なんか気持ちがモヤモヤしてて、寝て起きてもなにかが引っかかって苦しい感じが今日はありました。

奥さんとのやりとりのどっかにひっかかりがあるのはわかってたんですが、どこがどうひっかかってたのかよくわからなくて、考えることが、

「奥さんの受け取り方が問題」

「奥さんの返答の仕方が問題」

「奥さんの態度が問題」

「奥さんの発言の仕方が問題」

って感じで、とにかく奥さんのせいにしようとしてたんですよ。


そこでふと、じゃあそれを奥さんに伝えて私すっきりするの? と想像してみたら、しないんですよね。

これ奥さんの問題じゃなくて私の問題じゃん。

というか、問題って?

何が問題かって話が出発点だったか?

違う、モヤモヤしてたくない、が目的だったはずだ、と原点に帰れました。


他人の行動が私の望むものじゃなかったから、他人の行動を私が望むようにさせよう、というのが目的ではないんだーと。

じゃあどうすればモヤモヤがなくなるのか、はわからなかったんですが、ひっかかってるところがなんなのか、不意にわかったんです。


優しさについての話をしたときでした。


私を優しいと言ってくれた人の話をしたときに、知り合って数時間の人だから無責任にそんなこと言えるんだよ、という言葉を聞いた時に、私の中にモヤモヤが生まれたようです。

私は、あなたは優しい人なんだよと言われて嬉しかったんですよ。

それを、そんなこと喜ぶに値しない、と大事な人に切り捨てられたように感じたんですね。

そう、そのとき私は悲しかったんだと思います。

その悲しい気持ちを即ラッピングしてポイってしちゃったから、悲しい気持ちからモヤモヤが発生し続けてたんですねー

これに気がついてラッピング解いたらモヤモヤしなくなりました。

悲しかった気持ちがなくなったわけじゃないんですが、悲しかったことがそこにあるだけ、という感じ。

辛くもしんどくもない。


私を優しいと言うのも、私を優しくないと言うのも、私を優しいと言う人を無責任と言うのも、その人がその時感じたことであれば、それは全部真実なんですよね。

そこにこっちがアプローチして「私は優しい人だと認識しろ!」と迫ってもそれは無理。

相手が私を優しいと感じるかどうかは相手次第で、その基準も私にはわからない。


私は、全ての人に私を優しい人だと認識して……じゃないな、承認してもらわないと私を優しい人だと認めてはいけないと思って…………るわけじゃない、違う、奥さんだ。

奥さんに認めてもらわないと自分の中に優しさがあると認めてはいけないと思っているのかも。

たぶんその奥には、母の影がある。


そもそもなぜ優しい人じゃなきゃいけないのか? というのも疑問ですしね。

優しさの解釈なんてみんな違うってのは、私を優しいと言う人も優しくないと言う人も言ってるので、じゃあ優しさってなんやねん、そんなわけのわからんものに振り回されてるのかーと思いました。


優しさという概念が私に優しくない(笑)


そんなわけで、モヤモヤする時は見ないでラッピングした気持ちからモヤモヤが漏出してるのかなーということでした。

モヤってるから漏出元を見つけにくいんでしょうが、探せばあるってことがわかったのはいい経験でした。