●私にとって光が重要な理由

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今朝のテーマは『私にとって光が重要な理由』についてです。




理由をさかのぼれば、どこまでもどこまでもさかのぼれるのですが、ひとまず、幼少の記憶から。




私は、赤ちゃんの頃に洗礼を受けていたカトリックの生まれなのですが、なぜか京都にある桂幼稚園という仏教の幼稚園に通っていました。




母は大学時代に洗礼を受けたクリスチャンで、父は仏教とキリスト教に深い関心をもって独自に学んでいた人だったので、たぶん、両親は私にキリスト教と仏教の両方に関心を持ってほしかったのだと思います。




(余談ですが、両親の願いを超えて、私は宗教だけでなく光に関するあらゆる方向に関心をもって育っています。)




幼稚園児の私は、当時からお釈迦様とお弟子さんのことを描いた絵本が大好きでした。そして、絵本に書かれているお釈迦様の教えを色々試したりする子供でした。でも立派な子供とは程遠く、イタズラをしては幼稚園の先生に叱られて、幼稚園児なのにお弁当抜きなんてこともしばしばでしたが・・・。




また一方で物心つく前から教会に通っていましたので、小さい頃から、キリストの言葉を試してみよう!と試行錯誤を繰り返してました。しかしやっぱり良い子とは程遠い、「自分が納得するまで信じない!」体験重視のイタズラっ子でした。




いつも首の後ろをつままれる猫のようなイタズラっ子だった私ではありますが、本当に物心ついた頃から、「光を生きる」というのは具体的にどういうことなのか?をいつもテーマとして持っていました。




最近になるまで「光を生きる」というテーマは他人に話したことがなかったのですが、中学時代の担任の先生が卒業時、一人ひとりに書いてくれた漢字は、私の場合、偶然?にも『光』でした。




色々な人生を思い出すうち、それは今生に始まったテーマではなかったことがわかりました。何度も何度も同じテーマで色々な立場で生きてきたのだと思います。




そして、この人生でのテーマは『普通に光を生きる』ということであると、まさに幼稚園時代に実感したのです。




この「普通に・・・」いうのがやっかいで、今までこのテーマのためにずいぶん苦労をしてきたように思います。ですが今の私は、『普通に光を生きる』ことを自分なりに、毎日実現することができるようになってきたと思います。




そして願っているのは『普通に光を生きている』多くの方々の光がどんな顕れ方をしているのか見ること。これから沢山の人々の光と、様々な顕れ方を見ることができると思うと、本当にわくわくします。




これが、『私にとって光が重要な理由』です。




そして今朝もランニング中、沢山の人の光を眺めてきました。嬉しい朝でした。