幼少期からのプロフィールです。
【しゃべらないこども時代】
サラリーマンの父と、看護婦の母のもと、大阪で生まれて、大阪で育ちました。
まわりはコテコテの関西人のなか、子どもの頃は無口で、あまりしゃべらない子だった。
「わたしはだめだ、自分を消したい」と思っていた。自分の見た目も声も、性格もきらいで、自己否定が強かった。
女性であることも否定していて、女の子らしいかわいらしい格好をしたいと思うこともなく、男の子のような格好をしていた。(男の子にもよく間違えられたな)
人の輪に入るのが苦手で、孤独で、生き苦しかった。
小学生の頃は協調性がなく、勉強もできない劣等生。
授業中は想像の世界にいて常にうわのそら。
「ひとはどこからやってきて、どこに行くのか」、「宇宙ってどれだけ広いんや」とか考えてはドキドキしている、内向的で変わった子だった。
そんなわたしが唯一自分を解放していけたのが、体育の授業や体を動かす遊び、自然の中で過ごす時間、それと詩を書くことだった。
しゃべることが苦手だったのだけど、おとなしい外見の内側にある好奇心と創造性を、体を動かすことや詩を書くことで外に出すことができるようになり、それを「すごいね」と、先生や母が認めてくれたり褒めてくれたことで、高学年になるにつれ小さな自信も生まれてきた。
とはいえ、変わらず勉強はできない落ちこぼれだった。
【自分を表現する喜びを知った中学時代】
相変わらずおとなしく、見た目も雰囲気も男の子のようだったし、男の子にも間違えられた。
自分を表現できた印象的な出来事が、学校での文化祭かなにかで踊ったランバダ(ダンス)だった。
ラテンのリズムと動きに全細胞が喜んだ!はじめての感覚!
気がついたら気が合う仲良しの友達とペアで、ダイナミックに踊りそれがあまりに楽しそうで注目されるように。
「内気でおとなしいひと」から、「え、実はめっちゃおもしろい明るいひとやん!」と、そこから一気に友達が増えた。
その辺り詳しくはこちら↓
本音に従う①
そのとき、自分を思いきり出す気持ちよさをはじめて知った。
明るさやひょうきんさ、ダイナミックさが自分の中にあったなんて!
勉強のできる友だちができて、その友だちの影響で、劣等生だったのがぐんぐん成績が良くなった。とくに、英語が好きで教科書を丸覚えした。
【直感に従い行動することをはじめた高校時代】
この頃には女優になりたいと思っていた。
ただ学校の演劇部を見学してもピンとこず、好きだったサッカーをしようと思い立ち、まわりを誘い女子サッカー同好会を立ち上げた。
毎日ボールを蹴る日々。ますます男子、でした。
身体を動かし、自分を解放していくこと。
やりたいと思ったらゼロからでも立ち上げること。
それは自分の本質的に好きであり、得意のようだ。
「変わっている」「そんなことをしてなんになる?」とまわりに言われたけど、シンプルにやりたいからやる、ゼロからでも自分で作るということはこの時期からできるようになり、今わたしが行動力があると言われるのは高校時代にそれをしはじめたからだ。
それと、高校生のときにオーストラリアに短期留学をしたとき、そのときに見た海や、砂漠、空の広さに圧倒され、強く感動た。
大自然の中にいると、心がわくわくと喜んでいるのがわかった。
いつも小さな枠の中にいるようだったのが、心がのびのびと開放的になり、不思議に自分らしくいれた。
そこで一緒だった仲間やオーストラリアのひととの時間が楽しく、笑ったり、しゃべったり。
家族旅行も含め、自然とふれあう機会の中で、わたしはわたしらしく、自由になれた。
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好きだったもの、やってきたこと、心から惹かれたもの。
今振り返ると、そのときはひとつひとつの意味は全くわからないけど、後で全てが線に繋がった。
繋がりを実感できたのは、30歳でヨガのインストラクターをはじめてから。
ヨガは「繋がる」を意味する。
身体や心だけでなく、人生の体験全てが繋がる・・・
辛い思いも体験も、全ては意味のあること。
今はそう思える。
ただ、まだこの高校時代の頃は焦りや不安、そしてぬぐいようのない「誰とも繋がっていない孤独感」があった。
続きます♪