マルコ3:13-19 <十二人の選び> 並行 マタイ10:1-4、ルカ6:12-16
マルコ3:13-19 (田川訳)
13そして山に上り、彼自身の望む者を呼びよせる。そしてその者たちが彼のもとに来た。14そして十二人を定めた。自分とともに居らせ、また宣べ伝えるために派遣し、15悪霊どもを追い出す権威を持たせるためである。
16そして十二人を定めた。そしてシモンにペテロという名をつけた。17そしてゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネを。そして彼らにボアネルゲス、すなわち雷の子という名前をつけた。18そしてアンドレアスとフィリポスとバルトロマイとマタイとトマスとハルパイの子ヤコブとタダイオスとシモン・カナナイオスと、19イスカリオテのユダを。この者がイエスを引き渡したのである。20そして家にはいる。そしてまた群衆が集まって来る。彼らはパンを食べることさえできないほどである。
マタイ10:1-4
1そして十二弟子を呼びよせ、汚れた霊に対する権威を与えて、これを追い出すことができるようにし、またすべての病気や患いも癒すことができるようにした。2十二使徒の名前は以下のとおりである。第一にペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンドレアス、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、3フィリポスとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、ハルパイの子ヤコブとタダイオス、4シモン・カナナイオスと、イエスを引き渡すこともしたイスカリオテのユダ。
ルカ6:12-16
12その頃、彼が祈るために山へと出て行くことがあった。そして夜を徹して神に祈っていた。13そして夜があけると、弟子たちを呼んで、その中から十二人を選んだ。そしてその十二人に使徒という名をつけた。14彼がペテロという名をつけたシモン、そしてその兄弟アンドレアス、そしてヤコブ、そしてヨハネそしてフィリポス、そしてバルトロマイ、15そしてマタイ、そしてトマス、そしてハルパイの子ヤコブ、そして熱心派と呼ばれたシモン、16そしてヤコブの子ユダ、そしてイスカリオテのユダである。この者が引き渡す者となった。
マルコ3:13-19 (NWT)
13 それから[イエス]は山に上り,ご自分の望む者たちを呼び寄せられた。それで彼らはみもとに行った。14 そして[イエス]は十二人[の群れ]を作り,また彼らを「使徒」と名づけられた。これは,彼らが[イエス]のもとにとどまり,また,[イエス]が彼らを遣わして宣べ伝えさせ,15 悪霊たちを追い出す権威を持たせるためであった。
16 そして,[イエス]の作られた十二人[の群れ]とは,彼がペテロという異名をお与えにもなったシモン,17 ゼベダイの[子]ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ(彼はまたこれらにボアネルゲスという異名をお与えになった。これは“雷の子ら”という意味である),18 アンデレ,フィリポ,バルトロマイ,マタイ,トマス,アルパヨの[子]ヤコブ,タダイ,カナナイ人シモン,19 それにユダ・イスカリオテであり,この者は後に[イエス]を裏切った。
それから[イエス]はある家に入られた。20 またもや群衆が集まった。そのため彼らは食事をすることもできないほどであった。
マタイ10:1-4
それから[イエス]はご自分の十二弟子を呼び寄せ,汚れた霊たちを制する権威をお与えになった。それを追い出し,あらゆる疾患とあらゆる病を治すためであった。
2 十二使徒の名は次のとおりである。まず,ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ,ゼベダイの[子]ヤコブとその兄弟ヨハネ,3 フィリポとバルトロマイ,トマスと収税人マタイ,アルパヨの[子]ヤコブとタダイ,4 カナナイ人シモンとユダ・イスカリオテである。この[ユダ]は後に[イエス]を裏切った。
ルカ6:12-16
12 こうした日のこと,[イエス]は祈りをするため山に出て行き,夜通し神に祈りをしておられた。13 しかし夜が明けると,弟子たちを自分のところに呼び,その中から十二人を選び,その者たちを使徒と名づけられた。14 [イエス]がペテロともお呼びになったシモンとその兄弟アンデレ,ヤコブとヨハネ,フィリポとバルトロマイ,15 マタイとトマス,アルパヨの[子]ヤコブ,「熱心な者」と呼ばれるシモン,16 ヤコブの[子]ユダ,そしてユダ・イスカリオテであり,この者は反逆者となった。
赤字とマーカーは注目したい語句。
NWTと田川訳を比較検討する前に、まず田川訳における共観福音書間の差異を確認しておく。
マルコでは、この場面で初めて「十二人」が選ばれたことになっている。しかし単に「十二人を定め」、「派遣した」とあるだけで、「使徒」という称号の権威職にイエスが任命したとは書かれていない。
それに対しマタイでは、すでに選ばれた「十二弟子」が「十二使徒」として存在しており、その前提で「十二人」をここでは病気治療のために派遣した、としている。
しかしながら、その「十二人」がいつ定められたかに関するマタイの記述は存在しない。マタイは「十二弟子」という表現を「十二使徒」と言い換えていることから明らかなように「弟子」(mathEtEs)という語と「使徒」(apostolos)という語を同義に扱っている。
ルカにおいては、この場面で「十二人を選び、その特別なグループに「使徒」(apostolos)という称号を与えた、としている。しかし、マルコとマタイにある、十二人を定めた目的に関する記述はない。
マタイは、マルコの動機である宣教と悪霊祓いの権威を与えるためという目的に病気治癒の権威を付加している。病気の原因も「汚れた霊」と信じられていたのだから、追い出す権威が行使できるなら、病気や患いも癒すことができると考えていたのだろう。
マルコでは「十二人」を定めてはいるが、文字通り彼らを「派遣した」だけであり、その「十二人」に「使徒」という称号を与えた、とは書かれていない。マルコとルカは、「十二人」の選びが山での出来事であるとしているが、マタイでは場所は明示されていない。
「使徒」の原語であるapostosは「派遣する」(apostelllo)という動詞から派生したものであるが、マルコでは「使徒」(apostolos)という称号は使われていない。文字通り、十二人を「自分とともに居らせ」、宣教のために「派遣した」存在という位置付けである。
「自分と共に居らせ」とあることからすると、マルコにおける「十二人」のあるべき存在とは、イエスと同じ精神でイエスの生き方を貫く存在であり、かつイエスの福音を宣教するための存在であるべき、と考えていたように思える。
マルコにおいて「使徒」という権威称号がイエスの弟子の呼称としては一度も使われておらず、6:30で文字通りの意味で「派遣された者」という意味でしか使われていない。マルコの時代の使徒集団は、実際にはマルコの描く「イエスとともに居る」集団とは大きく異なっていたことを示唆しているように思える。
マルコにおける田川訳とNWTの比較である。
NWTにおけるマルコでは、田川訳「十二人を定めた」(原文:epoiEsen dOdeka)を「十二人[の群れ]を作り」と原文には登場しない[群れ]という語を補い、さらに「また彼らを「使徒」と名づけられた」という文を加えている。この付加文は、ルカ6:13後半と全く同じである。
この付加文が付いている写本と付いていない写本がある。
この句を入れている写本は、アレキサンドリア系の主要な写本(B、シナイ、Cの第一写記)、カイサリア系の主な写本(Θ、f13、シリア語写本の一部、コプト語訳)である。
入れていない写本は、アレキサンドリア系でもLや小文字写本の33、カイサリア系でのf1がある。つまりアレキサンドリア系とカイサリア系それぞれの大元の原本に本当にこの句が入っていたかどうかは分からない、ということになる。
さらに、西方系といわゆるビザンチン系は一致してこの句が入っていない。
lectio difficikiorの原則からすれば、原文にはこの句は入っていなかった、と考えるのが妥当である。
もしもマルコの原文に「彼らを使徒と名づけた」という句が入っていたのであれば、正統派教会の多数の写本家たちが削る必要はないからである。
むしろ一世紀末から二世紀以降には、「十二人」を「使徒」と呼ぶ言い方が教会的権威の呼称として確立していたことを考えるなら、ルカを知っている写本家たちがこの句をマルコに持ち込んだものと推察できる。
結局、NWTは原文に忠実に再現しようとしているのではなく、聖書霊感説を補強するように恣意的に原文にはない語や句を付加して本文として組み込んでいるのである。
マルコ3:14におけるそのような傾向はNWTだけではなく、他の和訳聖書にも見られる。
岩波訳
「そして彼は十二人を立て、[その彼らを使者としても任命し]た」。[ ]付きで採用。
新共同訳
「そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた」。本文に採用。
前田訳
「そこで十二人をお決めになった」。不採用。
新改訳
「そこでイエスは十二弟子を任命された」。原文に「弟子」という言葉はなく、「作った」「定めた」という動詞があるだけで「任命した」とは書かれていない。
塚本訳
「そこで十二人(の弟子)をお決めになった」。原文にはない(弟子)という語を補う。
口語訳
「そこで十二人をお立てになった」。不採用。
文語訳
「ここに十二人を擧げたまふ」。不採用。
和訳だけではなく、英訳でも同様である。
He appointed twelveのあとにwhom he called apostles、あるいはwhom also nemed apostlesと付加している多くの英訳聖書がある。(ESV、NLT、ISV、NET、他多数)
田川訳に戻って、十二使徒の名簿を検討してみる。
ヨハネには十二使徒の名簿はおろか、「使徒」という呼称すら登場しないが、共観福音書間の十二人の名簿に関しても、実は微妙な違いがある。
マルコ マタイ ルカ
シモン・ペテロ | ペテロ・シモン | シモン(ペテロ) |
ヤコブ(ゼベダイの子) | ヤコブ(ゼベダイの子) | ヤコブ |
ヨハネ(ゼベダイの子) | ヨハネ(ゼベダイの子) | ヨハネ |
アンドレアス | アンドレアス | アンドレアス |
フィリポス | フィリポス | フィリポス |
バルトロマイ | バルトロマイ | バルトロマイ |
マタイ | マタイ(取税人) | マタイ |
トマス | トマス | トマス |
ヤコブ(ハルパイの子) | ヤコブ(ハルパイの子) | ヤコブ(ハルパイの子) |
タダイオス | タダイオス | ユダ(ヤコブの子) |
シモン・カナナイオス | シモン・カナナイオス | シモン(熱心派) |
イスカリオテのユダ | イスカリオテのユダ | イスカリオテのユダ |
マタイは十二使徒の表の中でマタイを収税人と紹介している。マタイ9:9-13「取税人との食事」物語でマタイは取税人の名前を「マタイ」であると紹介している。
しかし、並行のマルコ2:13-17における「取税人との食事」物語では、取税人の名前は「マタイ」ではなく、「ハルパイの子レヴィ」であると紹介されている。並行のルカ5:27-32でも取税人の名前は「レヴィ」であると紹介されている。
つまり、マルコの「十二使徒」の表に出て来る「マタイ」と「取税人との食事」物語の主人公である「ハルパイの子レヴィ」とは別人ということになる。
ところが、マタイは、マルコの「取税人との食事」物語の主人公を「レヴィ」ではなく、「マタイ」に変更して、さらに「十二使徒」の表に出てくる「マタイ」に「取税人」という註解を加えることで、この二人を同一人物に仕立ててしまったのである。
正典化運動の高まりから、聖書霊感説信仰が強化され、聖書=矛盾のない神の言葉という前提で、聖書が解釈されるようなり、「ハルパイの子レヴィ」=「取税人マタイ」=「十二使徒マタイ」=「マタイ福音書著者マタイ」=「ハルパイの子レヴィ・マタイ」と一人に人物に統合されていったのである。
WT(だけではないが、伝統的キリスト教会)におけるマタイに関する説明は、福音書に書かれている記述や史実を無視した、まさしく聖書霊感説を前提に解説をしている。
*** 洞‐2 875–876ページ マタイ ***
(Matthew)[多分,「エホバの贈り物」を意味するヘブライ語マタテヤの短縮形]
ユダヤ人で,レビという名でも知られ,イエス・キリストの使徒となり,マタイという名の付された福音書の筆者となった人。マタイはアルパヨという人の子で,イエスの弟子となる前は収税人でした。(マタ 10:3; マル 2:14。「収税人」を参照。)レビがイエスの弟子となる前からマタイという名を持っていたのか,弟子になった時点でその名を得たのか,それとも使徒として任命された時にイエスからその名を与えられたのか,聖書は明らかにしていません。
イエス・キリストはガリラヤにおける宣教の初期のころ(西暦30年か31年の初めごろ)と思われますが,カペルナウムかその近くの収税所にいたマタイを召されました。(マタ 9:1,9; マル 2:1,13,14)『彼は一切のものを後にして立ち上がり,イエスに従うようになりました』。(ルカ 5:27,28)マタイは自分がキリストに従うよう召されたことを祝うためだったのではないかと思われますが,「盛大な歓迎の宴を設け」ました。その宴にはイエスとその弟子たちだけでなく収税人や罪人も大勢出席しました。このことでパリサイ人や書士たちは当惑し,キリストが収税人や罪人と飲食を共にするとはどういうことかとつぶやきました。―ルカ 5:29,30; マタ 9:10,11; マル 2:15,16。
後に,西暦31年の過ぎ越しの後,イエスは12使徒をお選びになりましたが,マタイはその一人でした。(マル 3:13‐19; ルカ 6:12‐16)聖書は様々な箇所で一団としての使徒たちのことを述べていますが,キリストの昇天後のくだりになるまで再びマタイのことが名指しで述べられている箇所はありません。マタイは復活後のイエス・キリストを見(コリ一 15:3‐6),イエスから別れ際の指示を受け,天へ昇って行かれるイエスを見ました。こうしたことの後,マタイと他の使徒たちはエルサレムに帰りました。使徒たちはエルサレムの,ある階上の間にいましたが,そこにいた人々の一人として特にマタイの名が挙げられていますから,マタイは西暦33年のペンテコステの日に聖霊を受けた120人ほどの弟子の一人であったに違いありません。―使徒 1:4‐15; 2:1‐4。
マルコとマタイには「タダイオス」という名前が「十二使徒」の一人として表に登場するが、ルカにはその名前がない。代わりに「ヤコブの子ユダ」という名前が「十二使徒」の表に登場する。
聖書中で「タダイオス」という名前は、ここのマルコとマタイの「十二使徒」の表にしか登場しない。
ルカはいわゆるQ資料とマルコ書を手元において福音書を書き直しているのであるから、ルカがタダイオスという人物を「ヤコブの子ユダ」と間違えて記述したとは考えにくい。
「ヤコブの子ユダ」という名前は、他に使徒1:13でイエスの昇天の際に臨場した十二使徒の表に登場する。
つまりルカは、マルコとは別の「十二使徒」の表を元に「ヤコブの子ユダ」を十二使徒の一人に加えたのであろう。一方マタイは、マルコの表の名前はそのまま採用し、マタイという名に「収税人」という註解を加えて十二使徒の表を完成させたのであろう。
この名前の違いを解決するために「タダイオス」と「ヤコブの子ユダ」という二人の人物が、聖書霊感説に基づき、「ヤコブの子ユダ・タダイオス」という一人の人物に統合されて解釈されるようになったのである。
「取税人ハルパイの子レヴィ」と「取税人マタイ」という二人の人物が「ハルパイの子レヴィ・マタイ」と同一人物と解釈されたのと同じ構図である。
*** 洞‐2 1051ページ ユダ,II ***
3. 12使徒の一人。タダイとも「ヤコブの子ユダ」とも呼ばれています。マタイ 10章3節とマルコ 3章18節にある使徒たちの名簿では,アルパヨの子ヤコブとタダイが結び付けられています。ルカ 6章16節と使徒 1章13節の名簿にはタダイが含まれておらず,その代わりに「ヤコブの子ユダ」となっているので,タダイは使徒ユダの別名であるという結論に導かれます。タダイという名前が時折用いられているのは,ユダという名の二人の使徒たちが混同される可能性があったからかもしれません。ある翻訳者たちはルカ 6章16節と使徒 1章13節を,「ヤコブの兄弟ユダ」と訳出しています。両者がどのような関係にあったのか,ギリシャ語は正確には示していないからです。しかしシリア語ペシタ訳は確かに「子」という言葉を充てています。したがって,現代の多くの翻訳は「ヤコブの子ユダ」と読んでいます。(改標,聖ア,新世,ラムサ)聖書中にユダとだけ言及されているのはただ1か所,ヨハネ 14章22節です。この節では彼のことが「イスカリオテでないユダ」と呼ばれており,これはどちらのユダについて述べているかを示す手段となっています。
ジェームズ王欽定訳のマタイ 10章3節には,「タダイ」の前に「レバイオス,またの名は」という句が挿入されています。これは公認本文に基づいていますが,ウェストコットとホートの本文はこれを省いています。なぜならシナイ写本などの幾つかの写本には載っていないからです。
欽定訳の「レバイオス」に関して註解されているが、マルコ、マタイのD写本では「タダイオス」ではなく「レバイオス」になっていることを反映させたもの。「○○オス」の語尾はギリシャ語の男性名詞を作る接尾語であるから、「レヴィ」というまたの名をマタイが持っていた、という聖書霊感説を読み込んだものであろう。
「シモン」に関して、マルコとマタイは「カナナイオス」という添名を与えているが、ルカは「熱心派」という呼び方でシモンを紹介している。マルコとマタイの原文は、Kananaiosと表記されている。
マルコ、マタイに「カナナイオス」(Kananaios)という添名があるのは、他にも「シモン」という名前を持つ「ペテロ」と区別するためであろう。
Knanaiosという表記は、「カナの人」、あるいは「カナンの人」という意味に解釈されていた。実際、KnanitEs(「カナの人」の意)としている写本も多いという。
最近は並行である、ルカのzElOtEnという表記から、マルコ、マタイの「カナナイオス」というアラム語の「熱心な者、熱心派」(Kanean)の音写であろうと解釈されているようである。
マルコ、マタイに対するルカの表記は、zElOtEnであるが、エルサレム崩壊時に神殿に立てこもったユダヤ教の一派、いわゆる「熱心党」と呼ばれた集団の呼称である。「zElOtEs:ゼーローテース」の男性単数対格形が使われている。
ルカの時代には、この語は「熱心党」という政治集団の呼称として一般にも使われていたそうである。ルカの時代には「熱心党」の存在は知られていたが、マルコの時代、少なくてもイエスの時代にはまだ「熱心党」と呼ばれる政治集団は存在していない。それゆえ、マタイはともかく、マルコの「カナナイオス」は「熱心党」を指すとは考えにくい。
マルコ当時のユダヤ教では神信仰に熱心な人をKanaeanと呼んでいたのであるから、マルコもおそらくその意味で使っているのであろう。
それで、ルカはマルコのアラム語表記の表現をギリシャ語の意味に訳してギリシャ語に訳してくれた、という可能性もある。しかし、ルカ当時のギリシャ語で敢えて固有名詞的に「熱心党」を指す語を選んでいることからすると、十二使徒の一人である「シモン」という人物が、後に「熱心党」の一員として活動した、という可能性もあるようだ。
田川訳が「熱心党」という表記ではなく、「熱心派」という表記にしているのは、彼らが単なる政治党派の集団ではなく、本来は宗教的党派であったことによる。たとえばユダヤ教の宗派である「パリサイ派」を「パリサイ党」とは呼ばず、「派」と呼ぶからである。
ルカが「カナナイオス」という表記ではなく、「ゼーローテーン」と表記していることからしても、マルコ(60-65年)より先にルカ(56-58年)が書かれたと解説するWTの教えは真実ではあり得ない。もちろんマタイ(41年)が最初に書かれた福音書であるという解説も同様である。マタイは、「ゼーローテース」という語を使っているわけではないが、マルコを写していることは示す個所が数多くあるからである。ここはそのまま、マルコの表記を写しているだけであると思われる。
NWTでは、ルカの「ゼーローテーン」を「熱心な者」と訳しているが、脚注には「熱心党の人、熱心者」という意味を紹介している。この語が本来は「熱心党」を指す語であることを認めているのである。
しかしながら、十二使徒の一人が、「熱心党」の一員であるということになれば、JWの政治関与禁止教理に支障が出るので、「熱心な者」の訳を採用したのであろう。そうすれば、政治参加しているキリスト教をすべて偽物であり、大いなるバビロンの一部である、という教理との整合性も取れることになる。
しかし、イエスが宗教的政治的組織の一員を十二使徒の一人として神の組織の代表として任命し、悪霊や病気を制する権威を与えた、というのでは、WT教理が破綻してしまうことになる。サタンの用いるこの世の三大組織が偽りの宗教、政治、商業体制であり、政治家は「偽預言者」、「大いなるバビロンの情夫」という解釈の教理である。
これでは、WT教理によって、WTが聖書を曲解している大いなるバビロンの一部であり、WTがサタン組織の一部であることを認めなければならなくなる。
まさしく自らの言葉によって自らが裁かれることになるのであるから、イエスに関しても、聖書に関しても、WT教理に関しても、WT信者であるJWに対しても、神に関しても、「裏切る」行為となってしまう。
「熱心党」という訳を採用するわけにはいかないのだろう。
参考までに他の和訳では…
フランシスコ会訳2013
「熱心党と呼ばれていたシモン」
岩波訳
「熱心党員と呼ばれていたシモン」
新共同訳
「熱心党と呼ばれたシモン」
前田訳
「熱心党と呼ばれたシモン」
新改訳
「熱心党員と呼ばれるシモン」
塚本訳
「熱心党と呼ばれたシモン」
口語訳
「熱心党と呼ばれたシモン」
文語訳
「熱心党と呼ばるるシモン」
他の和訳聖書では、すべての訳が「熱心党」と訳している。NWTだけが「熱心な者」と訳しているのである。
ユダ・イスカリオテに関して田川訳では、一貫して「引き渡す」という表現を用いているが、NWTではマルコ、マタイでは「裏切った」。ルカでは「反逆者」と表記している。
マルコ、マタイの「引き渡す」と訳されているギリシャ語は、paradidOmiという動詞である。マルコはユダ・イスカリオテという名詞に関係代名詞を付けて、彼がイエスをアオリスト形で「引き渡した」と説明的に彼に関する情報を加えている。
マタイは、ユダ・イスカリオテという名詞に続けて、動詞を単なるアオリスト形ではなく、アオリスト分詞形にして、マルコの文をほぼそのまま写している。「ユダ・イスカリオテ」という名前と「イエスを引き渡した者」という分詞表現は同格的な意味を持つことになる。
つまり、マタイの「引き渡した者」という分詞表現は「ユダ・イスカリオテ」の代名詞的意味を持つ語として使っているのである。
ルカにおいてはこの傾向が一段と強くなる。ルカは、ユダ・イスカリオテという名詞に続けて、マルコ、マタイと同じく関係代名詞を用いて表現しているが、「引き渡す」という動詞を用いているのではなく、「引き渡す者」(paradotEs)となった、と名詞表現で述べている。
この名詞表現は「引き渡す」(paradidOmi)という動詞に「~する者」(-tEs)という名詞語尾を付けた造語。一般のギリシャ語では、名詞表現で「引き渡す者」と言われても、誰が何をどのような意味で「引き渡した」のか意味が定まらず、意味不明となるので使われない語だという。
普通なら、動詞を分詞形にして目的語を付け、「~を引き渡す者」と表記しなければ、どのような人物を想定しているのが判別できない。
しかし、この名詞表現はルカの時代にはキリスト教関係文書においては、「ユダ・イスカリオテ」を指す語として定着していたので、ルカは彼が「引き渡す者」となった、と固有名詞化して使ったのであろう。
「引き渡す」(paradidOmi)という動詞自体に「裏切る」とか「反逆する」という意味があるわけではない。para(close/beside)+didOmi(give)であり、「手渡す、差し出す、届ける」という趣旨である。
ユダ・イスカリオテに関してparadotEsという語が使われるようになり、元となった動詞にも「裏切る」というニュアンスが帯びてしまったものである。
ユダの「イエスを官憲に引き渡す」行為から、あいつは「引き渡す者」だ、という言い方がされるようになり、仲間を官憲に引き渡すことは仲間に対する裏切り行為であるから、「裏切る」という意味を帯びて使われるようになったのである。
NWTでは、マルコにもマタイにも「後に」、ルカには「そして」という訳語が付加されているが、これは原文のkaiを訳したもの。通常andの意味に解されるが、ここではkaiが連続して使われており、厳密な意味で時間的経過後に、とか預言成就的な意味で、という趣旨ではなく、「しかも、また他方では」という趣旨。
むしろ問題は、原文では「引き渡す」という意味しかない語を「裏切る」と訳しながら、同じ動詞を語源とするルカの名詞を「反逆」という語を当てていること。バプテストのヨハネが引き渡される場面であるマルコ1:14(並行マタイ4:12)では、同じ動詞が使われているにもかかわらず「捕縛される」と訳している。
他の訳にも言えることであるが、原文に忠実であるのなら、訳語を統一し、「裏切る者」とか「裏切り者」に統一すべきであろうと思う。
しかしながら「裏切る者」と訳されている原語に「裏切る」という意味はないのである。NWTの「反逆者」という訳には、ユダ・イスカリオテに対する悪意に基づいたレッテル貼りを感じる。