ひとつ前の当ブログで、『破れ太鼓』(1949 木下惠介監督)をリメイクし、「木下惠介アワー」で連続テレビドラマとした『おやじ太鼓』のことを書きました。

『おやじ太鼓』で主題歌も歌っていたあおい輝彦さんの役は、大学受験に失敗した浪人生。これは映画版にはなかった設定です。戦後すぐの映画版と違って、昭和40年代半ばで大学進学率もあがってきた時代背景ですからね。あおい輝彦さんは、この「木下惠介アワー」にはよく出ていて、常連といっていいような印象です。特に、1970年の『冬の旅』はあおい輝彦さんが主演で、義兄の田村正和さんを刺し、少年院に入る役でした。母親(久我美子さん)の連れ子のあおいさんは、田村正和さんが母に襲いかかるのを見て、はずみで刺してしまうのです。ナイフも田村正和さんが持ち出したのですが、母のために真実を言わずに罪をかぶるのです。そんな純粋で、苦悩も背負った少年役を好演していました。毎週欠かさず観ていた僕は、立原正秋さんの原作まで買って読んだほどです。

木下惠介監督に気にいられていたあおい輝彦さんは、ご存知のように初代「ジャニーズ」(1962年)のメンバー。ジャニー喜多川が近所の子どもを集めて作った少年野球チームが発展したと言われていますが、ジャニー喜多川が4人の少年目をつけたことは間違いありません。

木下惠介監督も「美少年」好きで有名で、自分の組の助監督には川頭義郎さん(川津祐介さんの兄)、松山善三さん(のちに高峰秀子さんと結婚)など美形タイプを集めていたのはよく知られています。昨年亡くなられた山田太一さんも木下組の助監督でしたね。もしかしたら、ジャニー喜多川と「審美眼」が一致していたのかもしれません。

そういえば、こんなエピソードがあります。『破れ太鼓』の撮影が終わり、試写になったとき、恥ずかしがりで自分の映画を観ない阪東妻三郎さんの代わりに、当時大学生の田村高廣さんが観に来たそうです。阪妻さんに似て端正な顔立ちで、初々しい田村さんにすぐ目をつけた木下惠介監督は、のちに田村高廣さんに映画俳優になることを勧め、自作『女の園』(1954 木下惠介監督)でデビューさせるのです。

『冬の旅』であおい輝彦さんと共演した田村正和さんは、次の『冬の雲』で主演。このドラマは本当に見ごたえがあり、僕の観てきたテレビドラマの中でも最上位に位置する中の一本で、田村正和さんのベスト・アクトだと思います。また末弟の田村亮さんもテレビ・デビューはNHKで単発ドラマとしてリメイクされた『破れ太鼓』でした。僕は未見ですが、この作品には俳優にならなかった次男(高広さんと正和さんの間)も出たそうです。

ともかく、たまたま『破れ太鼓』の試写に来た高廣さんが木下惠介監督の目にとまった瞬間が「田村三兄弟」を生み出したのです。

(ジャッピー!編集長)