●山上の垂訓①構成と構造

山上の垂訓とは、マタイ5章から7章までの9つの「幸い」から始まり、「砂上の楼閣」の例えで、「これらの言葉を聞いてそれを行う者はみな、思慮深い人に例えられるでしょう」と結ばれるイエスの長い説教である。

並行記述のルカは6:20-49まであるが、マタイとは長さも言葉使いも異なっている。

 

この相違を、WTは並行記述ではなく、別々の機会に話された時間的なずれがあるから内容が矛盾しているように思えても問題なしとしている。

*** 塔78 4/15 29–30ページ 山上の垂訓 ― その背景と舞台 ***

山上の垂訓は,二つの福音書の記述の中にはっきりと出て来ます。(マタイ 57章。ルカ 6:20‐49)山上の垂訓に関するマタイの記述はルカの記述と比べると約四倍の長さです。ルカの記述の中でマタイの記述に見られない部分は5節半にすぎません。二つの記述が平行して述べられているところでも,言い回しの点でかなり異なる箇所がしばしば見られます。そのために,聖書に出ているこの訓話の信ぴょう性を疑うべきでしょうか。

マタイの福音書に出て来る山上の垂訓のかなりの部分をルカが省略している事実から生じる異議について,A.T.ロバートソンは,「キリストの生涯を学ぶ学生のための福音書の調和」の中でこう書いています。「そうした異議は,その同じ事柄のかなりの部分を,ルカが他の箇所で述べたこと,またイエスが他の機会に繰り返し述べられたことを考慮に入れていない(マタイ 6:9‐13とルカ 11:2‐4,およびマタイ 6:25‐34とルカ 12:22‐31[を比較])。イエスは教師であればだれもがするように,またすべきであるように,ご自分の語った事柄をしばしば別の機会に繰り返された。……一般的に言ってすべてのクリスチャンのために書いていたルカが,特にユダヤ人のために書かれた,山上の垂訓の冒頭の部分をかなり省略したとしても驚くには当たらない(マタイ 5:17‐27; 6:1‐18を見よ)」。それからロバートソンはこう付け加えています。

「さらに,説明の余地のあるそうした違いを相殺するには,二つの講話が同じように始まり同じように終わっていること,異なった部分の配列という点で全般的に類似性が見られること,また二つの講話は全般的に言って似ており,全く同じ表現もよく見られるということを覚えておかねばならない」。

 

Archibald Thomas Robertson とは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、The Southern Baptist Church お抱えの学者ですが、宣教については否定的な見方をしていた人物である。

 

Here are some quotes of Robertson linking study of the Greek New Testament to preaching: "The greatest proof that the Bible is inspired is that it has withstood so much bad preaching!"; "God pity the poor preacher who has to hunt for something to preach - and the people who have to listen!"; and “Preaching… is the most dangerous thing in the world.”

 

バビロンの護教学者の都合の良い部分だけを利用しながら、WT教理のまさに本質にかかわる伝道に対する極めて否定的な証言に対しては、目を瞑っているのがなんとも・・・(W)

 

 

山上の垂訓の構成に戻る。

マタイは、山上の垂訓に入るまでは、マルコの序説部分に他の資料を補いつつ写してきたが、マルコ以外の資料からいろいろと素材を集め、組み合わせ、編集し、長い「説教」を作り上げた。

マルコはこういった「説教」はやらず、その都度の場面でその都度の仕方でその場にいる人たちに対してイエスが対応した発言を個別に紹介している。

 

それに対して、マタイはイエスの「教え」を長い「説教」としてまとめ上げ、イエスの活動の具体的な紹介に入り、「幸い」の呼びかけを冒頭に置いた。

これはもはやかつてイエスが人々に語ったスタイルではなく、マタイ教会が信者たちになす説教である。

「山上の垂訓」そのものを福音書の構造の中でこの位置に置いたのはマタイの個人的編集作業かもしれないが、とても一人で出来る様な作業ではない。

ほとんど詩文と言って良い最初の「幸い」の呼びかけで始まり、非常に歯切れがよい、良く整えられた文章である。苦労して練り上げられたと思える「定型引用」が11か所あり、論理的組み合わせも良く考慮されて汲み上げられている。一般に新約文書に出てくる旧約文書は70人訳のものとされるが、「定型引用」はそうではない。70人訳とは異なる言葉遣いやヘブライ語本文から直接訳した見られる言葉遣いとの組み合わせもある。非常に高度なユダヤ教の知識と当時の信仰が関係している。

つまりこれは、ほぼこのまま暗記されたものであり、教会に集う信者たちにこれを暗記させ、マタイ教会の根本となる教えと成したものであろう。そういう作業は、教会全体の、特に指導部全体の共同の意思がなければできるものではない。

マタイ学派の信者たちが同時に成した仕事か、マタイ教会の指導者たちも加わったのか不明だが、マタイ教会全体の意思が山上の垂訓に表現されている。

 

 

ルカの並行記述(6:20-26)は、長さも言葉使いもマタイ(5:1-12)とは異なる。もしも、同一の資料を二人がそれぞれ自分の福音書に採用したとすれば、両者の違いを説明するのは極めて難しい。しかし、大元に同一の伝承(いわゆるQ資料)が存在したのも確かであろう。

そうすると、大元の伝承から現在我々が二つの福音書に見る形に到達するまで、相互に別々の流れがあったものと考えられる。

 

ルカ6:27-49も順番や言葉使いは異なるが、マタイの山上の垂訓のいずれかと対応している。つまり、大元の伝承からマタイ・ルカそれぞれの福音書成立までの間に、それぞれの教会の人々によって、練り磨きあげられ、それぞれの教会の「信仰」によって様々な要素が付け加えられ、表現としても文体としても整うよう十分な努力がなされてきたものであろう。

 

マタイの山上の垂訓とルカの並行記述を比較してみると、理解できると思うが、マタイの山上の垂訓にはルカにはない多くの要素が加味されている。ゆえに、大元の伝承(Q資料)の原形はルカにあると言える。