後ヨガ教室を主宰しはじめました。
続きます♪