身寄りのない生活困窮者の納骨式を行いました
今年もあと僅か・・・
日曜日は、私の活動を応援して下さっている仲間のお寺にて、看取りに関わって下さった看護師さんらと共に、身寄りのない方(家族が遺骨の引き取りを拒否した等)の法要と納骨の儀式を行ってきました。
私が共同代表を務める葬送支援ネットワークhttp://www.sousou-shien.net/ では、生活困窮者(お金がない)や身寄りのない方、子供がいない等の訳ありの方を対象とした葬送支援(葬儀社と僧侶が協力して、葬儀・法要・納骨・供養)を行っています。
亡くなっても誰も供養する人がいない、墓守をする人がいない・・・家族や地域、会社といった縁が途絶えてしまい、無縁状態に陥っている・・・・
つまり「家族」「地域」「会社」といった「縁」の形態が変わってきていることによって、「孤立死」などの様々な事態が起こっています。
「無縁社会」という言葉が流行語になった2010年、私自身もNHKに生出演させて頂いたり、私自身の活動もNHKで紹介されました。
東日本大震災で「絆」という言葉が広まりましたが、無縁社会が有縁社会になった訳ではありません。
相変わらず「孤立死」は多発し続け、引き取り手のない遺骨は増え続けています。
最近では介護難民等の問題を扱った「老人漂流社会」という言葉も出てきました。
私自身、「無縁社会」をテーマにした講演会を毎月、全国各地で行っていますし、無縁社会や孤立死について本もたくさん書いてきました。
詳細はここでは省きます。興味のある方は、私の著作を読んで下さるか、講演等に来ていただければ幸いです。
写真1 引き取り手のない遺骨
「いのち」の最前線で活動する看護師さんらと共に・・・・。昼夜問わず、看取りに関わって下さった方々。
法要後は、納骨堂にて納骨式。たくさんの遺骨が眠っています。
全ての遺骨には、必ず親族がいるのですが・・・・
私は常々言っていますが、「無縁」ということは正確にいうとあり得ないと言っています。
家族・地域・会社という縁が途絶えてしまっている、機能不全に陥っているという意味で「絶縁社会」というのが正確な定義ではないでしょうか?
お父さん・お母さんという「縁」があったからこそ、私はこの世に生まれてきました。
ですから、本当に「縁」が無ければ、私たちはこの世に生まれてくることすら出来ない訳です。
ですが、様々な要因によって「縁」が」希薄化し、「縁」が機能不全に陥っていることにより、「無縁化」しているというのが現実でしょう。
残念ながら、今後、引き取り手のない遺骨は、高齢化が深刻化するにつれて、増えることはあっても減ることはないでしょう。
「その時」では遅いのです。
元気な間、「今」から「その時」を考えておく必要があります。
防災と同じで、人は「普段出来ないことは、イザという時に出来ない」のです。
自分の死後のこと、看取りのこと、介護のこと・・・
出来れば「縁起でもない」と言って、考えたくもないのが多くの人々の本音でしょう。
その気持ちは理解できます。
ですが、その一方で「家族に迷惑をかけたくない」と多くの人々は言います。
ならば、「迷惑」をかけないために、「その時」の対応を考えておく必要があります。
しかし、「エンディングノート」という存在は知っていても、実際に書いている人はわずか数パーセント。
遺言を書いているという人も、これだけ高齢化が進んだ今でも少数派でしょう。
今の日本人には「死生観」などと呼べるものは、皆無に等しいのでは?と、様々な「いのち」の現場にいる私は感じています。
高度経済成長と共に、「金儲け」については誰しもが真剣に考えますが、必ずいつか人間に訪れる「生老病死」の問題はまだまだ「タブー視」されているのが現実でしょう。
ひとりひとりが、「生老病死」の問題を他人事ではなく、「自分の問題」として考える必要があるのです。
しかし、現実はどうでしょうか?
原発が爆発し、多くの被害が出ているのに、それらの問題を「なかったことにしたい」という心理を多くの人が持っています。
私は思います。人間にとって最も困難なことは「現実を直視すること」だと。
できれば、不都合なこと、見たくない現実は避けて通りたい・・・。綺麗なもの、楽しいことだけを考えて生きていきたい・・・
ですが私は声を大にして言いたい。
「死」を見ない社会は、「生」も同時に見えない社会であると。
死の臨床場面で私は多くの方からこういう言葉を聞きました。「まさか私が・・・」
「まさか」という言葉の裏側には、私だけは病気にならない、年を取らない、死なないという思いがあるように感じます。
人は残念がら、いつか死にます。死ぬからこそ、今を大事に生きようと思えるのではないでしょうか?
死を思うことを忘れた今の日本社会は、どこへ向かっていくのでしょうか?
様々な「いのち」の現場に軸足を置く者として、これからもこれらの問題を社会に発信し、改善策・代替案を提案し続けていきます。