「自己肯定感を上げよう!」

 

という文言をよく見かけるようになりました。

アダルトチルドレン系のことを調べていて、数年前からよく出てくるワードだなーと思っていたんですが、最近あちこちで普通に使われるようになりましたね。

 

なんですが、どうにも理解できませんでした。

いろんなホームページやブログ、マンガを読んでも意味がわからない。

そもそも「自己を肯定する」の意味がわからない。

できてないから意味がわからないんでしょうが、書いてあるのはできるようになった人or最初からできた人ばかりのように見えて、具体的にどういうこと? という疑問が一向に解決しませんでした。

自己肯定とはなんなのか?

サイトやブログを読んでわかる人もいるのかもですが、私はわかりませんでした。

 

少し話がズレるのですが、私は物事を理解するときに、表面だけ・額面だけで理解するのが苦手です。

○○です、と言われてそれをそのまま受け取れないことがあり、なぜそうなのか? がわかってようやく「なるほど、そういうことか」となること多いなーと最近気づきました。

幼少期に「将来のために」という漠然とした謎の目的のために好成績や高学歴を求められてやりたくもないことをやり、知りたくもない知識を詰め込んで嫌気がさしたので、現状とのつながりを段階的に明らかにしてくれ、という思いがあるのかもしれません。

 

とまぁそんなわけなので、○○だから◇◇です! 的な単純なメソッドだとイマイチしっくりこなくて、そこに至ったヒストリーをもっと教えてくれ、ってなるんですよね。

ルーツを知ることで納得いく、みたいな。

これはまぁただの私のこだわりかもしれませんが。

 

そんな感じで最近わかった自己肯定の意味って、自分の持ってる要素にいいところを見つける、ではなく、
 
自分そのもので良い、とすること。
 
なのかなーと思いました。
私でいえば、攻撃的な言葉をよく口にする、という良くない要素があります。
ここにポジティブな意味を見出すのではなく、これは良くないままで良い、と思うことかなと。
良くない要素を持ってる自分でもいい、ダメでもいい。
これが自己肯定ってことなのかなと思いました。
 
自分の中のダメな要素を無くすんじゃなくて、ダメなままでもいい、とすること。
 
なぜダメで良いのか? という疑問が湧くんですが、これに対して明確な根拠はいらないみたいです。
よくわからんが私は私であるだけで良いのだから良い、他人の意見は知らん、という感じでいいみたいです。
 
でもこれとても恐ろしいんですよ。
ダメでも良い、とすると、本当にダメなヤツになってしまうのでは? って思っちゃうんですね。
でもよく考えると、ダメな点がある時点でもうダメなヤツなんですよ。
で、そのダメなところは変えられないんですよ。
じゃぁもう受け入れるしかないんですよね。
私の中のダメな点は、私に搭載されたデフォルトの機能だから、それに良し悪しなんかない、ただあるだけ、って解釈する。
 
ダメな自分を自分が認めようと認めまいと、許そうと許すまいと、自分そのものは変わらないし、ダメなのも変わらない。
だったらダメでもいい、これは私の自然だから、とした方が自分が楽なんですよ。
そしてそれができると、なぜか逆にそのダメな要素が薄まるんです。
こう、ダメだから隠さなきゃと無理矢理押し込めてると定期的に爆発するガスみたいなイメージで、あーもうダメでもいいわ、しょーがないわ、だってあるんだもん、消えないもん、もういい、そこにいていいよってすると、押し込めてない分出方が緩やかになるっぽいんですよね。
緩やかになると、そのダメさは特段そんなに問題にならないレベルにまで薄まってるかもしれません。
爆発すると大事故ですけど、漏出するくらいならそこまで被害はないって感じかな。
ダメなヤツでいてはいけない←ダメなやつでいないためにはダメなところを無くさなきゃいけない←ダメなところが見えないようにしなきゃいけない←抑圧して時々大爆発、ってことかなーと。
それ(ダメなところ)を無くさなくてもいいってことなんですよね。

だって無くならないもん。
無くならないものを無くそうとしたって無理。
それがわかってるから必死に隠そうとするんです。
私は偽装と呼んでいて、私の場合は「優しくないのがダメだけど、優しくなれない、だから優しい人を装わなきゃ」って感じですね。
でも結局無理、嘘なんだもん。
そこが上手い人もいて、そういう人は認知症とかになったときどえらいことになるんじゃないかなーと。
私はそこが上手くないというか、私そのもので居たい! という気持ちが強いのか、偽装が下手です。
 
じゃぁもうやめよ、ってことですね。
 
これが自己肯定なんじゃない? と今は思ってます。
 
自己肯定感を上げる、というのは、自分のいいところをピックアップしてダメな部分を覆うか誤魔化すかするのではなく、良いところもダメなところもまぁ全部良いってことで! 根拠はないけど! って感じで全肯定することかと。
騙されたと思って、鏡に向かって「いいね、最高」って数日前から言うようにしてるんですが、このこっぱずかしさは数日で薄れました。
なんか逆にシュールでおもしろい感じになってきた。
騙されたと思ってというか、自分を騙す感じなんですけど、意外と騙されてくれるんですよね自分て。
だから「ダメなヤツだなぁ」って言ってたらそういう風に騙されますし、「今日もいい、最高、so good!」って言ってたらそういう風に騙されてくれるんですよ。
だからこれを継続したら、なんか自分の事を根拠はないけど好きになれそう、って思いました。
 
ちなみにイギリス人はトイレでよく「Lovely」「Briliant」って言ってるらしいのでとりあえず真似してます。
他人のジャッジは他人の主観によるものなので、自分の主観とは別のところに置いとけばいい。
 
 
自己肯定は、怖いけど、ダメな私でもいい、とすることではないか、というお話でした。
変わらなくてもいい、ダメなままでもいい、ってすると、逆に変わる謎。