浮気しやすい人と浮気しにくい人の違いについて。
様々な見方はあるだろうが、男女の関係性を考える上で「人との関係は常に変わっていくもの」という意識を持っているかどうかは大切だ。
浮気をする人、しない人を見分ける視点の一つにはなる。
なぜならば、先ずそういう意識があれば、ふたりの関係を維持するために努力することができるからだ。
だがお互いの気持ちは変わらないと思っていると、相手の日々の変化を見逃したり、見てみぬふりをしてしまう。
そうしてすれ違ってきた途端に「思っていた人と違う」「合わない相手とつきあってしまった」と勝手に失望する。そのため相手を取り替えるという方法でまた自分を受け入れてくれる相手を探すことを繰り返す。
本当はお互いがお互いを知り、すり合わせる努力を怠ったことによる結果なのに、そこに思い至ることができない。
だからこそ男と女の双方が「関係は変わっていくものだ」という認識が先ずないと、うまくはいかない。
だが「関係は変わっていくもの」という意識だけでも心許ない。
もしも「変わっていく関係だから仕方ない」と何もしないのならば、ニヒルな感情がやがて心を支配する。そうした人はやはり浮気を繰り返すだろう。
悪びれず浮気を繰り返す人間は実際のところ、浮気をされた側の他人の痛みがわからないだけでなく、自分の空虚な心にも鈍感であるか、正面から向き合えていないことが多い。
その渇望感が、ある種の神秘性やコケティッシュな雰囲気を醸し出すことがある。
だから浮気を繰り返す人は、一見すると男性、或いは女性として見たときに魅力的に見えてしまう。
だが結局のところは、人と分かり合う努力をしようとしないので、相手も自分も傷つけてしまう。自分のなかの空虚さと正面から向き合えないがゆえに他人にその埋め合わせを求め、求めては失望し、自分のなかの空虚を更に証明する結果を招く。
「変わっていくものだからこそ、お互いを気にかけあって協力する」
こう思えて行動できる人は、男も女も浮気をしないことが多い。
男も女も様々な刺激を日常生活の中で受けては変わり続ける。
昨日の自分と今日の自分で考えがまったく変わってしまうこともある。
あるいは、相手の何気ない一言や態度によって、より好きになったり逆に大嫌いになってしまうこともあるだろう。
だからこそ常に相手を理解するための努力や、自分を愛してもらうための努力や、お互いの協力は欠かせない。
そうして得られた分かち合いの体験は、相手との違いを受け入れ、他者を尊重出来る心のゆとりにも繋がる。
愛が愛を産むというのは、そうした好循環がある。
浮気しにくい人は、その歓びを知っている人と言える。
だがそうは言っても男女ともに、危機は訪れるだろう。
体力や容貌の衰えを意識する中年期には、自分の男性(女性)としての価値を試すために浮気することもある。
その人がパワフルに生きた証として付けた贅肉や、苦労を乗り越えた証としての白髪や皺は、一人の人間としての歴史が刻まれていて、個人的には美しいと思う。
バートナーがいる人は、相手の容貌を貶すのではなく、その思いを伝えれば良いと思う。
だがそれを躊躇する人の心理の一つには、そもそも自分の性としての価値に自信がないというのがあるのだろう。
自分を愛せる程度にしか他人のことは愛せない。
大抵の問題は、相手ではなく自分の内にあるものだ。
文化的な背景、生まれ育った環境、様々な価値観に晒され、人はおおよそ15才位までには自分の人生の脚本を仕上げると言う。
他人から愛されることを意識する前に、自分が自分を普段からどのように扱っているのかを考えてみるのもいいだろう。

