【イノベーションの仕組み】「戦後日本のイノベーション100選から 〜①インスタントラーメン」 | イノベーションDAY

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「イノベーション」の進展が日本の発展の源泉であるとして、発明の奨励、次代を担う人材の育成に注力してきた公益社団法人発明協会という組織があります。


この発明協会が一昨年に創立110周年を記念し、戦後日本産業経済の発展に大きく寄与したイノベーション100選を選定する事業を進めてきました。
その中で、第1回のアンケートで投票トップ10に選ばれたものの中から、今回より3回に渡ってご紹介していきます。

 

第1回目となる今回は、インスタントラーメンについてのお話です。

 

忙しいときの食事に、おやつに、夜食にと世界中で食され、その保存性、調理の簡便性の高さから宇宙食にも採用されるなど、革新的な食の発明であるインスタントラーメン。

その先駆けとなる「チキンラーメン」を日清食品が発売したのは、読売ジャイアンツに長嶋茂雄がデビューした1958年のことでした。


チキンラーメンは、初めてインスタントラーメンの基本工程(製めん、蒸熱処理、味付け、油揚げ乾燥)を工業的に確立し、量産に成功したとして大評判になり、このお湯をかけて2分間で食べられる即席麺は、「魔法のラーメン」と呼ばれて爆発的に売れたのです。

 

チキンラーメンの生みの親、日清食品の創業者・安藤百福は、終戦後の食糧難の時代に闇市のラーメン屋にできた長い行列を見て、「手軽に食べられる即席麺」の潜在的な需要を確信したといいます。


「日本人は麺類が好き。お湯があればすぐ食べられるラーメンを開発しよう」と思い立ち、自宅の裏庭に立てた小屋で丸1年を研究に費やしましたが、その開発のプロセスは苦難の連続であったようです。
安藤が特に苦労したのは保存性の実現。長期保存するために麺を乾燥させる方法を模索していたとき、妻が揚げているてんぷらにヒントを得て、麺を高温で揚げて乾燥させる方法を確立したのです。


そのようにして、山のような試作品を作っては捨てを繰り返し、保存性の他にも衛生面や簡便性など、ひとつひとつの課題を乗り越えていきました。

そんな試行錯誤の末に誕生したチキンラーメンですが、発売当初の販売価格は、1食35円。当時中華そばを店で食べるのと変わらない値段でした。ちなみに、うどんは1玉6円だった時代です。仕入れる問屋側は、「こんな価格ではたして売れるのだろうか」と不安だったといいます。


ところが、そうした問屋たちの不安をよそに、この革新的な商品はすぐに、品不足で悩むほどの売れ行きを見せることになります。

当時は、ちょうど共働きが徐々に一般的になり、核家族が増えてきていました。そんなときにお湯を注ぐだけですぐに食べられる便利なインスタントラーメンは、主婦の見方になったのでした。


また、テレビというメディアがお茶の間に浸透し始めたのも同じ頃。その頃にテレビのメディアとしての可能性に目をつけた安藤百福は、先見の明でテレビ番組のスポンサーになり、チキンラーメンのコマーシャルを製作して流したのです。

 

このように、需要の芽を見出し、山積みの課題を身近なヒントから克服し、さらに世相を掴んで風に乗り、未来を見通した先見性で爆発的なヒット商品となったインスタントラーメン。まさに、食のイノベーションと呼ぶにふさわしい画期的商品と言えるでしょう。

 

 

〜次回に続く〜

 

参考:
・公益社団法人発明協会ウェブサイト 「戦後日本のイノベーション100選」
・日清食品グループウェブサイト 「安藤百福クロニクル」