サワディー・クラップ ポム・チュー・ゴー!(こんにちは、ゴーです!)
こんにちは。タイ語講師のゴーです。
今回のコラムはタイのお土産として欠かせない「タイシルク」のお話しです。
みなさん、タイシルクといえば「ジムトンプソン」を思い浮かべる方も多いでしょう。でも、タイシルクの歴史はとても長く、タイ東北のウドーンターニ県のバーンチエンでは3000年も前の最古の絹織物が発見されています。タイの東北地方の人々は、古くから養蚕をして、糸を織り込んで布をつくっていました。東北の女性たちはまだ綿が普及していなかった頃は、身体を包み隠す布として自ら織ったシルクをまとっていたようです。
ラーマ5世(1853年~1910年・日本の明治時代)の時代には、タイシルクがもっと普及するよう、日本から技術者を呼び、タイ人に養蚕や絹織の技術を学ばせました。織物の模様は村によって異なり、代々受け継がれて伝統的な模様となりました。昔は、シルクがとても貴重なものだったので、王族や高級官僚だけが使用できるものでしたが、絹織が盛んな東北の村人は徐々にお寺やお祭りなど大切な行事の際に絹を晴れ着として着用できるようになりました。一方、バンコクなどその他の地方や都市では、タイシルクが高価なため、一般には普及しませんでした。
タイシルクの知名度を一躍世界的にした貢献者はアメリカ人のジム・トンプソンでしょう。彼は第2時世界大戦の終了間際にOSS(戦略事務局)のバンコク支局長としてタイに派遣されました。その後、タイのオリエンタルホテルの再建に努めていくうちに彼はタイ永住を考えるようになりました。骨董探しを趣味としていた彼は、タイ、ラオス、ミヤンマー、カンボジアの絹の収集家でもありました。彼は、当時、衰退の一途をたどっていたタイシルクに魅了され、タイシルクを欧米に輸出することでタイシルクを復興させようと1948年にタイシルク商会を設立しました。彼は高度な技術をもった織物職人がバンコク・バーンクルア地区にいることを発見し、彼らを雇いました。バンコク・バーンクルア地区にはラーマ1世の時代にカンボジアから連れてきたカンボジア人織物職人によって代々織物技術が受け継がれている地区です。彼はタイシルクに西洋的なデザインを取り入れさせました。これが大ブームとなりが現在にいたるまで、タイシルクの最大ブランドとしてジムトンプソンは世界中から愛されています。ザ・ジム・トンプソン・ハウスもこの地区にあります。
ラーマ5世以降もタイ王室は東北の村人への支援などでタイシルクの伝統を絶やさないよう寄与してきました。
シリキット王妃は1955年10月2日に東北地方を王様といっしょに訪問した際に、東北地方の女性たちが王様に会うために着用していた草木染で自然な色合いのマッドミーというシルクをご覧になり、大変、気に入られました。以来、シリキット王妃は村人が織ったシルクのすべてを買い、村人を支援するようになりました。それをきっかけとし、1976年7月21日にサポート財団を設立し、伝統的な手工芸品の振興に尽くしていらっしゃいます。現在では財団の訓練センターがタイ国内に10箇所あり、そこで、シルク織物のメインの一つとして伝統的な手工芸品の技術が受け継がれています。また、王妃はタイシルクの製品に孔雀のマークをつけ、技術者の保護と同時厳しい品質管理をなさっています。
1. 金の孔雀(王室のタイシルク)
タイ原産の蚕で縦糸と横糸とも織られているシルク製品。
これらは全体の20%以下ならば金糸もしくは銀糸で装飾ができる。
環境にやさしい製造工程で製造されること
シルクは昔からの簡素な道具使って手で紡いだ糸を使用。
糸を巻き上げる処理の後に糸の等級が定められて、木製の手織り機で織られていなければいけない。
2. 銀の孔雀(第1級のタイシルク)
原産の蚕もしくはタイで育てられた外来の蚕で縦糸もしくは横糸が織られているシルク製品
これらは全体の20%以下ならば金糸もしくは銀糸で装飾ができる。
手で紡いだ糸で木製の手織り機で織られていなかければいけない。
3. 青の孔雀(タイシルク)
原産の蚕もしくは改良された蚕で縦糸と横糸が織られているシルク製品
外来の糸を使用した場合は製品表示で明記しなければいけない。
これらは全体の20%以下ならば金糸もしくは銀糸で装飾ができる。
紡ぎ方と織については制限なし
4. 緑の孔雀(タイシルクブレンド)
原産の蚕を中心に補足として化学製品も使用したシルク製品。
製品内容は製品表示で明記しなければいけない。
その他の装飾材料は使用可。
紡ぎ方と織については制限なし
